少し気持ちも落ち着いてきたので、

青葉とのお別れのことについて少しずつ書きます。


まず、11月8日の夜。

下腹部痛と共に大量の出血。

陣痛みたいに少しずつ痛みの間隔が狭くなって、

同時に尾てい骨あたりも痛み出す。

元々出血があったので、少し様子をみていたけれど、

明らかにいつもと違う痛みだったので病院に電話。

受診するように言われて、子供達を義実家に預けて

ダンナに送ってもらって時間外受診。


内診の間も断続的に痛みが続き、お腹が張り、

張りと共に絞り出されるように大量の出血。

内診や経腹エコーの結果、

赤ちゃんは元気で問題なかったけれど、

内子宮口、外子宮口共に開きかけている状態。

診断はやはり「切迫流産。要入院。」


ダンナはその結果を聞いて渋い顔。

私はすぐにウテメリンの点滴投与開始。

色々とやり取りはあったものの、ダンナと義実家の意見は「中絶」。

とりあえずは入院は仕方ないけれど、翌日には退院しろと・・・。

看護師長さんに、明日にはどうしても退院したいと話し、

翌日出勤してくる常勤の先生に相談してもらえることになりました。


11月9日。

朝イチで張りのモニターを着けて様子を確認。

先生にも相談して、色々と条件付きではあるものの何とか退院。

私の両親も来てくれたので自宅で休んでいると、

義両親と義姉が登場。

義実家は「堕ろせ」としか言わず、「陽向たちが不憫だ」のオンパレード。

旦那はダンマリ。

私の両親は「本人は産みたいと言っているから、それを応援したい」。

最終的には、「アナタはどうしたいの?」と聞かれ、「産みたい」と答えると、

仕方がないというオーラ全開で「じゃあそうしたら?」と言われて終了。


11月10日。

前日から泊まってくれた母が、子供達の世話をしてくれて、

保育園の準備を完了。

義母が送ると言うのでお願いしようと思ったら、

母も呼び出されて義母、母、子供達で保育園へ。

車の中でさんざん、「諦めるように言え」と言われたらしく、

涙を浮かべて帰宅してきた母。

すごく申し訳ない気持ちで1日過ごし、

この日から私と子供達は義実家へ移動。


11月11日。

妊婦検診を受診。

ダンナも休みだったので一緒に向かう。

予約していた先生ではなく、産科の医長が診ると言われ、

何だか嫌な予感が駆けめぐる。

検診では、赤ちゃんは問題なく元気で週数相当の発育。

但し、私の出血が止まっていないこと、

服用のウテメリンでは、薬が切れかかるタイミングで張りがあり、

服薬で様子をみるレベルではないことが説明され、

どうしても入院が必要と言われた。

ダンナからは、「堕ろすとしたらどうなるのか?」という質問しか出ず、

妊娠を継続させるための積極的な意見は無かった。

途中で、「先生と2人で話したい」と言われ、私だけ待合室へ。

様子を見に来てくれた師長さんに色々と話しながら、

今後への不安だらけで泣いてしまった。

何よりも。やはりダンナは堕ろすという方向にしか考えが向かないのだと思うと、

何だか絶望的な気持ちになった。

とりあえず、この日から入院。

ウテメリンの点滴投与もすぐに始まった。


入院中は、赤ちゃんをどうしたら産めるのかをずっと考えていた。

義実家もダンナも堕ろすという考えしかないのなら、

離婚して自分で産んで育てようとも考えた。

けれど、その時点では子供達は義実家が面倒見ている状態で、

このタイミングで離婚を切り出せば、確実に子供達が奪われると思った。

私も就職しているわけではなく、経済力が無い。

考えれば考えるほど、気分がどん底に落ちていくみたいだった。

それでも、元気づけるように動いてくれる赤ちゃんだけが、

味方してくれているように感じた。



続くつづく