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garden of soul/Punkyのブログ

garden of soul/Punkyの不定期更新日記

3年くらい前にFacebookで
「#7日間ブックカバーチャレンジ」という
キャンペーンがありました。
これは読書文化の普及に貢献するための
チャレンジで、好きな本を1日1冊投稿。
という内容でした。意外と紹介のイメージが
湧いてきて7冊というより7シリーズに
なりましたが当時張り切って投稿しました。。

今年になってその原稿を見返す機会が
あり「せっかく書いたのにこのまま
埋もれていくのは勿体ないな」と思い
ココに転載することにしました!
以下原文ままです。少々長いですが。


 1日目。
1日目は「捨て童子:松平忠輝」
隆慶一郎先生の作品は「影武者:徳川家康」
「吉原ご免状」(←これは劇団★新感線も演ったね)
「死ぬことと見つけたり」(←これはGargoyleの
曲にもなったね。100%僕のせいやね多分)
「一夢庵風流記」(←これはご存じ花の慶次)等、
全て駄作なし。
現代の日本人が忘れかけている魂・礼節・仁義が
全て詰まっている素晴らしい作品達です。


#7日間ブックカバーチャレンジ 2日目です。
本日は山岡荘八先生の「徳川家康」 全26巻。
山岡先生の作品は有名な武将のはほとんど読んだが
この「徳川家康」とか「織田信長」「伊達政宗」等、
僕のお気に入りの武将のは人生で各々3回ほど
読み返してるのや。
実家にも昔からこの「家康」のハードカバーは
あったのやが、親父、読了してたんかな?
もう死んでるから聞かれへんけど。
歴史小説の面白いところは「ほぼ史実通り」という
前提で書かれているという事。
つまり色んな作家が自分の思い入れや好き嫌いを込めて
脚色しても、真実・結末は同じという事やね。
そこに作家の個性が如実に反映されてくるんやね。
山岡先生の作品は、教科書のようにあまり書き手の感情が
込められてないようにも感じるが、実はそうでもない。
僕のような素直な生徒(読み手)の武将の好き嫌いは、
先生の思惑通りに巧みに確実に植え付けられていると思う。
石田三成とか秀忠とか明智光秀とか「こんなヤツが
映画とか大河の主人公でええんか?」と思っている。
「竹千代(人質時代)と信長との出会いの名場面」とか
「斎藤道三と信長の魂レベルでの共鳴」とか、ホンマに
そんな感じやったんやろな~っ、いや、そうであって
欲しいと思える描写にロマンを感じるのや。
この「徳川家康」と番外編:手塚治虫先生の
「ブッダ」は間違いなく僕の人生の聖書である。


#7日間ブックカバーチャレンジ3日目です。
何か段々、ノッてきたな、しかし!
本日は、僕が現在存命中の作家の中では
国内随一・唯一無二の孤高の天才と認める
村上龍先生の「愛と幻想のファシズム」です。
龍先生の作品の特徴は、この「愛と幻想の
ファシズム」や「コインロッカーベイビーズ」に
代表される圧倒的なドラマメイク発想と描写力、
そして「コックサッカーブルース」や
「テニスボーイの憂鬱」等で炸裂する、主人公が
大真面目で演じるエログロ”不可思議おバカ”
ナンセンス風味なのだ。
後者の方の作品群は、ぶっちゃけどっちでもエエが、
前者のオトナのファンタジー、超絶スペクタクル感は
是非、味わって欲しいな。
登場人物の設定(名前も)がこれまたイカスんよね。
ロックっぽい?スカしてる感じ?
僕はこの辺に影響されて1曲作ったね昔。
失礼ながら同姓の某村上春樹氏の世界観を遥かに
余裕で凌駕してしまうんで。
それでも「春樹氏の方がイイわ」という女性とは
僕は合わないと思う。
でも、それ以上に「龍の作品スキやわ~」という
女性とはもっと付き合いたくない。(笑)


