山田五十鈴さん死去 女優初の文化勲章


2012年7月10日 夕刊

2001年2月、受章した文化勲章を手にする山田五十鈴さん=東京都内のホテルで


 戦前、戦後を通じ七十年以上にわたり映画、舞台で活躍、
女優として初の文化勲章を受章した山田五十鈴(やまだ・いすず、本名美津=みつ)さんが
九日午後七時五十五分、多臓器不全のため東京都稲城市の病院で死去した。
九十五歳。大阪市出身。葬儀は近親者のみで行い、後日、お別れの会を開く。
喪主は未定。


 新派俳優・山田九州男さんの長女に生まれ、一九三〇(昭和五)年、
父の知人に誘われて日活入り。同年三月に大河内伝次郎さんの相手役として
十三歳で映画「剣を越えて」でデビューした。


 溝口健二監督「浪華悲歌」「祇園の姉妹」で高い評価を受け、
二十歳のころには大スターの仲間入り。
映画出演は黒沢明監督「蜘蛛巣城」、小津安二郎監督「東京暮色」など
二百六十本を超え、数々の賞を受賞した。
テレビでも必殺シリーズやNHK大河ドラマ「葵 徳川三代」ほかで親しまれた。


 三五年に父親と共演した新派合同公演で初舞台。
戦中戦後は長谷川一夫さんと新演伎座を結成、
一時期、劇団民芸にも所属したが、東宝演劇部専属になり「たぬき」
「愛染め高尾」「太夫さん」で三度の文化庁芸術祭大賞を受けた。
また歌舞伎や新派俳優とも共演し、九三年には文化功労者に。

文化勲章を受けた翌二〇〇一年夏に八十四歳で主演した芸術座「夏しぐれ」まで、
年齢を感じさせない、つややかな姿で観客を魅了した。


ベルさん」の愛称で呼ばれ、三度の結婚離婚や、数々のロマンスでも騒がれた。
九二年には唯一の血縁で元女優の娘・瑳峨三智子さんに先立たれた。
〇二年四月、二十年以上も定宿にしていた都内のホテルで
体調不良を訴えて二週間の入院。
最晩年は京都の自宅も処分し、都内の病院で静かな余生を過ごしていた。
芸術選奨文部大臣賞、東京都名誉都民。







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山田五十鈴さん画像





★~大好きな大好きな、女優さんでした。






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