4の続き 五十路ぼっち醜女のこれまで
これまで4の続き 五十路ぼっち醜女のこれまで2017年8月26〜27日母が脳梗塞発症この年の24時間テレビが放送されている日だった。最近頭重感や眠気が取れない程度の不調をぼやいてはいたが、相変わらずの塩辛い食事に、菓子パンに、油菓子に市販のお気に入りの惣菜を私に調達させ母は呑気に過ごしていただけど、そう見えただけで本当は何か不安が有ったのかも知れない上手く表現できないが無理して普段通りを「装ってる」、と言えば良いのか妙に落着きが無かった。その日も夕方迄に用意した食事を平らげてテレビ、レンタルDVD、昼寝と何時もの様に過ごしていただけど深夜近くになり襖1枚隔てた私の部屋に向けて母が「お母さん、少し変かも⋯⋯」と話しかけて来た。昼間も同様の事を言ったが直ぐに母は「食べれば治るから大丈夫等よ」と楽観していた私が救急車呼ぼう、ね、診て貰おうよと言い聞かせ何か病気だなんて言われたら怖いと今迄の母からは想像出来ない位不安げで弱気になっていただけどどう見ても即、医療機関へ行かせないと、と思わせるその姿を看過できず呼ぶ事にした。母を「大丈夫大丈夫、ちょっと具合悪くなっただけだよ」「きっと何でも無いよ、直ぐ診察終わるよ」「そうだ、帰ってきたらヨーカドーのポッポでラーメン食べに行こうよ」そう励ましながら、内心はああ、もうお母さんはもしかしたらこのまま⋯そんなざわつきで私も不安だった。だけど今は母の方がずっと不安な筈だ、背中を擦りながら励ましの言葉をかけ救急車の到着を待った。救急隊員が来た時にはもう母は立てても歩けずストレッチャーに乗せられ私と共に救急車へ。午前2時頃に搬送された先は自宅からタクシーで5〜6分の病院、3年程前に母が脳のCTを撮った所でその点からも勝手知ったる、と言う安心感が有りちゃんと診て貰えると思った。母の診察は凡そ5時間弱掛かっていたと思う。脳梗塞の診察内容など解らないし容態次第では時間も長くなる物だと漠然と理解した。真夏の深夜の私しか居ない待合室。寄る辺無い気持で息を詰めながら母の結果を只々待ち続けた。夜が明け午前7時近く母の現状と結果を伝えられた。「ラクナ脳梗塞」で「もう左半身は機能しなくなった」「声は出る、右耳は聴こえる、リハビリで話せる様になる」との事だった。母が助かった事に安堵し今後の説明を受け病院から自宅へタクシーで帰宅した。だけどこの安堵も3日後の、次は私に訪れる災難で消滅した。