1979年後半から1980年前半にかけ、リザードは人気、活動ともに絶頂期を迎えていた。しかし、その裏では多くの事件、事故に巻き込まれていたようだ。
メジャーと契約しながらも自らインディーズレーベルを立ち上げシングル「サ・カ・ナ」をリリースしているが、これは紅蜥蜴時代から自分たちが目論んでいたレーベル立ち上げの計画もあってのことだが、水俣病を題材にしたこの曲をリリースすることにレコード会社(キングレコード)が難色を示していたことも大きな要因だったようだ。
また、この時期、彼らのツアー用ワンボックスカーが彼らを乗せたまま東名高速道路で横転・大破するという事故が起き、この事故後にはバンド結成時からのモモヨの盟友カツが行方不明になるという事件まで起きている。加えて、キーボードのコーも家業を継ぐため脱退となった。

その他、モモヨ本人も大きな事情を抱え過ごしていた時期だ。


今回紹介する「バビロン・ロッカー」はそんなトラブルまみれの中彼ら自身のセルフプロデュースで制作、1980年9月に発表されたセカンドアルバムだ。

蛇足だが、アルバムジャケット裏面に写されたメンバー3人の写真がクラッシュのロンドン・コーリングのジャケット写真で名を上げたペニー・スミスの手によるものであることもファンにとっては嬉しいところ。

アルバムは、A面をバビロンロッカーサイド、B面をジャンキータウンサイドと呼ばれる異なるコンセプトで構成され、A面は80年前半の彼らの事件・事故を下町で育った彼らの視点・風景を交えて歌われ、B面は下町から見た山の手(都会)や世界の生活、出来事、そしてそれらと関わる自分たちなんかが歌われていると思われる。

当時モモヨが下町サイド、山の手サイドとどこかの雑誌のインタビューか何かで話していたような気がするが確かではない・・・。
また、バビロンロッカー・サイドは前述の事情からモモヨ、ワカ、ベルに、レコーディングのみヘルプで参加したコーの4人のメンバーで、ジャンキータウンサイドはこれにゲストギターの北川が加わり録音されたようだ。このことだけが要因ではないだろうが、ファーストの硬質なサウンドとは大きく異なった、彼らのアルバムの中でもひときわポップなサウンドに変貌している。

A面バビロンロッカーサイド1曲目「宣戦布告」でAコードストロークのギターが一発かき鳴らされアルバムのエンジンがかかる。「今夜一発ロックンロール・ウォー!/見つけようビートの王国を/世界を敵にまわしちまおう」とタイトル通り高らかに宣戦布告される、前作にはなかった気持ちよすぎるほどのロックンロールナンバー。2番で歌われる「黒いツナギをアメ横の/いつもの店でくすねちまおう/そうすりゃ君も黒い兵士!」にすっかりやられた僕は当然黒い兵士になりたくて、近所のカー用品店で黒いツナギを手に入れた。料金はしっかり支払ったが。
1曲目から一転してミドルテンポとなる2曲目「さよならプラスティック・エイジ」は町工場が並ぶ下町で暮らす市井の人々の苦しみと希望が歌われる。
3曲目「浅草六区」は紅蜥蜴時代からの代表曲として名高い「ロッククリティック」をベースにして歌詞を全面的に替えたもの。エノケン、ロッパといった浅草の芸人を引き合いに、自分たちも彼らの思いを引き継ぐ大衆芸能の表現者であることを宣言した歌と言われている。これはいつの間にか日本パンク界のヒーローに祭り上げられた彼らなりのアンチテーゼだったのか? 曲の方も元曲の激しさとは違ってレゲェのリズムが心地よい、間奏のピアノが印象的なナンバーに仕上がっている。この曲はアルバム制作前にカツを含めたメンバーで録音されたバージョン違いのシングルも発表されている。
4曲目はタイトルがあまりにも秀逸な「販売機で愛を買ったよ」。
5曲目は当時のリザードアーミー(ファンのことをこう呼んでいた)との絆が歌われる「キッズ」、そしてその曲が終わることなく引き継がれる6曲目はアルバムタイトルナンバー「バビロン・ロッカー」。この曲はライブの際のインプロヴィゼーションにインスパイアされて仕上げられた曲で歌詞も録音時に即興で作られたらしい。また、当時としてはまだ珍しいダブの手法が用いられているが、この頃の彼らは積極的にダブサウンドを取り入れていた。
そしてA面ラストはアメリカのポピュラーソング「月光価千金」だが、歌詞は浅草六区にも登場するエノケンの一座が劇中歌の歌詞としていたもの。ここにも浅草大衆芸能への敬愛が伺える。

