昭和40年代後半から50年代前半のアイドル全盛期、テレビのスイッチを入れればスター誕生、レッツゴーヤング、紅白歌のベストテン、ザ・ベストテン、夜のヒットスタジオといったアイドルが登場する番組のオンパレード、ドリフを始めとするお笑い番組にでさえ必ずアイドルが歌うコーナーがあったくらいだ。


山口百恵、桜田淳子、森昌子の中三トリオ、麻丘めぐみ、天地真理、アグネスチャン、キャンディーズにピンクレディ、松田聖子、中森明菜、周りの男子はみんなアイドルに夢中だった。
それなのに自分がアイドルに夢中になることはほぼ皆無。別に女の子が嫌いだったわけではない。
ロックを聴くようになってからは女性ロッカーや女性のバンドもそれなりに聞くようになったのだから。

そんな自分が僅かな間だけ気になって仕方がなかったアイドルが二人存在する。

一人は木之内みどり。

北海道小樽出身の1957年生まれということだから僕の7歳上。彼女のことが気になっていたのが中一の頃だからすでに20歳の大人の女性だったってことになる。


デビュー当時、レコードが売れていないにもかかわらずブロマイド(!)がものすごく売れていたことは有名。
自分も歌の前にCMか何かで見た彼女の姿に惹かれたのだろう。もしかしたら当時夢中になって読んでいた漫画「野球狂の詩(水島新司作)」の映画化の際に主人公の水原勇気役に抜擢されたことがきっかっけだったかもしれない。映画なんか観に行く習慣がなかったのにこの映画は観に行ったのだから。

その後主演したテレビドラマの「刑事犬カール」もドラマの内容より彼女の姿見たさに毎週チャンネルを合わせてた記憶がある。

そして1978年2月に発売された彼女の最大ヒット曲「横浜いれぶん」が人生で初めて買った女性のレコードだったはず。

ついに彼女の時代到来かと思ったのもつかの間、同じ年の9月にベーシスト後藤次利との恋の逃避行事件勃発であえなく引退。事の大きさに驚きながらもさほどショックを受けなかったのは、アイドルとして夢中になったわけではなく、単にきれいなお姉さんへの憧れ的な目線で追っていたからだったのかも。
逆にこの事件をきっかけに後藤次利の方が気になりだし、彼のソロアルバム「ミスターベースマン」を買って、そっちの方に夢中になったくらいだ。

ということで、自分の今に至るベース好きのきっかけになったのは間違いなく彼なのだから、木之内みどりには感謝しなきゃいけない。


でも、後藤次利と別れたしばらく後に竹中直人と再婚したことを知った時はちょっとだけ悔しかったかも。



そして、もう一人が水越けいこ。

こちらは1954年2月生まれということだから、僕とひとまわりも違うことになる。


彼女を知ったのは毎週月曜から金曜の朝8時から10分だけ放送されていた情報番組「8時の空」で。
日本各地の8時の様子をお天気カメラを使って放送するシンプルな番組に歌のお姉さんとして歌のお兄さんの田中星児とともに出演していたのを見て。中二から中三の約2年の間、毎朝彼女の「いってらっしゃい」の言葉に送られるように中学に向かっていた。

彼女が出したシングルレコード

しあわせをありがとう

めぐり逢いすれ違い

ほほにキスして


この3枚は連続で購入したのだから、かなり熱を上げていたのだろう。
ほほにキスしてに至っては、同級生の女の子にプレゼントまでされたのだから僕の水越けいこ好きはクラスでも有名だったようだ。

ちなみにこのプレゼントされたシングル、すでに自分でも買っていたことはさすがに言えなかったうぶな中三であった。


この頃すでに彼女は20代半ばを過ぎていたのだから歌のお姉さんというのもな・・・という感じだし、こんな年上の女性をアイドルのように見ていた自分もどうなんだろうってところ。


高校に入って通学の時間が早くなり番組を見ることができなくなったのが先か、彼女が番組を卒業したのが先かは覚えていないが、高校に入ってから彼女のレコードを買うこともなくなり、レコードをプレゼントしてくれた同級生との仲も自然消滅。


水越けいこは現在も音楽活動や執筆活動は続けているようなので、機会があれば彼女の作品に触れてみるのも悪くないかもなと思う今日この頃である。


気になって仕方がなかった女性歌手は2人と言っておきながら、実は同じ時期「飛んでイスタンブール」の大ヒットで知られる庄野真代(彼女もひとまわり上!)はアルバムを買い、コンサートにまで行ったということがあったのは、アイドル目線というよりは単純に歌が好きだったから。と、言い訳をして今回は締めることに(笑)