静かな夜だった。 


人も車も通らない、錆びついた倉庫街。 


 その奥、ボロボロに朽ちた小さな倉庫の中に――美智子はいた。 


 天井から吊るされた一本のロープ。 


その輪の下に、古い木箱を置き、
美智子は、ゆっくりとその上に立った。 


 足元がぐらりと揺れる。 


倉庫の冷たい空気が、肌を刺した。 


 (たけしさん……) 


 たった一人、呟いた。 


誰も返事をしない。 


 (私、もう……あなたのところへ行くね) 


 震える手でロープを手繰り寄せ、
その輪を、そっと首にかけた。 


 冷たい感触が、肌に食い込む。 


(怖い……でも、もう、これ以上……生きていたくない) 


 たけしがいない世界で生きること。 


たけしが守ってくれた命を背負い続けること。 


その重さに、美智子は押し潰されそうだった。 


 涙はもう出なかった。 


代わりに、胸にぽっかりと空いた穴だけが、冷たく広がっていた。 


(もう、終わりにしよう……) 


 そっと目を閉じる。 


そして


足元の木箱を、蹴ろうとした、その瞬間。 


 「美智子ちゃん!!!!」 


 激しい音と共に、倉庫の扉が弾け飛んだ。 


 駆け込んできたのは、智亜美と咲だった。 


 「やめてぇぇぇぇ!!」 


 智亜美が、喉を潰しながら絶叫した。 


 咲が飛び込む。 


次の瞬間、ロープに手を伸ばし、必死に引きちぎろうとした。 


 智亜美も、美智子の体を抱きしめ、必死に支えた。


 「いやだ……いやだよ!!美智子ちゃん、行かないでぇぇぇ!!!」 


 ロープがきしみ、
咲が歯を食いしばって引きちぎると、
美智子の体は力なく、智亜美の胸に崩れ落ちた。


「美智子ちゃん!!お願い、目を開けて!!」 


 智亜美は泣きながら、美智子の名を叫び続けた。 


 かすかに、美智子の瞼が震えた。 


「……どうして……」 


 美智子の、かすれた声。 


 「どうして……助けたの……
もう、私は、ここにいる意味なんてないのに……」


智亜美は、顔をぐしゃぐしゃにしながら、それでも叫んだ。 


 「意味なんて、あるに決まってる!!」 


 「美智子ちゃんがいなかったら、私、今ここにいないんだよ!!
私、もう……あの時……いなくなろうって思ってたんだよ!!」 


 「でも……でも、美智子ちゃんが……」 


 声が詰まる。 


それでも、必死に続けた。


「"一緒に帰ろう"って、泣きながら、手を引いてくれた!!」 


 「私がどんなに汚くて、惨めで、誰にも必要とされてないって思ってた時も……
美智子ちゃんだけは、私を見てくれたんだよ!!」 


 「私を――この世界に、繋ぎ止めてくれたんだよ!!」


智亜美の叫びが、倉庫に反響する。


「だから今度は、私の番なんだ!!」 


 「今度は私が、美智子ちゃんを、繋ぎ止める番なんだよ!!」 


咲も、小さな声で続けた。 


 「……生きろよ、美智子。
お前がいなくなったら、たけしも、私たちも……
全部、全部、悲しむんだから……」


智亜美は、震える手で美智子の顔を両手で包み込み、
涙を流しながら、真正面から叫んだ。


「だって――」

「だって――――」 


 「だって、大切なトモダチだからぁぁぁ!!!!」


美智子の胸の奥で、何かが、壊れた。 


 ずっと、固く閉ざしていた扉。 


誰にも触れられたくなかった痛み。 


それらが、一気に溢れ出してきた。


「……トモダチ……?」 


 美智子は、震える声で呟いた。 


 智亜美は、ぐしゃぐしゃに泣きながら、力いっぱい頷いた。 


 「そうだよ!!
大好きな、大切な、大事な、トモダチだよ!!!」 