#7日間ブックカバーチャレンジ4日目です。
遂に出た。いや、出した!
日本文壇のDark side of the moon!
本日は白川道先生の「病葉流れて」シリーズ。
現代日本において俗にいうピカレスク(簡単に
いうと悪役が主人公)・ハードボイルドという
小説のジャンルは、古くは大藪春彦先生から
始まり、楡周平先生の「Cの福音」シリーズで
ある意味での頂点を極めたと思う。
その後、現代社会の背景(ヤクザの在り方・
暴力の衰退・ワルという言葉の定義)が微妙に
変わり、それに伴い新堂冬樹、馳星周等といった
次世代の作家達が台頭することになる。
その分野の中でも特に異彩を放つというか、
モノが違うというか、突き抜けてトップの座に君臨
しているのがこの白川道「病葉流れて」シリーズや。
銃器の種類、殺戮のエグさ・数、ダーティヒーローの
スマートさ・残虐さ、そういうのではなく一個人の
静かなる異形性、”非”人間力のみが武器なんや。
下方向への”人でなし”加減がズバ抜けているのや。
楡周平「Cの福音」が極上のエンターテインメント、
10万人のフェスの観客の前で演奏してウケるメタリカ
だとすると、白川道「病葉流れて」はそのフェスに
古いアコギ一本で現れて観客を黙らせてしまう
まさに産まれついてのShine on you crazy daiamond、
ブライアンジョーンズもシドバレットもマッ青の
超絶クレイジーキャラなのである!
最初、本屋で見かけた時は題名に惹かれてパラパラッと
見て「あぁ、麻雀の話か~。分からんやろな。
でも、まぁ題名が凄いから買っとくか」って感じ
やったのやが、結論として麻雀を知らない僕でも読めた。
というか主人公:梨田の狂気・根っからのギャンブラー
気質がドンドン覚醒していくというジェットコースター的な
展開に否応なしに引き込まれていく。
これがホンマの”ろくでなしの見本”といったところか。
チマチマとパチンコを打ってギャンブラーを気取っていた
僕にとっては、そもそも人間の種類が違う真性の博打打ちが
破滅に向かって堕ちていく姿を他人事として楽しみながら
見ていたのに、梨田はそうそう簡単には潰れない。
ディストーション無しでヘビメタキッズを打ちのめせる
バンド、短髪で眼鏡やのに不良が怖がる本物の狂気みたいな
モノを感じさせる小説なんよね。
勝ち負けにメチャクチャ拘ってるのに、実は拘ってない。
その過程・スリルを至上の快楽とするって感じ。
小市民って結局、小さい勝ち負けで動いてるやんか。
もう、そこがね、根本的に違うんよね。
説得力というかねじ伏せる力が。
これ、ほぼ自伝的な小説らしいが、確かに自分で経験した
からこそのリアルが感じられるよ。
だって、白川先生の他の作品には、ここまでのパンチ力は
ないも~ん。(笑)


#7日間ブックカバーチャレンジ5日目です。
いやぁ、昨日はかなり入れ込んで書いてしまい
今日は箸休め的に浅田次郎先生「壬生義士伝」です。
コレは泣いたね~。小説読んで涙出たのは
中学生の頃のスタインベック「二十日鼠と人間」
以来やったね。
司馬遼太郎先生らが書いた新選組関連の作品は
数々あれど、これは切り口が変化球というか、
(おそらく)実在しない隊員:吉村貫一郎が
主人公の物語です。
物語の本筋もしっかりしてるが、脇役に回らされた
人気隊員達の描写も素晴らしいね。
僕は新選組題材の小説ではコレが一番好き。
余談ですが岡田以蔵(人斬り以蔵)を扱った
劇団★新感線の「IZO」も秀逸な演目やったね。
森田剛くんの頑張りには感動したよ。
「壬生義士伝」は映画とTVドラマにもなってて、
コレも両方DVD持ってますから興味のある方、
ご一報頂ければ貸しますよ。


#7日間ブックカバーチャレンジ6日目です。
本日は件の村上龍先生に「最後の純文学者」と
言わしめた中上健次先生の「枯木灘」3部作や。
中上先生は徹底して和歌山新宮:路地から発信という
スタンスで田舎の土着的な地味でドロドロした日常と
そこから抜け出せないどうしようもない葛藤を書く。
同じテイストを持つ住井すゑ先生の「橋のない川」ほど
丁寧ではない。無骨である。映画・TVドラマには
し難い。読者への歩み寄りがない。
徹底的に独善的で地味でひたすら暗いのや。
だからこそ主人公:竹原秋幸(アキユキ)の人物像が
より一層浮き立つのかも知れないね。
気が付いたら読了後はこの逼塞した世界観にドップリや。
他作品の路地のババア共の尊王加減にも泣かされるよ。
新宮の路地から伊勢神宮の清掃活動に詣でることを
ずっと夢見て生きているのや。


