1986年
ゾロ目の22歳を迎えた年。

この年辺りから世間ではバブル経済絶頂期を迎えようとしていたんじゃなかったかな?
でもあの頃、浜田省吾のMONEYの歌詞♬この町のメインストリート僅か数百メートル♬をよく口さんでいた記憶があるくらいの田舎町に住む者にとっては、バブルの恩恵なんてもんはなく、そんなもんはテレビの向こう側の話くらいのものでしかなかったが、東京に住む彼女から話を聞くと、同じ年の彼女にでさえもそれは確かなこととして実感できた出来事らしい。


まぁ、そんなことは横に置いといて、ボディコンの登場、初の社会党女性党首土井たか子の「やるっきゃない」、ビートたけしのフライデー襲撃事件等々、この年もなんだかんだと騒がしい一年ではあった。そういえば、おニャン子クラブなんてのも流行ってて、仕事が定時に終わった日は、彼女たちが登場する夕やけニャンニャンを見ながら独身寮での夕食というのが定番だった。


自身にとっての大きな出来事は、生まれて初めて飛行機に乗ったことと、固定電話(ダイヤル式!)を部屋に設置したことか。まぁ、どちらも当時の彼女(今の連れ合い)絡みではあるが。


そんな田舎町からデビューしたロックバンドBe Modernがデビューしたのはこの年だった。

この町でバンドマン風の若者を見かけたことなんてほぼゼロに等しかったはずなのに、モッズと同じエピック所属で、しかもモッズのライブのオープニング・アクトにも抜擢されたなんて話にかなり驚いたものだ。ファーストアルバムはどの曲もその田舎町で過ごした青春の日々を綴った佳曲揃い。とにかく聴きまくった。

その後、たまたま知り合いとパチンコ屋で出くわした時に、その知り合いと一緒にいたのが帰省中のボーカリスト天坂君で、パチンコ台の前で紹介してもらったこともあったっけ。


デビュー曲「次の汽車に乗って」は、今でも無性に聞きたくなる夜がある。


この頃位からビート・ロックなんて言葉も聞こえてくるようになり、そんなのにカテゴライズされるバンドが自分の嗜好に合っていてよく聴いていた。

「口から出そうだ」のコピーと、トルネードのジャケットが印象的だったTHE SHAKESのデビュー・アルバム。

メッセージ性はそんなに感じられなかったが、A面一曲目のR.O.C.K.TRAINのノリがなんか気分だった。


ルースターズを脱退して九州に戻った池畑潤二が元ハイヒールのボーカリスト柴田らと結成したZERO SPECTREのアルバム発売を雑誌DOLLの記事で知り、わざわざ札幌まで出かけて買ったことも。

二人の元バンドから想像していたのとはだいぶ違い、かなりダンサンブルなサウンドに驚き。多くの打ち込みを使った意図は先のDOLLのインタビューで池畑が語っているが、当時の自分にはいまいちピンとこなかったのか、このアルバム以降の彼らのアルバムに手を出すことはなかった。そんなのとは逆にこのバンドに対する注目度は高かったようで、ほどなくメジャーデビュー。

その後は、池畑の脱退とともにバンドも解散となったようだ。


RBFレコードを率いていた西村茂樹のパンクバンドTHE LOODSが残した唯一のオリジナルアルバムSTOP FUCKIN’ AROUND!も札幌のインディーズショップに出かけて買ったはず。

疾走しまくるハード・パンクであるのに、他の似たようなバンドとどこか違って聞こえたのは、P-モデルの平沢進が何曲かでキーボードを弾いていたことも影響していたのか。その後、バンドはラウド・マシーン~グルーヴァーズと発展していくが、西村茂樹はバンドから去っていくことに。

また、ニュー・ロティカのベーシストとして長く活躍しているカタルもこのTHE LOODSのメンバであった。


元モッズのギタリストで、法務教官として非行少年の更生に携わっていた経歴がかなり注目された白浜久のデビューア・アルバムNON FICTIONもよく聴いていた。

モッズに近いサウンドを期待してレコードに針を落としたのは当然のことだったが、見事にその期待は裏切られた。

ただ、それは決して悪い意味ではない。 


このアルバムで聴くことができるメロディを支えるサウンドはロック・バンドのそれとは違っていたが、ロックそのものであったのは、その後、ARBの石橋凌に乞われてバンドに加入したことからも明らかなはず。


アルバムラストの六月の雨のに震える。



花田裕之ボーカルのルースターズの中でも断トツに骨太なサウンドが響くアルバムKAMINARI。 

大江不在のアルバムの中ではこのアルバムが自分には一番ハマっていた。

この年の秋に渋谷ライブインで観た彼らのライブは生涯№1の激しさだったと言ってもいいくらいの熱さと暑さ。
途中ステージから何度も客席に向かって氷がバラまかれていたほどの酸欠ライブを体験できたのは貴重。
それもこれもこのアルバムのリリースがなせる業なのか。


ルースターズのライブと前後して高円寺や三軒茶屋巡りをしたのは完全に雑誌DOLLの影響。
ここが日本だフジヤマだのコピーが印象的だったレコードショップ三軒茶屋フジヤマの店舗を初めて目にした時の感動と光景は今でも鮮明。

この店頭前で招き猫かげき団(ゼルダのサチホとサヨコのユニット)が演奏したのかなんて感慨にふけったり(笑)


店内に進みたまたま手にしたビデオ1 PLUS 1 CONCERTにリザードのクレジットを見つけ震えたのは、そのビデオの存在を知らなかったから。
動くモモヨを観ることができる感動を与えてくれたフジヤマに感謝。他にはリアルのソノシートも購入。今となってはどちらも手元に残っていないのが残念至極。


クラッシュのラスト・アルバムCUT THE CRAPのリリースを知ったのはこの年初めのDOLLの記事と広告。
なのに買おうとしなかったのは髪の毛の色がオレンジに変わったジョーの姿に違和感を感じたからなのか。今となっては思い出すことができない。
広告のコピー「それは、壊すことから始まった」が少しだけ悲しい。