16日は青葉の月命日。

お墓もお仏壇もないので、

特にコレと言ってしてあげられることはなかったのですが・・・。


今は和室の床の間にミニテーブルを置いて、

その上にお骨やお供え物を置いているのですが、

お花を買ってきて頑張って自分でアレンジしてみましたキラキラ


☆ぷれママの育児日記☆-2011121911180000.jpg

残念ながらセンスゼロ~ガクリ

素人の限界を感じましたが、

とりあえず出来ることはやってみました苦笑

青葉が喜んでくれるといいのですが・・・。


今年中にはお仏壇を用意してあげたいな・・・。

11月16日。

朝7時半頃に内診。

傷みはあるし、お腹もかなり頻繁に張っているのにも関わらず、

一向に子宮口が開かない。

陣痛促進の膣錠を挿入。

3分後位には強めの陣痛が始まった。

間隔も短くなったし、痛みも強い。

それでも子宮口は開かない。

前日に挿入したメトロが抜ける気配が全くないまま、

分娩台でひたすら痛みに耐えた。

2時間経っても子宮口は3cm開大。

分娩がなかなか進まないので、陣痛室で待機することに・・・。

痛みがかなり強くなり、声を出さないと耐えられない状態になった。

それでも子宮口は開かず、ひたすら耐える。


11時半頃、やはり子宮口は開かず。

陣痛促進の膣錠を挿入。

痛すぎてこの後の記憶はかなり曖昧。

母の話によると、この頃陣痛の間隔は1分位。

「痛い痛い」と大声でわめき、

陣痛が遠のくと突然グッタリして痙攣するように震えていたらしい。

この状態のまま、約2時間耐えた。


強い痛みと張りが来て、少しイキむ。

胎動がポコンとあって、すぐにバルーンが抜けた。

思えばこれが青葉との最後の会話。

最後の胎動だった。


先生が来て内診。

先生と母とダンナが陣痛室の外へ。

「これ以上薬を使っても仕方ないし、

子宮口は開いていないけれど無理矢理出します」

と説明があったらしい。


分娩室に移動して分娩体勢に。

お腹をギュウギュウ押され、「イキんで!」と言われるけれど、

痛すぎてイキめず。

「はぁはぁ息してね~」と言われるが、張るとあまりの痛みに息が出来ない。

お尻に生暖かい間隔があると、先生の声色が変わって深刻な感じに。

「羊水が変色してる」とか「メス」とか「切れるはさみ持ってきて!」とか

急にせわしなく指示が飛び、

「胎盤が先に出てきたな~・・・」とボソっと言った声が聞こえた。

痛みに耐えながらイキんでいると、頭が出た感覚があった。

その後、お腹を色々な方向にギュウギュウ押されながら、

左右に立った看護師さんと正面にいる先生が

それぞれ子宮口を押し広げていた。

あまりの痛みに気が遠くなりながらも耐えていたけれど、

先生の判断で全身麻酔をかけることに。

指示されたとおりに1から順に数字を数えていくと、

「メルヘンの世界に行ってきて~」という言葉が聞こえ、

直後に世界が歪んだ。


何となくツンツンと引っ張られているような気がして、少しだけ意識が戻る。

分娩台からストレッチャーに移されたのが分かり、

処置が終わったことを悟った。

でも、まぶたが鉛のように重くて目を開けられない。

頬をペチペチと叩かれて、少し目を開けると、

「前のお子さん達は母乳で育てたの?」と先生。

「はい・・・」と答えると、看護師さんに母乳を絞られ、

「もう初乳出るね~。良いオッパイだね~」と言われた。

その後、病室に移動しているのはわかるものの、

意識は朦朧としていて体も動かない。

ストレッチャーから病室のベットに移動されたのは分かったが、

同時に下腹部に痛みが。

後陣痛が始まっていた。

意識がしっかり戻るまでの間は、うわごとのように

「お腹が痛い」とか「私の赤ちゃんどこ?」とか言っていたらしい。


意識がハッキリしてから、

私の処置についてや、青葉のことについて母とダンナから聞いた。

すぐに看護師さんが来て、

