1977年前後のパンクロックムーブメントをリアルタイムで体験してきたわけではなく、このムーブメントをリアルタイムで体験し、それに触発されたバンドやアーティスト(初期パンクのフォロアーとでもいうのかな?)から放たれたエネルギッシュなロックンロールの数々にノックアウトされたという方が正しいだろう。

当時はそれらをひっくるめてパンクロックであると受け止めていたし、今でもそれはあながち間違いではないと思っている。あくまでも自分にとってのという意味で、ではあるが。

この青き日々に囚われてしまったパンクロックの呪縛から逃れられずに、この歳になっても自分にとってのパンクロックを追い求めているというわけだ。

そんな青き日の最初期に出会ったバンドの一つが一風堂である。

一風堂は大橋純子&美乃屋セントラル・ステイションのギタリスト、またスタジオ・ミュージシャンとして活躍していた土屋正巳を中心に1978年に結成された。バンド名が渋谷にあった同名の量販店からというのは有名。

結成当初、和製ミック・ジャガーの呼び声も高かった山本翔のバックも務めていたが、実はバックバンドという扱いではなく対等の関係であったと再発CDの解説で紹介されている。確かに山本翔のセカンドアルバム「ロシアン・ルーレット」の帯には「山本翔と驚異の新グループ一風堂が戦慄のドッキング!」と記されており、同アルバムの裏ジャケットには山本翔とともに一風堂のメンバーが並び、しかもその中心はドラムの藤井章司である。



蛇足ではあるが、当時、地元楽器店主催のアマチュアコンサートのゲストとして登場した山本翔&一風堂のライブを体験したことがあるのだが、この時も山本翔のバックを務めた後、一風堂単独でも演奏していたことからもただのバックバンドとしての扱いではなかったことは明白である。(それにしてもこのライブを体験できたのはあまりにも貴重!)



さて、一風堂というとスタイリッシュな見た目や、「すみれSeptember Love」の大ヒット、2枚目以降のアルバム、土屋正巳のジャパン参加等のイメージからどちらかというテクノ~ニューウェイブよりなイメージで捉えられがちであるが(実際そうであるのだが)、結成のきっかけは海外のパンクシーンに影響を受けて、しかも当時流行していたフュージョンに反発してということだから驚きである。

そんな衝動から作られたのかどうかは知るところではないが、彼らのデビューアルバム「NORMAL」は確かにテクノやニューウェーブ的なサウンドではあるものの、スタジオミュージャンばかりで結成されたアルバムとは思えないほどにエネルギーの塊(初期衝動と言ってのいいかも)が聴く側の我々に襲いかかってくるのである。

アルバムA面はベンチャーズライクなサウンドのインスト曲ADVENTUREからアルバムの中でも最もパンキッシュなブレイクアウト・ジェネレーションへと続くところが、いつ聴いてもワクワクする。この後も5曲目の電気人形、6曲目のPANIC IN THE CITYとギターが前面に出た曲が並ぶ。


ブレイクアウト・ジェネレーションの後半で入いる「祭りだ祭りだファッション!ファッション!」の掛け声は遠藤賢司の「東京ワッショイ」にインスパイアされたらしく、その遠藤賢司に掛け声部分をお願いしたのも土屋正巳が遠藤賢司のパンクともいえる転身に衝撃を受けての事らしい。この辺りの経緯もパンクロックに共鳴して出来あがったアルバムらしい話ではないか。


↓残念ながらライブ音源しか見つけられず…

B面は、ちょっと切ない感じのI LOVE YOUはすみれSeptember Loveのサウンドに近いといえば近く、チャイニーズ・レゲエはそのタイトルどおりのレゲエサウンド、ラストのMORNING FANTASYはあまりにも美しいトーンが心地よく、とA面の破壊力とは少し違った趣きが聞きどころである。


↓バックでI LOVE YOUが聴けます


この後バンドは計4枚のオリジナルアルバムを残して1984年に解散、土屋正巳はギタリストとしてワールドワイドな活躍を見せることになる。

また、GLAY、小泉今日子の超メジャー級からブランキー・ジェット・シティ、ウィラード等まで幅広く多くのアーティストやバンドのプロデュースを行っているが、個人的にはTHE MODSの2枚のアルバム、そのボーカリストの森山達也のソロ作品全般のプロデュースが印象的だった。モッズ、森山の両作品ともにこの土屋昌巳との共同制作が彼らの大きな転機となり、今に至る作品制作やセルフプロデュースにも大きく影響していることは彼ら自身がよく語っていることである。

こんなことから一風堂解散後の土屋正巳の作品に触れてこなかったにも関わらず、彼のことを雑誌なんかで見つけると、今でもついつい気になって目を通してしまうのである。



中期以降のサウンドの更なるニューウェイブ化と合わせるように一風堂から離れていった自分ではあるが、彼らのファーストアルバムNORMALは間違いなくパンクロックであった、否、今も僕にとってはパンクロックそのものであると断言しよう。