入社2年目の1984年は20歳を迎えた年だ。
すでに社会人として働いていて、酒もタバコもとっくにやってたし、運転免許も高校生の頃に取得済。そんなもんだから「俺もようやく大人の仲間入りだ」みたいな感情は一切なし。周りの大人たちから見たら、随分と生意気な奴だったに違いない。
この年のエポックメイクな出来事は何と言っても車を手に入れたことだろう。
2023年の現代では若者が車を所有するなんてのはかなり珍しいことらしいが、1980年代は車を所有することが若者のステータスだった、なんとも懐かしい時代である。
初めての車は黒の(決してブラックとは言わない)三菱ランサーターボ。当然、中古だったが。
購入時はまだ未成年の19歳の小僧が車を買うための100万円近くの大金を借りられた(確か割賦払いというやつだった)のは、会社に出入りしていた銀行のお兄さんのお陰だったはず。なんとおおらかな時代だったことか。
独身寮の先輩たちの車のカーステレオからはマイケル・ジャクソンのスリラーや、カルチャー・クラブ、マドンナなんかのお洒落な音楽がよく流れていたが、自分のカーステレオにセットされるのはパンクロック。車で聴くためにはレコードからカセット・テープに落とし込む作業が必要だった。
というこで、そんな1984年に聞いていたいくつかを。
この頃のロック関連の情報は相変わらずパンク雑誌のDOLLと宝島。これにフールズ・メイトが加わったのはもう少し後だったか。DOLLではこの頃からナゴム・レコードやRBFレコード広告を見かけるようになったんじゃなかったかな。
その宝島からリリースされたスターリン遠藤ミチロウの初ソロ作品はカセットブックという当時でも珍しい形態。
文部省唱歌の仰げば尊しのパンクバージョンに始まり、ワイルドで行こう、ハロー・アイ・ラブ・ユー、割れた鏡の中から、好きさ・好きさ・好きさ等々カヴァー中心のナンバーの中にあって、オリジナルの「お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました」は、そのタイトルも含め、あまりにも鮮烈な一曲だった。
ちなみにバックでギターを弾いているのがウィラードのJUNというのもかなりレアでは。
そのミチロウがスターリン名義でリリースしたFish Inn。
通販予約には解剖室のソノシートが付くというなんとも嬉しい特典が。
前作「虫」から一転、深く沈んでいくサウンドが衝撃的で、田舎町の四畳半の部屋で毎日繰り返し聴いていた記憶あり。
田中一郎脱退という衝撃的な出来事に続いて、サンジまでがバンドを去ってしまったARBが新メンバーでリリースしたYELLOW BLOOD。
タイトル曲のYELLOW BLOODのミュージック・ビデオは石橋凌の歌舞伎顔はどうかと思ったが、新メンバー斉藤光浩、岡部滋のソリッドなプレイにほっと胸をなでおろした。というか、かなり期待を持った。
初めてARBのライブを体験したのも確かこの頃、札幌道新ホールで。
こちらも池端潤二に続き、井上富雄まで脱退したルースターズ。
バンド名の標記もSからZに変わりリリースされたニュー・アルバムはそれまで12インチでリリースされた曲ミックスを変えてはいるものの半分を占めており、やや新鮮味に欠けていた。ただし、タイトル曲GOOD DREAMS、ハード・レイン、サンハウスのカバー曲オール・アロン、これら残りの曲が美しくまとめられたのは、新メンバーだったからこそなのか。
ルースターズもこのアルバムリリースに合わせたツアーの札幌公演(大谷会館!)でライブを初体験。噂どおりにどこか危なげで焦点の定まらない風の大江慎也が立っていた。
シーナの産休で三人のロケッツで制作されたROKKET SIZEもよく聴いていたが、シナロケのアルバムは一枚も持っていなかったのに、なぜこのロケッツだけのアルバムを買ったのか?きっとDOLLの記事に影響されたのだろうが。
前年のHOT & COOLでスター・クラブにノックアウトされ、遂にメジャー第一弾となるHELLO NEW PUNKSに大きな期待を抱いたのは当然であったが、期待があまりにも大きかったからか、塊感が感じられずかなりガッカリであったのが正直なところ。それでも特典のポスターは独身寮の四畳半の部屋にかなり長い間貼られていたのだから、なんだかんだと聴きこんではいたのだ。
THE MODSは激しい雨がに続き、バラッドをお前にがスマッシュ・ヒット。
テレビドラマ「もう高校はいらない!」の主題歌というタイアップが功を奏したのだろうが、今でもライブで歌われるのはやはり曲の良さがあってからだからこそ。
シングルB面のアルバム未収録曲POGO DANCINGはベースのキーコがボーカルを担当。これには多くのファンが狂喜したはず。
そのモッズが初めてのビデオ作品 This is Gang Rocker1981-1983をリリースするということで、車に続き借金で当時20万円近くしたビデオデッキを購入したのも多分この年。
デッキも高かったが、ビデオ作品も確か10,000円近くしてたんじゃないだろうか?それでも動くモッズを毎日観ることができるならと、昼飯代なんかを削って買ったはず。
ビデオ創明期のこの頃、作品のナレーションがNHKアナウンサーの如く生真面目すぎてトホホな感じなのは、今となっては微笑ましく感じています(笑)地方のファンとしては、伝説の雨の野音を画面を通して体験できたのだから、大枚をはたいても買ったのは大正解だった。
ロックなものばかり聴いてたようだが、実はこの年、小林麻美の雨音はショパンの調べにハマっていたのを知る者は当然自分一人だけ。
今週も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。