わたしできないこといっぱい。



できて当たり前と思ってたこと
やる前までできるはずと思ってたこと
本心では苦手って気づいてても
できない自分を認められなかったこと



できることもあるけど
できないこともたくさんある自分。



できないこと自体をタブー視してることほど
できないことを認められなくて
自分の中で痩せ我慢してた。



1番の痩せ我慢は
良い母でいたいっていうわたし。

でも実際は
子供に自分の時間捧げられないし
無理して捧げようものなら
すぐに凶暴化するの。キャパ激狭。

子供と遊ぶのも
つまんなくてつまんなくて。。

児童館とか
ちゃんと連れっててあげてるママとか
ほんとすごいと思う。



やっぱり産んだら良い母でいるべきだし
そうできないとかあり得ないって
思ってたから

ストレスで爆発してんのに
なかなかそうできない自分を認められなくて
めっちゃ葛藤してたな。。



でそういう時って
なんかわたしは良い母だって
アピールしたくなるの

良い母の素質ない。無理だって認めたら
なんかそういう周りに認めて欲しい気持ちも
一緒に消えちゃったけど。



でさ、良い母アピールしたかった時は
傲慢だったと思う。

人には見せてなくても
心の中で傲慢だった。

他のママを見下してたし。
わたしの方ができてる、とか思ってたり。

独り傲慢プレー。



で、ふと
ああ、傲慢って痩せ我慢してるから
傲慢になるのかって思った。



世間的にどうなのか知らないけど。
わたしの世界ではそうだ。



自分の素を認められなくて
痩せ我慢してることほど
他人に対して傲慢になる。



逆にだめだめな自分を認めて
もうそのまま生きることを決めて
本当の意味で受け入れたら

傲慢さも自然と消える。



もう傲慢でいる必要が無くなるからなのかな?



自分が傲慢になるのは
自分が痩せ我慢してるから。



で、だめな自分を認めて
痩せ我慢しなくなると

自分ができないことができる人を
素直に尊敬できるようになりました。



「尊敬しよう」とあえてするのではなく
自然とすごいなっていう気持ちが
湧いてくる。



欠けてる自分を認めたら
自分以外の人の凄さを
素直に感じられるようになって。



世界の多様性ってそういうことなのかな。

世界が色んなパーツで組み合わさっている
イメージが浮かんだ。

















わたし
自分の願いのために賢く動くとか
できないたちで。。



うまく動けないことを
どこか駄目だと思ってた。



駄目というか
できるほうがいい。
できないのは駄目、損と
思ってた。



だって自分にとっていい環境を整えるために
うまく周りの人を
コントロールして動かせた方が
得しそうだし、
自分の願いも確実に叶えられそうだから。



ずる賢さに憧れていた
というか。
その方が絶対得してるって
思ってた。



だからそうやって器用に動けない自分は
だから肝心の願いが叶えられない。
駄目なんだって
思ってたんだよね。



演技できないし
うまく言いくるめられないし。
だいたい直球勝負しかできない。
器用とは真逆。



でももう、
たぶん器用にできる人に比べたら
だいぶ損してるだろうけど
うまく動き回れない自分でいいやって
なんかもう頑張って器用になるのをやめた。



だいたい頑張っても超絶下手くそで
器用になんて振る舞えないし。



不器用なら
不器用でいいや。



なんか諦め。



それに直球で生き続けたらどうなるのか
ちょっと気になる。



荒削りの
誰にも気を使わない
そのままのわたしでいたら
一体周りはどうなって行くのか。



なんかどこかで
そんな生き方でいいんだって
自分が言ってる。



本来はそれでいい。

今まではエゴが怖がって
うまく生きようと立ち回っていただけ。
でも上っ面な生き方。
なんかエネルギーの無駄使い。



本来はちゃんとそれでうまくいくのさ。
今まではあなたが邪魔していただけで。
1番邪魔していたのはあなた。
わたしを信じて。



相手なんて関係ない。
言いたいときに言いたいことを言えばいい。
それでいいのだから。



なんかわたしの中は
新緑の景色。
気持ちいいエネルギー。



そっか。
不器用なままでいいのか。

そっか。そっか。