能登へ向かった3日間の記録
― そこで見たこと、聞いたこと、感じたこと ―
小木公民館
能登チャリティー整体に来てくださった方々、応援の気持ちを寄せてくださった方々、そして遠方から募金を届けてくださった皆さま。本当にありがとうございました。皆さまから託された思いと募金を胸に、10月17日から3日間、能登へ向かいました。
出発の日の朝、車に荷物を積み込みながら、1年7ヶ月前の最初の訪問を思い出していました。あの日、私は震災から3ヶ月後の能登へ向かっていました。友達に少しでも早く野菜やいろいろな物を届けたかったし、報道だけでは伝わらない現実を、少しでも自分の目で確かめたいと思っていました。
初めて能登に入ったとき、景色は言葉を失うほどでした。崩れ落ちた斜面、ひび割れた道路、片側が完全に落ち込んだままの道。車がいつパンクしてもおかしくない、そんな緊張感の中で走り続けた道のりでした。あの時の空気の冷たさや、胸の奥に広がった無力さは、今でも忘れられません。
片側工事の所もいっぱいだけど、道路工事は進んでいました
今回の訪問では、そのときとはまるで違う風景が広がっていました。以前は迂回だらけだった道路も、長い時間をかけて整備され、きちんと舗装されていて、安心して走れるようになっていました。「道が通る」という当たり前だと思っていたことが、どれだけ尊く、どれだけ多くの人の手で守られているのか。整備された道路の上を走りながら、改めてそのありがたさが胸に沁みてきました。
そして、私の目に飛び込んできたのは県外ナンバーのトラックばかりでした。工事の現場も、作業員の方々も、ほとんどが全国から集まった人々。夜になってもライトを照らしながら作業を続けている姿があり、その献身的な働きに頭が下がる思いでした。震災から時間が経っても、誰かがずっと支え続けてくれている。その事実を目の前にすると、胸が熱くなり、同時に私は当時感じた「自分は何もできない」という無力感を思い出していました。
道路を直すことも、暮らしの基盤を整えることも、ひとりでは決してできません。莫大な費用も、人手も必要です。それでも、あの現場を見た瞬間、私は心の中で再び誓いました。「自分の力をもっと大きく育てて、人の役に立てる存在になりたい。税金をたくさん納められる強い人間になろう。」と。
小さな神社はまだまだ壊れたままでした
今回の旅では、現地の方から今の暮らしについてもたくさんのお話を伺いました。震災直後は本当に何もなく、食べるものも、住む場所もなく、精神的に追い詰められ、短期間で激しく痩せてしまった方が多かったそうです。しかし、約2年の月日が経った今、状況はまた別の形で人々を追い詰めています。
未来への不安から、逆に太ってしまう方が増えているという話も聞きました。気持ちが不安定になれば、食べる量も変わるし、体型だって変わってしまう。心と体はつながっているんだということを、改めて強く感じました。
それ以上に胸が痛んだ話があります。震災から時間が経ち、ようやく落ち着いて物事を見つめられるようになった今、
「これからどう生きていけばいいのか」
という大きな不安が押し寄せ、ノイローゼや鬱、自ら命を絶ってしまう方が増えているという現実です。
報道ではほとんど触れられない部分ですが、そこには深くて静かな苦しみが存在していました。
誰にも言えない不安、頼れない現実、戻らない日常。
その中で、心が折れてしまう人が少なくないという事実が突き刺さりました。
また、仮設住宅からアパートへの移行が始まっているものの、家賃の問題で踏み出せない人が多くいることも知りました。年金暮らしの方は負担が軽いものの、収入がある人は高い家賃を払わなければならず、しかもその家賃は年々上がっていく仕組みだそうです。仕事が減った地域で、将来的にも安定した収入が見込めない中で、高い家賃を払い続けられるのか——。不安で申し込みをためらうのは当然のことだと感じました。
さらに、心が締め付けられる知らせもありました。
震災直後、私が野菜を直接渡したママさんが、小学生のお子さんを遺して天国へ旅立たれたという話です。
あの時の笑顔がはっきり残っているだけに、言葉が出ませんでした。
報道されない現実は、まだたくさんあります。
生活が戻っていないからこそ見えないストレスと問題が、次から次へと生まれていることも知りました。
茨城から来た方が鳥居を直されていました
学校の現状についても耳にしました。中学生のお子さんを持つお母さんからは、先生の激務が限界に達しており、部活動の制限や自主練の禁止が続いていると教えていただきました。体を動かすことができない子どもたちはエネルギーの行き場を失い、イライラしたり、荒れたり、悪さをしてしまう子が増えています。先生は「親の責任」と言われ、親は「学校の責任」と言い返し、どちらも余裕がなくなっている。
子どもたちが子どもらしくいられない環境が続いているという話に、胸が痛くなりました。
避難先から戻れず閉鎖された学校もあり、子どもたちが外で遊ぶ姿はほとんどありません。まち全体が静かで、人の気配が遠く、時間だけが止まってしまったようでした。
そんな中でも、整体にはたくさんの方が来てくださいました。施術が終わった後に「出雲まで行って受けたい」と言ってくださる方もおり、そのひと言が本当に励みになりました。片道13時間の道のりも、その言葉だけで心が満たされました。
整体もだけど、お話しをたくさんしてくださいました
能登が以前の生活を取り戻すまでには、まだまだ時間がかかりそうです。
それでも私は、これからも能登に心を寄せ続け、できる形で寄り添っていきたいと思っています。
今回の旅で感じたことは、これからの生き方に深く刻まれるはずです。
日々感謝して生きたいと思います。
たくさんの応援ありがとうございました💖