抗生物質やオッパイが出なくなるような薬などが渡された。

赤ちゃん連れてこようか?と言ってくれたのでお願いした。


看護部長さんが青葉を連れてきてくれた。

そこで、私が胎盤早期剥離の状態であったことや、

青葉が胎内で既に亡くなっていたこと、

子宮口がなかなか開かなかったので、

青葉に少しメスを入れて娩出したこと等を聞いた。


青葉は医薬品の箱に入っていた。

ガーゼや綿でクッションを作ってあって、

青葉の腹部はガーゼで覆われていた。

青葉の周りには、折り紙で作ったサンタさんと鶴がいた。


胎内で亡くなっていたため、顔色は紫っぽい感じだったけど、

最後のエコーで見せてくれた手や、

立派な肉付きの腿、たくましいふくらはぎ、

ちょっと大きめの足は確かに青葉のものだった。

ぷくぷくのほっぺも可愛かった。

顔は海斗に似ていて、特に鼻がソックリだった。

体つきは陽向に似ていて、手足のスラリとした感じが特にソックリだった。

変なのかもしれないけれど、どうしても一緒に写真が撮りたくて、

青葉の入った箱を抱っこしてダンナも一緒に3人の写真を撮った。

直接抱っこはしてあげられなかったけれど、

少しでもぬくもりが伝わればいいなと思った。

たくさんナデナデして、30分位過ごした後、

青葉は霊安室の冷凍庫に帰った。


不思議と安らかな気持ちでその日は過ごした。

産んであげられて良かったと思った。

もちろん生きて産んであげたかったけれど、

青葉と同じ痛みや苦しみを乗り越えたのだと思ったら、

「私は3人兄弟のママなんだ」と思えた。

母と夜遅くまで色々な事を話した。



続く





11月13日。

ダンナからメール。

「陽向の様子が変。自閉症らしい」

そんなことは無いと思いつつ、確認のためダンナに電話。

どうやら義父母にそう言われたらしい。

しまいには、通っている保育園についてもブツブツ言われたそう。

そんなこともあり、ダンナは「堕ろせ」と。

ダンナの意見としては、

このまま妊娠を継続するとしたら、より副作用の強い薬を使わなくてはならない。

そうなったら私にも赤ちゃんにも影響が出る。

もし赤ちゃんが未熟児で生まれたら、私は赤ちゃんに掛かりきりになる。

そうなれば、今いる子供達がまた我慢をしなくてはならない。

それは子供達があまりにも可愛そうだ、と。

じゃあお腹の子供はどうでも良いのかと、

腹立たしくもあり、ひたすら悲しくもあり・・・。

実家の助けを得られる状況ではないし、

そうなればダンナに助けてもらわなければどうにもならない状況。

でも、ダンナはそんな気はなさそうだし、

そうなれば義実家が何を言ってくるか分からない。

ママ友さん達は皆、子供達の面倒を見てくれると言ってくれているけれど、

ダンナと義実家が手放すはずもなく・・・。

もうどうして良いのか分からず、ひたすら泣いて泣いて・・・。

一晩中泣き続けた。


11月14日。

午後にママ友さん達がお見舞いに来てくれた。

色々と話しながら楽しい時間を過ごして、久しぶりに笑った。

この日の夜勤はお世話になっている看護師長さんだった。

実家の状況、ダンナと義実家のこと、ママ友さんたちのこと・・・

色々と話し、師長さんの経験談なども伺い、

私の考えや話も、時折涙しながら熱心に聞いてくれた。

師長さんの計らいで、以前お世話になっていた産婦人科にいる、

この病院の非常勤医師(検診日に予約していた先生)に電話で

セカンドオピニオンを取ってくれた。

さらに、以前の病院の院長にも相談をさせて貰えるようにしてくれた。

院長とは私が直接電話で話した。

私の状況や思いを色々と話すと、同じような患者さんの話を聞かせてくれた。

「赤ちゃんは何かしら意味があってママのところに来たはず。

明日までしか時間がないのなら、今夜一晩は時間がある。

赤ちゃんとじっくり話をしなさい。

何でママのところに来たのか?

ママのお腹でこのまま過ごしたいのか?

