自分という人間について、おかしいなと疑問を持ち、ネットで検索して、「ADHD」かもしれないと思いはじめてからの話。

母に「私は発達障害なのではないか」と話した翌朝、母は洗い物をしながら、何気ない口調でひとこと、こう言った。
「今思ったら、昔ケガとかいっぱいしてたんも、多動症やったんかなあ」



これまで長くの間、昔からケガをよくしていたと私に語って聞かせていた母親の口から、それらは全て多動症が原因だったのかもしれないという可能性を示唆され、なんだか今まで信じていたことの常識がすべてひっくり返ってしまったような気すらして、たった一文の母のことばがずっしり重く感じられた。





幼いころの自分の話は、今まで何度も聞いたことがあった。
昔から、私は活発でとてもやんちゃな子だったと、母がよく言っていた。

ただ、ケガが多いということもセットであった。


「危ないからのぼったらあかんで」と言われているのに、机によじのぼる。案の定落っこちて、腕の骨を折り、ギブスをはめる生活を余儀なくされたり。縁側からからだを乗り出して、頭から庭に落っこちて、頭を縫ったこともある。他にも、扇風機に指を突っ込むだとか、炊飯器からあがる水蒸気に魅了され、手を伸ばしてヤケドしただとか、道を歩いていて木にぶつかって顔にケガをしただとか、風呂場でよく転ぶとか、とにかくケガが絶えなかったという。






中学校に入り、通学のために新しく自転車を買ってもらった。

自転車での下校途中、友人との別れ際のことだった。
「じゃあ、ばいばい~!」友人に向かって元気よく手を振って別れた瞬間、目の前にあったまあまあ大きめの溝に、自転車ごと転げ落ちたことがあった。
本当に、別れた瞬間だったし、大きな声をあげて落っこちたので、すぐ友人が戻ってきて、私と自転車を引っぱり上げてくれたので、どうにか助かった。

他にも、朝の登校中、偶然男の子の友達と道で鉢合わせ、自転車レースになり、負けず嫌いな私は全速力で自転車をこぎ、張り合った結果、先に学校へ到着。見事勝利を手に入れたものの、校門に滑り込んだ拍子に、コンクリートの上の砂でタイヤを滑らせ、盛大に転倒したこともあった。

よく転倒したり、電柱にぶつけたりしていたので、自転車は、最初の1年で既にボコボコだった。
ハンドルとカゴ、道を照らすライトは、元ある位置から歪んで、おかしな方向を向いている。




昔から母親にケガが多いという話は聞いていたし、その時々の自分の行動を振り返っても、我ながらそそっかしいとは思っていた。
けれど、まったく努力をしていないつもりはないのに、真面目に生きているつもりなのに、普通はできるはずなのにまわりと比べてみてみるとどうしても自分にできないこと、自分が常々感じる生きづらさ、頭を抱えていた悩みは、当時の自分の行動がADHDによるものだと言われるのだとすれば、説得力は十分な気がした。







今日は、わたしが「自分は普通ではないかもしれない」という疑問をはじめて抱くきっかけとなったできごとの話をしたい。2014年5月中旬から5月末頃のことである。





わたしは、片づけが得意ではなかった。


昔から、私の部屋は、いつも足の踏み場がなかった。
勉強机の上にはいろんなものが積み重なって、本来の役割を果たしていなかった。

出したものを、元々あった場所に戻さないから、散らかっていく一方だという原理は理解していたが、なにしろ、ものを出した時は、どうせまたすぐ使うからと思っているので、元の場所に戻すという必要性を感じていなかった。そのため、そのまま置いておくことがほとんどで、もちろん片付くわけなんてなかった。

しかし、人が家に遊びに来るときはものをクローゼットに押し込むなりなんなりして、片付ければ特に問題もなかったし、特に支障もなかった。うちの家のベランダは、私の部屋を経由するしか辿り着く術がないため、洗濯物を抱えた母はいつも、足場がないから部屋を片付けるように言っていたのをおぼえている。