 「たけしくんも、きっとそう思ってる!!
"美智子を、頼んだ"って――
絶対、天国で願ってる!!」 


美智子は、わぁっと声を上げて泣いた。 


 もう、何も隠さずに。

涙と嗚咽にまみれて、ただ、泣き続けた。 


智亜美も、咲も、黙ってその背中を支え続けた。


「……ごめんね……
生きててもいいのかな……
私、たけしを……助けられなかったのに……」 


咲が、優しく言った。 


 「助けられなかったんじゃねぇよ。
たけしが、お前を守りたかっただけだ。」 


 「お前が生きてることが、たけしへの、いちばんの恩返しだろ?」


美智子は、ぐしゃぐしゃの顔で、
小さく、小さく頷いた。 


 「……生きる……
私……生きるよ……!」 


智亜美は、思い切り、美智子を抱きしめた。


 「うん!!生きよう!!
また一緒に笑おうよ、美智子ちゃん!!」 


 咲も、そっと頭を撫でた。 


 「これからだろ……?私たちの時間は……」 


 倉庫の天井の隙間から、
小さな月明かりが差し込んでいた。 


 冷たい闇の中に、
確かな温もりが宿った。 


そして――

美智子の胸の中に、
静かに、でも確かに、希望の光が灯ったのだった。 


 エンディング 


 病院の空気は、どこかそわそわしていた。 


今日、ついに――ヨシオが退院する。 


 病室には、智亜美、咲、美智子、葵、琴音、瑠璃、そしてたけしを失った皆の想いが、にぎやかに集まっていた。 


 「へへ……退院かぁ……長かったなぁ~」 


ヨシオはベッドに座りながら、やたらとそわそわしている。 


「ほんっと、長かったよなぁ。途中で新しい生き物に進化するかと思ったからBボタン連打してたわ」


 咲がニヤニヤしながらツッコむ。 


「 ポケモンかよっ!! 」


「なんか、背中に羽とか生えてきそうだったもんね~」 


葵がほわほわと無邪気に乗っかる。 


 「いや、俺そこまでファンタジーじゃねぇから!」


 ヨシオが慌てて手を振る。 


 その横で、瑠璃が静かに歩み寄る。 


 「……ヨシオ君」 


「お、おぉ。ん、なに?改まって」 


 瑠璃は笑っていた。


優しい、落ち着いた微笑みだった。 


だけど――その目が、ピクリと細くなる。 


「……思い出したわ。あの日――私、あなたに“連れて行ってあげる”って言ったわね。
“でも、絶対に動いちゃダメよ”って、約束したのに」 


 笑顔のままの鋭い目。 


ヨシオ、顔面蒼白。 


 「そ、そ、それはその、どうしても助けたくて……!あの時の俺には選択肢が……!」 


「選択肢?あら、“命令違反”という名の選択だったのね」 


 瑠璃、さらににっこり。 


 「まぁ、結果的にチャミちゃんを助けてくれたわけだし、許してあげなくもないけど……
……“次やったら、点滴の針を2本刺すわね”」 


 「ひぃぃぃぃぃぃっ!!!」 


ヨシオ、思わずベッドの後ろに逃げる。 


 咲が笑いながら言う。 


「おーこわ。でも愛情だな、うん、たぶん」 


 琴音がボソッと呟く。 


「点滴2本って……どこに刺すんだろう?」 


 その横で、タマちゃんがまたふよふよ昇天しかけている。 


 「うぉぉぉい!タマちゃん帰ってこい!」 


智亜美が慌てて魂を押し戻した。 


 「ところでさ」 


咲がニヤリと悪い笑顔を浮かべた。 


「そういえばさぁ、智亜美。ヨシオが元気になったら、コスプレでもなんでもしてあげるって言ってたよな~?」 


 「ななななな、なにそれ、聞き覚えないっ!!!」


 「言っただろ。私、録音してるぞ。ホレ」 


《録音ファイル:智亜美の敗北》 