それとも、なすべき事が終わって、もうお空に帰ってもいいのか・・・。

赤ちゃんとしっかり話せば、きっと答えをくれるよ」

と言ってくれた。

その晩はずっと赤ちゃんと話した。

話しかけると答えるようにポコンと返事をくれた。

「もしこのままお腹にいたいなら、どんな事でも我慢してあなたを産む。

でも、もうお腹にいるのが辛いなら、もうあなたの仕事が終わったなら、

その時は、明日の朝からギュウギュウお腹を張らせて教えてね」

と言うと、

「ポコン」

と返事が返ってきた。


11月15日。

朝方に強めの張り。

その後は2~3分位で張りを感じナースコール。

モニターを着けると3分弱で微弱な張り。

ウテメリン増量(3A30ml)。

張りの間隔が5分になったけれど収まらず・・・。

その後も様子を見たけれど、8分間隔になったものの張りは継続。

ウテメリン増量(3A35ml)。

やっと張りが遠のいた。

それでも少し動くだけで張る。寝返りだけでも張る。

赤ちゃんから答えを貰った気がした。


午前中の回診で、ウテメリンが極量の4A30mlに上がった。


昼前、実家の母が来た。

元々、担当医から直接病状を聞くことになっていたから。

病室に来る前に師長さんと話をしたらしく、

病室に来たときにはすでに泣いていた。

母も私もやりきれない思いで・・・2人で号泣した。

しばらくしてダンナと子供達がやってきた。

先生にお願いして、子供達と母にエコーを見せることにした。

きっと赤ちゃんが動いている姿を見せるのはこれが最後だと分かっていたから、

子供達にも母にも、赤ちゃんを見せてあげたかった。


赤ちゃんはエコーでたくさん動いてくれた。

画面越しにではあるけれど、目を開けてしっかりと目線を合わせてくれた。

お手々も見せてくれたし、グルグル動く姿も見せてくれた。

足をしっかり伸ばして、立派な腿とふくらはぎをアピールしてくれた。

お股を開いて、男の子だって教えてくれた。

たくさん動いて、母と子供達にその存在を教えてくれた。


エコーの後、担当医の先生と師長さんから病状の説明をしてもらった。

母は何とか妊娠を継続させられないかと尋ねたけれど、

「今現在ウテメリンを極量にしていても少し動けば張る。

そうなると、今日からでもマグセント(マグネシウムの薬)を使わなければならない。

この週数からその薬を使うというのは国内ではあまり例がなく、

また、この薬を使ったからと言って、必ずしも30週前後まで継続させられるとは限らない。

マグセントは胎盤を通り抜けるから、母胎だけでなく胎児への影響も大きい。

短期間使用するならまだしも、今回のケースで言えば、残念ながら

積極的に薬を使って・・・ということはお勧めできません」

という返答だった。

母は泣いた。

私も泣いた。

でも、母に答えを口に出させるのはあまりにも酷だと思ったから・・・

「赤ちゃんを産みたい気持ちは変わらないけれど、どうしてもダメなのであれば・・・

きちんと産んで見送ってあげたい」

と私が結論を出した。

「それでよろしいですか?」という担当医の問いかけに、

「はい、いいんじゃないですか」とホッとしたような表情でダンナは言った。


入院先の病院では中絶手術が出来ないので、

近隣の他の病院への転院手続きをとってもらった。

即日転院して前処置が必要ということで、ウテメリンを外して病院から救急車で転院。

母が救急車の中で付き添ってくれ、担当医も搬送に同行してくれることになった。

ダンナと子供達は、ダンナの車で一足先に搬送先の病院に移動した。

救急車での移動中、2~3分間隔での張りが復活して血圧が乱高下した。

転院先の病院で内診を受け、経腹エコーをして、

メトロ(水風船のようなもの)を挿入して子宮口を広げる処置をした。

個室に移動して、少しの間子供達と過ごし、

心電図を取ったりレントゲンを撮ったり、血液検査をしたりした。

退院するまで、母が仕事を休んで付き添ってくれることになった。


段々と強くなる張りで座ることもできず、

ひたすら横になったまま張りの痛みに耐えた。

生きるために産むのならいくらでも我慢できるのに、

この痛みの先にあるものを考えると辛くなって泣きたくなった。

でも、メソメソ泣くのは赤ちゃんに申し訳ないと思って・・・

私よりも悲しいのはきっと赤ちゃんだから。

ただただひたすらに、痛みに耐えるしかなかった。



続くつづく