シーナ&ザ・ロケッツ、そして鮎川誠。

初めて知ったのはどこかで耳にしたユー・メイ・ドリームでだったのか、学祭バンドを組んでいたギターの奴の家に置いてあったアルバム真空パックを見てだったのか、相変わらず記憶が定かでない。確かなのは、その時にはファーストアルバムSheena & the Rokkets #1の存在は知らず、長い間真空パックがデビューアルバムだと思っていたこと。



初めて彼らのレコードを買ったのはシングル盤のピンナップ・ベイビー・ブルース。
CMで流れていたどこか切ない歌詞とメロディの虜になった。記憶が正しければCMはコロンのオルタス。
高2のガキがこのコロンも買ったんだ。


初めて買ったアルバムはシーナ―が産休の期間にロケッツのメンバーで制作されたROKKET SIZE。
たどたどしい鮎川誠のボーカルが大好きだった。


その後リリースのタイミングで彼らのアルバムを買うことはなかったが、店頭で彼らのアルバムが目に留まると気まぐれに買ってみたりすることがままあった。ただ、なぜかサンハウスにはなかなか手が伸びなかったのが不思議。



デビュー時のメンバー浅田孟はその後ARBに加入したり、この浅田もドラムの川嶋一秀もTHE MODSの初期メンバーだったりと、自分が好きだったバンドと繋がってたなんてこともあって、熱心なファンというわけではなかったが、いつも気になる存在ではあった。


熱心なファンではなかったというわりには、シーナと鮎川誠が表紙の雑誌も買っちゃったり、その昔、彼が何かの雑誌で日本人ならビッグ・ジョンを履け!みたいなことを語ってるのを見て、すぐにビッグ・ジョンのジーンズを買ったなんてこともあったり。


そういえば、レスポール関連の本を買うと必ずと言っていいほど、あの黒の69年製レスポール・カスタムと一緒に登場していたな。

堺雅人とダブル主演だったと言っていい映画ジャージの二人では、普段の朴訥とした喋りそのままの演技に引き込まれっぱなしだった。

シーナ最後の日比谷野音となった35周年ライブで、ロケッツの三人が着る黒のワークシャツの裾の方にDickiesのロゴがあるのを見つけ、自分もDickiesの黒のワークシャツ持ってるぞと一人ほくそ笑んだ。

このライブ、最初の30分強はロケッツの三人だけ。これがまたカッコ良いのなんのって思ってたら、シーナが登場した途端にそのサウンドがグッと引き締まったことに驚かされた。

昨年末には74歳のロックン・ローラー鮎川誠というドキュメンタリーが放送されたのを観て、自分もあんなに素敵な74歳になっていたいと思ったばかりだった。



気にするなよほんの冗談
何もかもうそっぱち
俺はホラ吹きイナズマ
パッと光って消えちまう


本当に消えちまうなんて・・・。


何もかもうそっぱちだったらよかったのに・・・。