片づけができない、とは言っても、テレビで見るようなゴミ屋敷ほど汚くはないので、人並みに片づけが下手なだけなんだと思っていたし、この世に生きている人間で、モデルルームのように美しい部屋を持続できる人間の方が稀だろうと思っていたので、特に問題はないと考え、自身の片付けの下手さは世間一般のごくありふれたレベルと信じて疑わなかった。

部屋が片付けられないことに苦痛をおぼえはじめる、つい最近までは。









わたしには兄弟がひとりいる。2つ年下の弟である。

弟の部屋は、私とは真逆でとてもきれいだった。
モデルルームというほどセンスのあるおしゃれな部屋ではないが、物は最小限しか置かれていない、生活感の薄い部屋だった。

物の置き場所は神経質なくらいきっちりと決まっており、出したものはきちんと元の場所へと片づけるので、部屋が散らかることはなかった。机の引き出しの中の配置もこと細やかに決まっているそうで、引き出しの中を触ろうものなら、位置が変わっているから誰かが触ったのではないかとすぐ疑うようなやつだった。
それに対して私はというと、文房具は引き出しの二段目ということだけ漠然と決めてぽいと投げ入れるような人間だった。わたしと弟は、全く真逆の人間であった。

「2番目の子は、上の子が怒られるのを見て育つので、要領が良く育つ」といわれたりするが、我が家は、まさにその典型だと思う。
わたしはようやく生まれた1番目の子でかわいくてかわいくて、お父さん甘やかして育てたけど、弟には厳しかったからなあ、というようなことを母が言っていた。

そうなんだ、と思っていた。










2014年5月某日、わたしは部屋を片付けようとしていた。

2013年4月~2014年4月までのちょうど1年間、わたしは大学の近くで1年間一人暮らしをしていた。
一人暮らしから実家に戻ったものの、忙しさにかまけて放置していたダンボールの山をそろそろ片付けなくてはなあと思い、ようやく重い腰を上げて、引っ越しの際に出たダンボールの荷解きをはじめたのだ。

一人暮らしの女子大生の部屋にしては、物量は多かったのだと思う。
わたしの通う大学は、実家から電車で1時間程度で行ける所にある。取りに行けない距離でもないので、ものを家においてきてもよかったが、やたらと部屋にものを持ち込んだ。買い足したものも多かったように思う。



まあまあ量があるとはいえ、なかなか終わらなかった。
学生でアルバイターなわたしの貴重な休日をつぶして、外に出ることもなく、まる1日家にいたのに終わらない。
仕方ないので、家にいる合間をみつけて、ちょこちょこ片付けするものの、2日、3日、1週間、1か月経ってもなかなか終わらない。




わたしは、人に比べると、感情の起伏が激しい人間なのだと思う。

他人や自分へはもちろんだが、物にも底知れぬいらだちを覚え、いちいちはらわたが煮えくり返ったように憤怒して、怒りの矛先をどこに向けてぶつければいいのかわからないまま、そこらじゅう嘆き散らしているような人間である。
さすがに外出時は自重しているが、家では文字通り、そのまま想像してもらえばいい。


誰しもがみんな、それなりに外で見せない姿があると思うし、わたしの友人たちも、家ではわたしが見たことないような一面を見せているのかもしれない。しかし、それにしたって私の感情の起伏の激しさは異常だとは思う程度には荒れていた。

みんな、家でこんな暴れるかァ?と考えた時に、
いや、みんながみんなこんなだったらきっと世界は大変なことになっているな、と思うからである。
つまり、私はそれほどに感情の起伏が激しい。


母が昔から言っていたことがある。
小学校時代、まわりの友人に娘のことを話す。反抗期だね~と言われる。
中学校時代、まわりの友人に娘のことを話す。反抗期だね~と言われる。
高校時代、まわりの友人に娘のことを話す。やはり、反抗期だね~と言われる。
つまり、わたしは、万年反抗期の娘であった。






片付けの基本「いらないものを捨てる」なんてことはわかっているが、そもそも捨てるようないらないものが見当たらない。その日もいつものように、片づけが終わる兆しは全くなかった。

「なんで、片付けられんのやろ」
そればかり言っていたと思う。

なんで、片付けられんのやろ。何を捨てたらいいかわからん。
私にとって何がいらんもんなんかわからん!!!



