1985年、昭和もついに60年を迎えた年。

豊田商事の事件、日航ジャンボ機の事故、桑田選手涙のドラフト等々、世間では大きな出来事がいろいろあった年。
自分が入社した会社も大きく組織形態を変え、ドリフの8時だよ全員集合が終わりを迎える等、何か世の中が大きく転換していくような、そんな気配を感じた年でもあった。

また、自分の周囲では、独身寮の先輩たちの結婚ラッシュ、同級生もちらほらと結婚し始め、大人への階段を着実に登り始めていた。
確か自分も東京に住む彼女(今の連れ合い)と付き合い始めた頃だったはず。


世の中の動きに合わせるように、転換期を迎えようとしていたバンドも多く、自分もそれまでとは違った嗜好のロックミュージックに手を出し始めた年だった。



活動を停止していたリザード(モモヨ)がワカを迎えてライブを行ったニュースに呼応するかのように、地引雄一氏のフォト集と1979年のライブを収めた彼岸の王国がリリースされたのは、リザードアーミーの自分にはビッグサプライズ。

ジャケットがファーストで映された工場群を更にズームアウトしたものが採用されたのもグッときて、リザード復活の日も近いのではと思わされた。



前年に続き、その活動が更に拡がりを見せたモッズ。


ボーカルの森山達也はファーストソロアルバムJUST A PRETENDERを発表。

シングルのLoveかくし色は化粧品会社のCMとタイアップした効果が絶大で大ヒット。ブラウン管の向こうには、ちょっと洒落た、そしてギターを持たずに歌う森山達也の姿、そんなのを何度も目にしたっけ。

当然モッズのロックスタイルとは大きくかけ離れていたのは、サウンドプロデュースに土屋正巳を迎えたことが大きかったのはもちろんだが、いちボーカリストとしての自分を表現するための森山達也にとっては必然のことだったのかも。



そのモッズはリーダー森山達也不在からということではないだろうが、ギターの苣木寛之がサウンドプロデュースのイニシアチブをとりレコーディングを進めた5thアルバム BLUEをリリース。

それまでとは異なり、かなり作りこまれ感があるサウンド。それでも、やはりそれは揺るがないモッズのロックンロールサウンド。映画夜のハイウェイのサウンドトラックのような位置づけにとられがちだが、その後のセルフプロデュースの礎となった、ちょっとだけポップさも感じる良質なロックンロールアルバムだ。


そういえば、モッズと同じレコード会社だったBe Modernのボーカリストと仲の良かった知人の息子さんを通じて映画夜のハイウェイのビデオテープ(サンプル盤)を貰って狂喜した思い出も。



新メンバーでは2枚目のアルバムとなる砂丘1945年をリリースしたARB。

A面ラストのAFTER’45は石橋凌のその後を決定づけることになる映画ア・ホーマンスの主題歌にも採用されたりと、ファンの中でも人気が高い曲だが、今となっては光浩作曲の明日かもしれない、DEEP INSIDE、岡部作曲のTHE WORKERと、その後バンドを去っていく二人のメンバーが残した曲の方が自分にはしっくりとハマるのだ。



ついにフロントマンの大江慎也までがバンドを去ってしまった(というか、本人的にもバンド的にも単に療養のための一時離脱と考えていたはずの)ルースターズが花田をメインボーカルに据えリリースしたNEON BOYは、その前の12インチシングルSOSで示したポップだけどハードなサウンドを踏襲したものだったが、それまでのルースターズとは別なバンド、と思えば別な聴こえ方がしてくるはずの良盤。



その他九州関連では、満を持してリリースされた山善のデビューシングルキャデラックは、その伝説も相まってかなりパンキッシュなサウンドを期待するも、意外にオーソドックスなスタイルに驚いた記憶。バックのミッドナイトスペシャルには元ルースターズの池畑潤二、元ロッカーズの穴井仁吉がいたんじゃなかったかな?博多周辺での逸話が大きすぎる30歳での遅咲きデビューであった。 



それまでなら多分手を出すことがなかったタイプのミュージシャン尾崎豊の回帰線を買ったのは、多分、前年の野音で開催されたアトミックカフェというイベントライブで見せた伝説のダイブの記事を宝島で読んだからだろう。

10代のやるせない思いをストレートな歌詞とサウンドに乗せたアルバムは当時のヘビロテになったものの、彼のアルバムを買ったのはこの一枚だけ。傷ついた10代の想いが吐露される歌をリアルタイムで聴くには、すでに社会人となっていた20代の自分には遅すぎただけのことだろう。



同じく傷ついた10代を歌ったエコーズのデビューアルバムWELCOME TO THE LOST CHILD CLUB。

その後のアルバムも聴き続けたのは、パンクロック、ニューウェーブを通過したことが伝わるサウンドに加え、10代を題材にしてもそこには大人になった者の視点と文学の匂いも感じられるメッセージ性の高さからなのかもしれない。



深夜のミュートマ・ジャパンで流されたもォやだ!のミュージック・ビデオの杏子の姿と声にノックアウトされて即買ったのはバービーボーイズの1st OPTION。

これもかなりの頻度で当時のターンテーブルに乗せた1枚だが、やはり自分の嗜好とは大きくかけ離れたスタイルだったからだろう、結局、その後のアルバムは買わずじまい。それとは反対にバンドはどんどんと売れっ子に。

そんなことから、バンド解散後、ベースのエンリケがストリート・ビーツのメンバーに加わった時はかなりの驚きだった。



小山卓司のPASSINGは、一枚を通して聴くと大人になってしまった一人の男の小説を読んでいるようで、子守歌代わりに電気を消して潜り込んだベッドの中でよく聴いた一枚。

最近は元ARBのギタリスト白浜久と一緒に活動されていることも多いのがなぜだか嬉しく感じるのだ。



他にもハウンドドッグのff(フォルテシモ)、爆風スランプのしあわせ、辺りのヒット作を聴いてたのは、ロックとはかけ離れた嗜好を持つ当時付き合い始めた今の連れ合いの影響だったのだろう。


ということで、今週も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。.