#7日間ブックカバーチャレンジ最終7日目です。
トリはドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」。
これは理屈や講釈は要らないね。
世界遺産を目の前にして目を閉じる奴居るか?
居らんやろ。読むべし、触れるべし、堪能すべしや!
数百円の文庫本で味わえる世界(時間)旅行や。
内容は大したことない。たかだか”金”にまつわる
人間の物語や。「罪と罰」しかり。
只、昔のこの手の小説は日本語訳の拙さが、その情景や
登場人物の性格を著す事を、より手助けしているように
感じるのや。
僕が小・中学生やった頃に読んだヘミングウエイ
「老人と海」等も、行ったこともない国や時代、
会ったこともない外国人を頭の中に思い浮かべさせながら
ワクワクして読んだもんや。
とりわけスティーブンソン「ジギル&ハイド」とか
ラブクラフトの怪奇モノなんかはドキドキしながら
恐々ページをめくったもんよ。
堅苦しい訳文はその時代を呼び起こすんよね、逆に。


まぁ、なんやかんやで完走した7日間。
「俺、新聞のコラムの連載、毎日でもイケるんちゃう?」
などと思わないでもないが。(笑)
山本一力先生、灰谷健次郎先生等、今回、選に漏れた
というかアトで漏らしたことに気づいた素晴らしい作家の
方々も居るのやが、それは又の機会ということで。
バトン、敢えて回しませんが挑戦したい方
いらっしゃったら立候補のほど宜しくお願いします。
1週間ありがとうございました。

 

題して、球春到来開幕直前!
『幻の関西ダービー再戦!』LIVE at CODA
【 Ulysses vs garden of soul 】
ですね。


ユリシーズとは3回目?4回目?
記録によると前回の関西ダービーと名付けての
共演は2017の4/15ですが、その夜は
演奏後「徳さん」のお通夜に参らせて貰った
何か少し特別な日やったと記憶しているね。

コロナ明けを鑑みて「ボチボチ準備しとこか」と
新曲を含めたリハを始めたんが去年の11月。
ホンマ久々に1から作り上げる喜びとか、
工程を楽しみながら、さながら自主トレから
キャンプインしていくプロ野球選手のような
感覚で仕上げていったね。

さて、それではライブのリポートを。


ユリシーズは素晴らしいね。
もうカバーを越えてるね。
もんじくんが手指骨折の為、歌とハープと
数々の小道具(パーカッション)を。
これがもう秀逸の極み。ここ近年、
益々歌心を感じさせるハッチンのギター
1本のみという状況が、逆に緊張感あって
良いのかもしれんね。
Freeから選曲された2曲も好きやし、
Que sera seraは俺達gosもSlyのアレンジで
演ってたので親しみがあったね。
今回は自分達の準備で余裕がなかったけど
次回はというか毎回でも何か準備して
2組で一緒に演りたい2人なのよね~。

garden of soulのセットリストは次の通り


1.Rhythm man
2.Mis. Sullivan(新)
3.Why should I doubt(新)
4.Ape shall not kill Ape
5.Heathen in Heaven
6.黒の肖像
7.世界のくぼみ
8.garden of soul
E.時計を進めるな


まぁ、新曲のお披露目を含めて
及第点のライブやったんではないかな?
MCでも言うたけど「アクリル板とか
遮断シートとかマスク着けて人数制限とか

ロックちゃうやろ!」って感じで
コロナ明けるのじっと待ってたんよね。
だからこの機会にと、リモートワーク的な
録音作業(2枚目リリース)で凌いでた。
それはそれでライブ空白の期間の意味は
十分あったよね。
つまり社会がどうこうより俺の気持ちが
「コロナ禍でのライブ」に
萎えてたんよね。
だから少々フライング気味ではあるが
今回は満を持しての待望のライブ再開
やったんよね。


まぁ無事に再スタートを切れてホッとしてる
感じかな?
友達にも会えたし「やっぱりライブありき」
やなとも思うし。去年亡くした友達の分まで
頑張らんとアカンし。とにかく

「俺達の居場所」を再確認できた夜やったね。

そんなわけで次回は未定やけど
頑張って演奏していきますね。


 

そもそも僕がBeatlesのキャリアの中で
一番魅力的に感じていたのが映画let it be
の頃である。
中学生の頃、その魅力にドップリ浸かり
とりわけJohnにはやられた。
長らく好きだった曲はDig a ponyや
Don't let me down、Across the 
universe辺りの
”ド”イギリス的な空気感、
歌声、興味深い詩満載の曲達である。