 「録ってたんかぁぁあああああ!!!!」 


智亜美、絶叫。 


 「へへっ」 


ヨシオが満面の笑みで言った。 


「じゃあ……なにしてもらおうかなぁ~?」 


 「いや、あの、それはその、ど、どどど、どこまで有効なのかというか、その、あ、いや、まってええええ!!!」 


完全パニックの智亜美。


耳まで真っ赤になってわたわたする。 


 「メイド服?それともウサギちゃん?」 


瑠璃が涼しい顔で追い打ちをかける。 


「や、やめて!!爆発するから私の精神が!!!」


 「ちなみに……」 


琴音がニヤリと笑った。 


「ナース服とかもアリだよね~。だって、ナースは"癒しのプロ"だもんね!……いやー、癒しだけにいやっしー!」 


 沈黙。 


一秒。 二秒。 三秒―― 


「………は?」 


「………」 


(ズザザザザザザ) 


葵のタマちゃん(魂)がまた、そっと体から抜け出してふよふよと漂い始めた。 


「あ、タマちゃんが昇天しかけてる!!」 


慌てて智亜美が、魂をわしづかみにして葵の胸に押し戻す。 


「タマちゃん、帰ってこい!!!」 


「ふにゃぁ……ただいまぁ……」 


ぽわんと葵が復帰する。 


「ま、まぁまぁ……そんなことより、退院祝いしようよ!」 


美智子が慌てて話題を変える。 


それを見て、智亜美はこっそり美智子に感謝の目配せを送った。 


 ヨシオは、みんなを見渡して、ぽつりと呟いた。


 「……やっぱいいなぁ、こういうの……みんなでバカやって、笑ってさ……」 


 咲がにやりと笑う。 


「バカはお前だけだけどな」 


「お前もだろ!!」 


大爆笑が起きた。 


 瑠璃も、珍しく微笑みながら言った。 


「……ほんと、バカばっかり。でも、こういうバカが、いちばん、いいのかもね」 


 智亜美は、ふわっと笑って、ヨシオの方に顔を向けた。 


「……元気になって、よかったよ、ヨシオ!」 


 「うん……ありがとうな、智亜美ちゃん!」 


一瞬だけ、二人の間に、ほんのり甘酸っぱい空気が流れた――

が。 


「で、コスプレはいつ?」 


咲の追撃。 


「やーめーてーよーーーー!!!!!」 


智亜美、また爆発。 赤面しながら、ヨシオをバシバシ叩く。 


「いでででで!! 入院がのびるぅ!!!」 


 みんなが、泣きながら笑った。 


その光景を、美智子はそっと見つめながら――心の中で、静かに呟いた。 


(……本当に、みんな素敵なトモダチだね) 


(おバカだけど――) 


(でも、それが、最高だよ) 


 そのとき。 


琴音が、みんなの期待に満ちた視線を浴びて、ドヤ顔で立ち上がった。 


 「……よし、最後は私が決めるわね」 


咳払い一つ。 


 「ヨシオ……退院おめでとう。これからも、無理せず、“ヨシオーやく”生きてね!」 


 沈黙。 


一秒。 二秒。 三秒―― 


「……は?」 


「“ようやく”とかけてんのかよ!」 


「お前、今のとこだけで200万年くらい寒かったぞ!?」 


「むしろ入院延長してこい!!」 


「もはや医療ミス!!」 


 一斉ツッコミの嵐!! 


ヨシオがベッドから転げ落ちる。 


「ギャグで再入院とかイヤすぎるうううう!!!」


 咲が締めるように言った。 


「はい、というわけで!無事、ヨシオ退院!!」


 「そして琴音、ギャグ不発により"ギャグICU"へ強制送還!」 


 何だかんだでみんな愛されるおバカさん達だね
そんなおバカさん達に退院祝いの 



 ちーーーーーーん 


 こうして、たけしの残した絆は、笑顔とバカ騒ぎと共に、これからも続いていくのだった。