今までも、片付けは得意ではなかった。でも、今までなら、一定期間の間に汚くなった部屋を少し汚くなったなと思ったときに、少し片づけをしようと努力すれば、足の踏み場はあって、生活するうえで特に困ることなんてなかったのである。


それが、20箱近いダンボールを部屋に招き入れ、それらを片付けようとしたことで、本来持ち合わせていたわたしの片づけの下手さが爆発的に露呈したのである。





本当に考えても考えても、わからなくて、母にどうしたら片付くかな?ときいた。

「いらんもんを捨てるねん」

そんなこと、わかってんねん!!!!!!

そういうことを聞きたいんじゃなくて。







ツイッターで部屋の片づけができないことをつぶやいたら、大学の友人で反応してくれた子がいた。その子に相談してみると、その子はこの世界にしごく稀に存在するモデルルームのような部屋の持ち主であったことが判明した。

彼女が私にくれた解決策は、母のように漠然とした答えではなかった。

「きちんと物の置く場所を決め、このスペースに収まるだけのものにとどめる」といいんだと教えてくれた。
おかげで、私のストック癖も手伝い、抱えに抱えた、未使用の鉛筆やノートのストックを思い切って捨てることが出来た。






よくよく考えると、具体的な指示がないとどうしていいかわからなくなる、というADHDの症状にはこういうところにも見られたのかもしれない。

気が散って片付け作業が進まないだけでなく、
ものごとを順序立てて考えられず、片づけが下手という部分も含めて。






なんで片付けられないんだろう。なんで片付けられないんだろう。片付けでこんなヒステリックを起こす人、いるだろうか、いやいないだろう。なんでこんな情緒不安定なんだろう。なんでこんな普通のことができないんだろう。

自分という人間に疑問を抱いたのは、これがきっかけだったと思う。


おかしい、と思ったわたしは、片付けられない、約束の時間を守れない、など、自分の直したくても直らない、問題のありそうなキーワードを並べ、インターネットで検索をかけた。その結果、出てきたのがADHDに関する情報だったのだ。





ADHDの症状を見て、わたしは愕然とした。
そこに記されている症状や特徴はわたしそのものを表していると思えて仕方なかった。
よくありそうなことといえども、わたしがまわりのみんなより遥かに程度が甚だしく目立っていて、よくないところだと感じていた部分で、気をつけなければならないとわかっていてもなかなか治せなかったことばかりがそこに書き連ねられていた。


20年間刻み続けてきた点が全てつながった気がした。

わたしが漠然と感じていた疑問や謎が全て解けた気すらした。


世界はわたしが知らないところでまわっていた。そんな気分だった。

率直な感想を言うと、自分は、まるでADHDを絵に描いたような人間だなと思った。

















自分の根本にあった発達障害に気づいたのが5月末、
ブログを書こうと決意して少しずつ準備し始めたのが6月、
お医者さんにADHDという診断をもらい、ようやく記事を落としたのが7月、そして今は9月。

ブログの更新、ずいぶん、日があいてしまいました。



この間に何もなかったわけではないのです。
むしろ書くべき過去のことがたくさんあって、6月から準備していたはずなのに、中途半端に書いてはいるものの、完成しないまま、すべて手つかずでした。もう少し文を練ろうと思ってそのまま先延ばしにしていたら、2か月近く経とうとしていました。早いものです。


私は、昔から三日坊主のようなところがあります。飽き性なつもりはないのですが、継続してこれをする、ということが難しい気がします。それは、その時々の気分で「これしよう」とか「あれしよう」と思ってるからかもしれません。