このGet back session以前のLet it beで
我々が読み取ることが出来た感覚は、
ヨーコを解散の戦犯と思わせるような
トゥイッケナムでの暗い映像と
ルーフトップでの痺れるが何となく
悲壮感溢れるライブシーンからだけであった。
しかし、今回のGet back sessionでは
意外と言うか、肩透かしと言うか、
何せ全員
断然仲が良いのである。
笑いが絶えないのである。

僕の独断で言えばJohnとRingoは中立
「他の人の提案には取り敢えず乗ってみよう、
やってみよう」というスタンス。
Paulはたとえ嫌われ役に回ってもバンドを
牽引していく感じ。本人も言っていたが
「ここ何年かはいつも僕が提案して叱り役で、
君達は何もせず、まるで3対1だ」みたいな。
Georgeは自分の楽曲制作とバンドアレンジへの
意欲は旺盛だが、事あるごとにPaulと対立
しているようにもみえる。
まぁ、Paulの要求が具体的ではあるが
観念的でもあり非常に分かりづらいというのも
あるけれどね。
反してRingoには友好的、Johnには
信頼を寄せている感じ。終盤ではJohnに
「ソロアルバムを作って自分の楽曲を
開放させたいんだ」と心情を吐露する
場面もある。ちなみにヨーコは
その横で「いいんじゃないかな」と
賛同している。まるで兄貴夫婦に
相談を持ち掛けている弟のようである。
ヨーコへの印象はこうだ。
Paulの弁によると「JohnとYokoの
若い二人はずっと一緒にいたいんだ。
それをどうこう言う権利は我々にはない。
ヨーコがフェンダーのアンプに座ってたから
解散したなんて50年後に僕達は笑われる。
そんなの大したことじゃない」と。
スタジオには他のメンバーの家族も
ガンガン入ってきてたしね。
その光景はそこだけ切り取ってみれば
至って和やかなもんである。


でも、何かしらバンド末期の不穏な空気
というか行き詰まり感は漂ってはいた。
実際、セッションの途中でGeorgeは一旦、
バンドを脱退する。しかし話し合いでバンドに
戻ると何もなかったかのように作曲活動は
和やかに速やかに進むのである。
閉塞感を打開したのは途中参加のビリー
プレストンの存在も大きい。
練習中もふざけ合い笑い合いながら
ボディコンタクトも多く距離も凄く近い。
本当に嫌いならあの距離で座って
狭いコンソールルームでリプレイを聴きながら
居れないと思うな。
Georgeが皆にワインを入れて分けて上げたり
Johnも「Paulはどう思う?」とか
誰かを置き去りに話が進むこともない。
Johnは終始ふざけてジョークを飛ばし
変な声色で歌ったり歌詞を変えたり、
変顔をしたり、時には
踊る!
それに呼応してPaulもふざけたりハモったり。
その光景を見てアトの2人も本当に楽しそうに
笑い演奏に参加しているのだ。
JohnとPaulのハモリ、掛け合いは

2対の犬がじゃれ合いながら走ってるような、
お互いの能力(音域・タイミング)を
知り尽くした上での高等な「遊び」とでも言おうか

心底分かり合えた仲でしか成しえない歌唱だ。

撮影当初の目的としてはライブ演奏込みの
TV特番と、アルバム制作だった。
ライブは海外でとかセットを組んでとか
色々な案があったが没り最終的には
アップル社の屋上でとなる。
で、TV特番は中止、撮ってきた映像は
ドキュメント映画にするという事になった。
リハ映像ではLet it beとAbbey Roadの曲が
混在して作曲作業が進められているが映像内では
未だ完成には至っていない。
その仕上げというワケでもなく日程的な関係で
録音の途中に仕上がってる6曲で
ルーフトップライブを決行することになった。
これも驚いたことに前日までポールは
消極的だった。彼は花火を上げるとかもっと盛大な
フィナーレを求めていたのだ。
積極的なのはJohnとRingoだけ。
それなのにあの圧巻のパフォーマンスは
正に
化け物である!
最後のテロップに「これが4人の最後のライブ
パフォーマンスとなった」と出て全てを理解した。
楽しそうなリハーサル映像を観ていても、僕が
何故か悲しかったのは最後の結末・解散を
知っているからだったのだ。
あの関係性を見た後での解散は、、、
う~ん誠に残念である。

こうなるとこの直後のAbbey Road録音の映像を
俄然観たくなる。ないか~。