日曜の朝は部屋の掃除から。
BGMはOldies Radioというアプリで「18.1FM-Good Time Oldies」という番組に合わせるのが定番。
ラジオを聴き始めた小学生の頃も日曜の朝にどでかいステムコンポで「ヤングヒット10」というローカル番組を聴くのが楽しみだった。
チューナーのダイヤルを回して、いい感じに聴こえる所に受信チャンネルを合わせるのに時間がかかったような気がする。
ラジオを毎日聞くようになったきっかけは、欽ちゃんのドンといってみよう!通称「欽ドン」。70年代に一世を風靡したコント55号の萩本欽一がパーソナリティーで、毎日夜の9時台(?)だったかに10分ほど放送されていたはず。
レコード大作戦、ドジシリーズ等、曜日ごとにテーマが設けられていたけど、リスナーから投稿された会話形式のネタを紹介する「ああ勘違い」のコーナーが一番好きだった。
投稿作品のできによって集英社(番組スポンサー)の雑誌名でノンノ賞とか、プレイボーイ賞、ジャンプ賞なんて賞が贈られていたっけ。
CMに入るタイミンクで流れる♪集英社の雑誌です♪のフレーズが懐かしい。
歌手の中山恵美子がパーソナリティを務める「エミコの長いつきあい」も、欽ドンの終わった時間の後(欽どんの前だったかも・・・)に流れていたので毎日聴いていた。
番組冒頭、彼女が歌うテーマ曲の後に「北は北極から南は南極まで、入るところは入る、入らないところは入らない。HBCが誇るエミコの長~いつきあい、聞こえてるダイヤルはそのままに、あっそのままに・・・」の挨拶は今でも耳に残っている。この挨拶は放送局ごとに違っていたとのこと。
欽どんのお笑いから一転、どちらかというと静かに時が流れて行くような彼女の語りの虜になった理由は、今となっては全く覚えていないのだが、小学生のガキんちょが夜の10時近くに、20歳を過ぎた大人の女性のラジオを聴いていたのは、決して孤独な時間のすき間を埋めるとかなんてことではないのは明白。
彼女の夕ごはんはカレーにしましょうって曲は名曲です。
この番組が好きすぎて、同じくこの番組が好きだった同級生と一緒に、番組を真似たオリジナルのラジオ番組もどきを作って録音したなんていう、恥ずかしい思い出も(笑)
この頃にはどでかいシステムコンポではなく、マイクが飛び出す日立のラジカセ「パディスコ」を兄から借りて聴いていたのも懐かしい一コマ。
ちなみにこの中山恵美子、一風堂の見岳章と結婚して引退してたんですね。今頃になってウィキを見て知りました。
中学生になるとさすがに欽ドンからも、エミコの長い付き合いからも卒業。音楽好きならFMを聞かなきゃってわけではないが、中二の頃に始まったNHK-FMの「サウンド・ストリート」を聴くように。
水曜の甲斐よしひろ、木金の渋谷陽一をよく聴いて少しだけ大人になった気分を味わっていた。
高校生になる頃には、水曜の甲斐よしひろの後を継いだ烏丸せつこ(!)の男勝りな語りにノックアウトされながら、月曜の佐野元春、火曜の坂本龍一も聴き始め、サウンド・ストリート漬けの毎日を過ごしていた。
就職して独身寮で暮らすようになって暫くは子守歌代わりにジェット・ストリームを流しながら眠りにつく日々を過ごしつつ、外販なんかに出かける時は主婦向けのローカル番組をカーラジオで垂れ流すくらい。結婚してからは家でラジオを聴くことがほとんどなくなってしまった。
再びラジオを聞くようになったのはインターネットの登場に拠るところが大きい。
Apple musicにあったインターネット・ラジオでオールディーズや60年代、70年代のロックを流し続ける多くの番組を知り、飛びつくように聞きまくり、ラジオ番組の集合体のようなポッドキャストでモッズの森山達也の番組が始まったのが追い討ちをかけた。
残念ながら森山達也の番組は終了してしまったが、コレクターズの加藤ひさしと古市コータローによる池袋交差点24時は長く続く人気番組で、書籍化までされたり。
2023年の現在、手持ちのラジカセにもコンポにもラジオチューナーが搭載されてはいるが、それらを使うことはない。スマホでradikoを使えばチューニング不要、高音質でラジオ番組がいつでも好きな時に聴けちゃったり。音楽ジャンル毎のラジオアプリも選び放題で快適このうえなし。
それでも、あの頃布団の中で必死にダイヤルを回しながらチューニングを合わせて聴いていたラジオもなかなかだったと思えるのだ。
最後にラジオといえばこの3曲ってのを。
今週も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。