わたしが”幸せ失くした”という悲劇から


立ち直るには、


わたしにできることはひとつだった。


同じコインを手に入れること。


つまり、コスタリカへ行こう。だった。


でも、ずっと行けなかった。


遠いし、あまり情報がわからない国だし、


パナマはもっと危なそうだし。


それが、まわりめぐって、行けた。


2010年2月。


やっと。


7,8年かかっている。


その間、仕事を辞めて、カナダにワーキングホリデーに行き、


帰ってきてから、実家暮らしに呑気に働いて、


それでも、もう夢も希望もなくなり、


煮え切らない自分に疲れて、


ひきこもりみたいな状態になった。


(実際には飲みにはでかけていたのでひきこもりではない)


そんな状態でも、失業保険をもらいながら、無職の人が行ける学校というものに


行ってみた。

3か月、朝から晩まで、この年にみっちりお勉強は


疲れもしたが、でも楽しかった。

そして、友達もできた。



なんかちょっと似たような、でも似てないような人たちの集まりで、


その友達のおかげで、


楽しく通っていた。


そこでできた友達、通称 あやや。


彼女は同じ年で、同じころワーホリでカナダにもいた、という


いままでニアミスしてたような縁がある子だった。


その後、学校も終わって、ひきこもっていたら


友達から合コンやって、と言われて、


あややを誘って、参加した。


そこで、二人とも中南米に興味があることを知り、


行こうという話になった。


わたしはひきこもりのような生活が2年近くなり、


もうその生活を終わらせる意味でも


今あるお金をすべてつぎこんで


あややは仕事を辞めて、


二人で1か月、3か国(コスタリカ、キューバ、アメリカNY)旅行にでかけた。


そこで、はじめてのコスタリカ。


そう、念願だったコインを手に入れた。


けっこうデザインチェンジをしているらしく


もらったものがどれかはわからないけれども


海の向こうの山の奥から太陽があがり、海に船が浮かぶ絵は


どのコインも柄になっている。


コスタリカ国内でバスでの移動中に寄った、お店では


昔のコイン、記念コインも売っていて、


即買い、大量買いもした。


それで本当に幸せになれるかわからなかったけど、


この7、8年はひどいものだったから、


そのコインを手にしたときはうれしかった。


そして、コスタリカでは、


口ぐちにPura vidaがつかわれている。


スペイン語圏は、ヨーロッパだけでなく、中南米にもある。


同じスペイン語でもけっこう違う。


このpura vidaはコスタリカだけ。


英語でいうところのThank you の返事のYou're welcomeの意味だったり、


Are you OK?に対する、I am fineの意味だったり、


元気?、ハッピー!、最高、バイバイ、またね、楽しんで、


と、なんでもOKなステキな言葉。



私にぴったりな言葉に出逢った瞬間でした。


私の名前ともかぶってるんです。


これが、pura vida。



そして、わたしが幸せになったかどうか。


あのパナマの女性に伝えたい。


そんなこんなもあって、


2013年11月


やっと結婚したよ、って。


色々あるけれど


とっても幸せだよって、


伝えたい。


あのとき、あの女性に出会ってなければ、


今の仕事に就くこともなかったし、


結婚することもなかったと思う。


自分の歩んできた人生で


選択を間違ったのでは、


と思うことはよくあるけれど、


やっぱり、


どの道も間違っていなかった。


会社を辞めてなければ、


カナダで大事な友達にも出会えなかったし、


コスタリカに行くこともなかった。


そして、今の仕事に就くこともなかっただろうし、


だんなさんに会うこともなかったと思う。




人との出逢いで、人生がこんなにも変わるんですよ


私も人の人生変えちゃったかな、と思うときがある。


体調悪いと人の気持ちまったく考えられなくなるから


気を付けようと


最近、特に思う。



パナマのあの女性が元気に幸せに暮らしてることを祈って。






英語でいうところの pure life のスペイン語。


この言葉に出会った話。(長いよ)


昔、その昔、羽田空港で働いているとき。


2002年1月から2004年8月のあいだのいつか。


はっきり覚えていないけど。


たぶん、2002年か2003年だと思う。


カウンターやゲートで働く現場の仕事から


内勤のデスクワークに変わって。


ある日のこと。


打ち合わせしたい現場の上司がカウンターにアサインされているので、


ならば、こんな時間だし、制服を着替えて、私服でカウンターへ行こうと思った。


もう夜のピークも過ぎ、出発カウンターは閑散としていた。


その上司はインフォメーションカウンターにいて、話をしていたところ、


小さなカートバッグ(?お年を召した方が買い物とかにもよく持っていくバッグ)


を持った、年配の女性が近寄ってきた。


内容をお伺いしたところ、羽田からすぐ近くのホテルに行きたいが


どうやって行ったらいいか?との質問だった。


もちろん、航空会社には関係ない質問だけど、


もう私帰るところだから、一緒に行きましょう、と


その年配の女性を誘った。


「私足が悪くて」


と言うので、


荷物を持ったり、ちょっと待っててもらって、ホテル行きのバスがあるかを


聞きに行ったりした。


バスはないので、電車で、といっても


2つめの駅くらいのところ。でも駅から歩くにはけっこうな距離。


微妙だと思ったけど、


電車に乗った。


なんか親切にしすぎるのもよくない気がして。


実はとても心残り。


切符を買ってあげて、一緒に電車に乗った。


「実は私、パナマ、という国から来たの。24時間以上飛行機に乗ってきて


とっても疲れていて・・・」


その頃のわたしには


パナマ?


それ、どこだっけ??


だった。


「日系で、だから日本語は話せるのよ。今日、成田に着いて、


明日、国内線で北海道へ行くの。」


今となっては、中南米に移り住んだ日本人に関しては


かなり詳しくなったけれど、


あの頃は、あー、なんとなく、なるほどね、くらいの知識。


今の仕事も、結局はこのときのこの女性と出会ったことも


大きかったのかな、と今では思う。


そして、たった2つくらいの駅だったので、ほんとに少しの時間


車内で一緒にいた。


彼女は降りる寸前にこう言った。


「親戚のお葬式で慌てて、出てきて、お土産もなにもなくて、


こんなに親切にして頂いたのにあげるものも何もなくて、


でも、これ、はい。私の国の隣の国のコスタリカという国のコイン。


めずらしいでしょ。」



そして、渡すときに


「幸せになるわよ」




そう言って、私の手のひらに置いた。



そして彼女は深々と頭を下げて


電車を降りた。


そのコインは海のむこうの山の奥から太陽が上がり、


海には船が浮かび、そんな絵が入った、コインで、


確かに幸せのコインだと、思った。



私は彼女のその気持ちがうれしくて、


とても幸せな気持ちに包まれた。


ここまでは感動の話。


さて、ここからどんだけ幸せになれたのか、っていうと


そうでもない。


その数カ月後。


空港で、お酒を飲んで酔っ払い、


その大事なコインが入ったパスケースをバスの中で落とし、


バスの中なのに、すごい探したのに


見つからなかった。


悲劇。


すごい悲劇。


私、幸せなくした。


もう幸せになれないーーーー


普段、お財布、パスケース、携帯など


ほぼ失くさない


ただ、失くすと絶対に戻ってこない


すごい悲劇


幸せを失くした私がpura vidaにあうまでのお話はpart2で。