【私の知らなかった人生】 

 娘を通して、人生いつ何が起きるかわからない。と、いうことを実感しました。

明日何が起きるか、未来のことは私たちにはわからないのです。

 

人は誰でも病気、事故、自然災害、暴力行為などの、つらい出来事に会うことがあります。 

石川県で起きた地震は、お正月を目の前に控え、楽しい家族団らんを迎える寸前の出来事でした。自然は、時々、牙をむきます。

「なんで自分なの?」と、思うことがしばしば起こります。

 

苦しみとは、避けられない運命の事だと考える人もいれば、人間にはコントロール

できない大きな力が働いている。と、感じている人もいます。

 

私の知り合いのご主人は、お寺さんの石碑に排尿したので、罰をこうむって障碍児が

生まれたと信じ込んでいます。

今でもそのことを深く後悔しています。

障害を持って生まれてくるということは、それほど大変なことなのです。

ほかの子供たちにも影響を及ぼすことになります。

 

例えば、結婚を決めたときには家族を調べられます。

結婚は家族が繋がることにもなるからです。

障碍者の兄弟たちは初めから、結婚をあきらめている人たちもいます。

 

また、両親の都合で、障害者の面倒を見ている兄弟たちもいます。

実際、私は病院で、暴れまわる弟を見ている兄の姿を見たことがあります。

患者さんの目を気にしながら、弟をなだめる兄の姿を忘れることができません。

特に男の子は大人になるにつれて強くなるので手がかかります。

 

父親は家族を養うために仕事をする必要があります。

それで必然的に母親が世話をすることになります。

赤ちゃんの間は、眠っているうちに急いで家事を済ませます。

でもこれは健常児でも同じです。

健常児は大きくなるにつれて、自分の事は自分でできるようになります。

 

寝たきりの子供たちや、意思を自分で伝えられない子供たちは、ちょっと目を離したら命の危険に陥る子供たちも大勢いるのです。

親の愛情を一身に受けて、半年の命と言われていた子供が、何十年も生き続けている姿も見てきました。

本当にすごいなと思います。子供に対する親の愛の深さを感じました。

 

子供に対する愛は、健常児も障害児も関係ないと思いました。

 

特にダウン症の子供を持った家族は大変です。

男の子は、体は元気なので、家でじっとしていません。

いつも動いています。家の中が飽きたら外に飛び出します。

体は健康なのでどこまでも歩いていくのです。

その後ろから、母親が見守りながらついていきます。

 

養護学校で小学校から高校に通っている間も、ずっと続くのです。

 

ある親は、疲れ切って、家の中に特別の部屋を作りました。

外から見えるガラス張りの部屋です。

もちろん割れないガラスです。

男の子が出たい一心で物を投げつけ、怒り狂っています。

疲れて静かに落ち着くまで見ている親は、どんな気持ちでしょう。

 

私はその場に居合わせたことがあります。

自分の娘とあまりにも違うので啞然としました。

でもその子の、お母さんと話をして思いました。

 

どんな障害を持って生まれてきた子供の親も変わらない。

自分がいなくなった時にこの子はどうなるのかを心配しているのです。

 

親が子供の事を考えて作ったガラス張りの部屋を、虐待という言葉で片づけてよいのかと、ふと思いました。

 

何をしても、冷たい世間の目が突き刺さるのです。

障害者の家族というハンディは消えることはありません。

生きている限り.....

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

年を取った親には無理があるのです。