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縄文カフェにきています♪

縄文文明をリスペクトするあまり とうとう空想の中に『縄文カフェ』を創ってしまった。
一見どうでも良いような しかし自分的には メッチャ気になる『ふっ』と思ったことを 遮光器土偶のマスターの居るカフェで聞いてもらう空間です。

今日は縄文カフェに来ています♪



水滴が光るグラシアブルーのガラステーブルに



優しい肌ざわりのライム色のソファに腰掛けながら 



マスターのシャコちゃん(遮光器土偶)が淹れてくれた 



めっちゃ美味しい ジュピターブレンドコーヒーをいただいております。





111日今日のカフェは なぜだか特別に静かだ。





ふと『静寂が訪れる』という美しい日本語がよぎった。




『静寂』の意味を調べると〜静かなこと。ひっそりとしている。また、そのさま。〜


と書いてある。




「静寂だ。」だけでも意味は通じるのに




『静寂』が『訪れる』のだ。




『静寂』は どこからともなく やって来ては

また居なくなるってことになる。




意味に戻ってみると〜静かなこと〜




静かことというのは「音がない」ということにも 取れるけど




静寂が訪れる〜せいじゃくがおとづれる




静寂が音を連れてやってくるのだ




「音がない」ではなく『静寂』は聞こえない『音』と共にやってくるのだ。




聞こえない音って




         どんな音だろう?




                 耳を澄ましてみる。












                               シーン










聞こえない音の正体は手塚治虫氏の漫画に出てくる あの『シーン』なのだ。





音の無い音があるのだ。なんと言う日本人の感性なのだろう。(的確に表現した手塚治虫氏はノーベル賞ものです。リスペクト)





意味に戻ってみよう〜静かなこと。ひっそりとしている。





『ひっそりとしている』これもなかなか クセものだ。




なにも無いはずなのに ひっそりと何が息をひそめて隠れてジーっとしている感じ。




何も見えず聞こえず匂いさえもないのに ひっそりとしている『静寂』が『ある』のだ。





空間に そのようなさま(情報)が現れるのを 察知してサラリと『静寂』と名付けしてしまう日本人




実は凄い世紀の大発見をしているのでは ないでしょうか?本気で思っている私(笑)




マスター(遮光器土偶)と言霊談議は止まらないσ^_^;




熱くなってきた〜喉も渇いてきたぞ〜今日は久々に縄文クラフトビールくださいな🍺





夜の静寂(しじま)に月も喜ぶ







縄文カフェは各次元で営業中