父が肝性昏睡から目覚めた後

 

副院長から「後3年くらいだから、親孝行しなさい」

 

と言われていました。

 

そのため、できる限り、実家に帰っていたのです。

 

父の病状が悪化した時にすぐにみてもらえる様に

 

実家の近くの病院に転院しました。

 

退院後は、お酒もタバコもやめた父は

 

まるで仏様のように穏やか。

 

私のことを怖がることもなくなり

 

帰るたびに聞かされていたのが母への愛情。

 

父「お父さんはお母さんに一目ぼれしたんだ。

  あの日は、ネクタイを買いに行ったんだけど

  お母さんがあまりにキレイだから、次の日も

  また次の日も顔を見に行っちゃったよ」

 

母の事が好きでたまらなかった父。

 

それは、母も同じで娘の前だというのに

 

お互いに「愛してるよ」と言い合うくらい。

 

それだけでなく

 

父は失敗したことも私に話してくれました。

 

父「お父さん若い頃やんちゃだったから

  組の人の女取っちゃって

  逃げ回ったんだ」

 

そういえば、父は自分の母親が亡くなった時

 

行方がわからなかったのだと親戚に聞いていたのです。

 

その理由がまさか、組の人の女を奪って逃げていたとは…

 

そうなんだ…としか返事ができずにいると

 

急に私をジーッと見つめて

 

父「可愛いなぁ。可愛いなぁ。

  うちの子はなんて可愛いんだ。

  そうそう、この前、お花見に行ったんだけど

  その時に来た取引先の娘さんが

  かわいそうなくらいブスでさ」

 

私「それまさか、本人に言ってないよね?」

 

父「たぶん。言ってないけど。

  みんなそう思ってたよね?

  お母さん」

 

なんと父が口を滑らせそうになったので

 

咄嗟に母が話をすり替えたとか。

 

危ない危ない。

 

そんな父と私達家族は

 

きっと最後になるであろう北海道旅行に出かけました。

 

やはり、最終日にアンモニアが上がってしまい

 

父が裕次郎記念館を見たいと言っていたのですが

 

急遽帰ることになったのです。

 

それから、わずか数か月後。

 

仕事中の私の所に母から電話がかかってきました。

 

母「お父さんがもう危ないの…」

 

涙ながらにそう話す母の声を聞きながら

 

その翌日から3連休だったのを思い出したのです。

 

仕事を終わらせ病院に行くと

 

父はベッドの上でニコニコしていました。

 

私「なんだ大丈夫じゃない」

 

父「そんなことないぞ。この部屋にくるとみんな死ぬんだ。

  ほかの患者も言ってたし

  俺が元気だった時に、

  この部屋に入院した人のお見舞いにきたけど

  その人もすぐに死んだんだ」

 

どうやら父の言う事は嘘ではなく

 

助かる見込みがない人が入る個室だったのです。

 

父は明日逝くのだと

 

お見舞いにきた親戚にも言い出しました。

 

親戚「明日。好物のスイカ持ってくるからね」

 

父「明日は会えないんだよ」

 

親戚「もう!何言ってるのよ」

 

父は自分の死期を悟っていたのでしょう。

 

さすがにもうどうすることもできないのは

 

わかっていました。

 

そんな私がポータブルベッドを借りて

 

父のベッドの横で眠ろうとすると

 

父は私の顔をジーっと見つめてきたのです。

 

私「ずっと見てられると眠れないんだけど」

 

父「まだ見せて。可愛いなぁ。

  お父さんの子になってくれてありがとう」

 

私「恥ずかしいって」

 

掛け布団を顔までかけたのですが

 

父はめくってまで私を見続けました。

 

そして、次第に父の意識は薄らいでいったのです。

 

何を聞いても「うん」しか言わず

 

起き上がることもできず

 

薬も飲めず

 

おしっこの管を入れてもらいましたが

 

一滴も出ない状態。

 

看護師になって3年が経っていたので

 

父とのお別れが近いことを私は悟ったのです。

 

しかし、それでもあきらめきれない母。

 

母「もう一度だけ副院長先生に頼んで」

 

私「連れて行ってももう無理だよ。

  3年もっただけありがたいと思うしかないの」

 

大泣きする母を見ながら

 

私も涙を止めることができませんでした。

 

そして、いよいよ呼吸も弱くなり

 

脈も徐々にゆっくりとなって

 

お別れの時を迎えたのです。

 

亡くなる時、医師が「ご臨終です」と言うと

 

父は一瞬目を開き、涙を流した後、

 

ギュッとまぶたを閉じました。

 

よく聞くのですが

 

人は五感のうち聴覚だけが最後まで残るというのは

 

本当なのかもしれません。

 

この時、父は51歳。

 

あまりにも早いお別れでした。

 

弟は19歳だったので

 

それはそれはショックを受けたのを覚えています。

 

私は看護師さんと一緒に死後の処置をさせて頂き

 

動かなくなった父を連れて帰りました。

 

何よりも辛かったのが焼き場。

 

父、弟、母と3回経験していますが

 

焼き場の扉が開く音。

 

棺を中に入れる音。

 

そして

閉めた後に聞こえる燃える音に身震いがします。

 

正直、2度とあそこには行きたくありません。

 

毎回、目をつぶり、耳をふさぎ

 

崩れそうになる自分を奮い立たせて

 

元気なフリをして、もりもりご飯を食べて

 

親戚に挨拶をし

 

切ない気持ちで骨上げをしてきたのです。

 

でも、それはもうしなくてよくなりました。

 

その分、今はとても気が楽です。

 

お父さん。

 

私に家族をくれてありがとう。

 

お父さんがいなかったら

 

私は父を知らず、姉弟も知らずに

 

母と2人だけで過ごしていたのだと思います。

 

お父さんや弟がいてくれたおかげで

 

私は、多くの経験をすることができました。

 

そして

 

血のつながりなんて関係ないことも

 

知ることができたのです。

 

愛をたくさんくれてありがとう。

 

きっと、お父さんはあの世でお母さんとイチャイチャしているかな。

 

弟はそれをげんなりしながら見ている光景が目に浮かびます。

(どんな光景だよって言われそう)

 

私はこの先、思うがままに生きていきます。

 

だから、心配しないで、あの世で母とラブラブしてね。

 

今回も最後までお読み頂きまして

 

ありがとうございます。

 

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