私は、今日の私が「これをこうしよう」と思ったのと同じくらいの気持ちで、明日の私が「これをこうしよう」と思えているのか、あまり自信がないのです。

20年生きてきたら、自分の毎回の行動パターンは何となくわかります。いつものように、そもそも「これをこうしよう」と思ったこと自体忘れてるんじゃないか、とか、気分が乗らず先延ばしにしてまたやってないんじゃないか、とか。だからこそ気を付けようとは思っているのですが、それがなかなか改善できない。





私は、今日の私が「これをこうしよう」と思ったのと同じくらいの気持ちで、明日の私が「これをこうしよう」と思えているのか、あまり自信がない、と言いました。

これは、20年生きて来て、人との付き合いの中で痛感してきたことでもあります。

友人とお泊りの約束をしたことがありました。約束をした時は、すごく楽しみだったし、行く気満々だったのです。しかし当日になってみると、あまり気乗りせず、行きたくありませんでした。雨が降っていたせいもあったと思います。私は、「行きたくない~~~」と家で荒れて、結局友人に「雨が降ってて、今日は行けません。ほんとうにごめんね。」という内容のメールをしました。きっと行こうと思えば行けないことなんてなかったと思います。私は高校生でしたし、カッパを来て自転車に乗るだとか、母に車で送ってもらうだとか、それなりに手段はあったと思います。でもどうしても気持ちが乗らなかったのです。


また、友人と花火大会に行く約束をしたことがりました。この夏のことです。約束した時は、すごく楽しみだったのです。でも、いざ当日になると正直気乗りしませんでした。この日も、雨が降っていたから余計に家から出るのは嫌だなと感じたのだと思います。正直、どうせ雨が降ってるのならいっそ花火大会中止にならないかなって思って、外に出るのが億劫で、また家ですごい荒れました。いつものパターンなのですが、あれだけ文句を言っても、いざ行ってみると楽しかったりして、嫌な気持ちはカラッと忘れてしまいます。この日もそんな感じでした。パラパラ雨は降っているものの、友人と合流し、なんだかんだ祭りの雰囲気を楽しんでいると、行くのが嫌だなと感じていたことはすっかり忘れていました。
花火大会が始まる直前、友人たちがサプライズで私に小さな花束とプレゼントをくれました。この花火大会は、8月に入ってすぐにある私の誕生日のちょうど直後だったのです。私は嬉しい思いとともに、申し訳なさがこみあげました。
私は、約束したから今さら行かないなんて言い出せない、と渋々あきらめて、少し嫌だなあと思って家を出たくらいでしたから。いくら誕生日の直後の花火大会に行くからといって、友人ふたりがそんなサプライズを考えてくれていたなんて思いもしなかったのです。もし仮に行かないと言った場合を考えるとぞっとしました。やっぱり行けない、なんて言わなくてよかった。そして、気分が激しく変わってしまう自分の癖の厄介さを痛感したのです。


こういうことは、よくありました。

逆に、今日あの子と遊びたいな!という気分になって、今日どこどこ行かへん?とか今日遊ぼう!とか今日暇?なんて、その日や直前に突然連絡を取ることも、人より多いかったかもしれません。

なぜならその日に連絡してその日が暇な人なんてあまりいなかったからです。(私調べ)
それに私もそんな突然誘われることはないし、誘ってもみんな予定が埋まっていて、ほとんど当日ではつかまらないので、これが世の中のスタンダードではないというのは、なんとなくわかってきました。







実は私の誕生日は、8月1日なのです。そうこうしている間に、21歳になってしまいました。

またひとつ、年齢を重ね、おとなになっていくのに、わたしはまだ期待されるようなおとなになれていません。

理想はわりと高く、根はクソがつく真面目です。わりと一生懸命生きているつもりです。
21歳のわたしに期待されること、わたしにとってはプレッシャーでしかありません。