B面ジャンキータウンサイド1曲目は「リザードソング」。サポートメンバーとして参加している北川の多分リッケンと思われるギターサウンドが印象的なナンバー。ここで歌われるものが、この時すでにジャンキーへの道を歩んでいたモモヨの姿とどうしても被ってしまうのは僕の勝手な解釈なので勘弁。
2曲目「光州市街戦」は先に紹介した浅草六区のシングルバージョンレコーディング時にリミックスされたダブナンバー。当時、アルバム発売前にこのタイトルを見てどんなに激しい内容の曲なのかと勝手に期待に胸を膨らませ、実際に聴いてみたらインストでどう光州の出来事とリンクさせればよいのかと戸惑った記憶がある。政治のことも世の中のこともなんにもわかっちゃいなかったのに、ロックバンドが政治や社会の出来事に関わっていくことがカッコよいと勘違いしていた自分が全くもって恥ずかしい限りだ。上っ面だけの勘違い野郎にはなっちゃいけない見本が自分であったのだ。
続く3曲目は当時もっとも大好きだった「まっぷたつ」。「愛だなんて言葉に吐き気もよおし/変化を思えば眩暈がするぜ」、「ぶちわれベイビー/君のビートで/ゆがんだレンズを/まっぷたつ」。聞いた自分が眩暈で倒れそうなくらいに痺れた。この曲、不良少年の更生を描いた映画「ブリキの勲章」で使われているのだが、このことを知った僕は当然ながら映画を観たくなるわけだが、そこは少し頭を使って当時の担任にこんな素晴らしい映画があると訴え、まんまとそそのかされた担任は他の悪ガキ2人も連れてこの映画に連れて行ってくれたのだ。しかも先生の支払い、夕食付きで。今考えるとほんとゴメンナサイなのだが。

映画の方はさぼど頭に入ってくるものではなく、唯一記憶に残っているのが、主人公の少年が部屋の中でヘッドホンを付けてこの「まっぷたつ」を聴いているシーンだというのは仕方ないことだろう。そのシーンもほんの数秒だけということで、こちらも少しがっかりな結果ではあった。
4曲目は「サ・カ・ナ」。レコード会社との衝突を避け自らレーベルを立ち上げてリリースした曲がなぜアルバムに収めることができたのかは謎なのだが、こちらも水俣病のことを何も理解していないのに、こんな社会的なテーマのものを歌うリザードはやっぱりカッコいいと、ここでも勘違いしまくりだった自分。この時期になぜ水俣を扱った曲を?と疑問がわくのだが、「水銀に毒された海に棲む魚たちの姿に都会の文明に汚濁した現代人の自分たちを重ね、あえてその様な時代の絶望的状況の中で、未来へ向けて生き抜いていこうという決意を表明したものと受け取るべき」と地引雄一氏の著書「ストリート・キングダム」に記されているのを読んだとき、なるほど、このアルバムに一貫して通底するものそのものではないかと合点がいった。
アルバムラストナンバーは「ゴム」。そう、あのナイトライフに使われるブツのことだ。「僕ニハピンクノ帽子ガガヨク似合ウ/バラ色ノ家族計画ヲ促進スル/僕達ハ夜通ゴムヲコスリツケル/政府ハゴムノ普及ニツトメテイル/NIGHT LIFE/ギミーギミーゼリー/NO FUN!」痛快、パンク。でも、きっとモモヨのことだからそこには深遠な何かを潜ませているのだろう。


リザードが発表してきたアルバムはサウンド的には一貫性があまり感じられず、その中でこのセカンドアルバムは冒頭にも記したとおりかなりポップな印象を受けるアルバムだ。それはスカ、レゲエ、ダブなどを取り入れたサウンドに加えて、歌われる内容に絶望の中にも明日への希望が感じられることにあるのかも知れない。

僕のリザード熱は、このアルバムで決定的なものとなった。

このアルバムで浅草を中心とした下町、またそこに根差した大衆芸能に通じたロックを歌っているモモヨが文学的にもこの辺りに通じているものを好んで読んでいることを知り、僕もモモヨの話によく登場していた三嶋由紀夫、堀辰雄、永井荷風を読むようになった。三島由紀夫の作品に傾倒することはなかったのだが、永井荷風は確かにモダンでありながらも東京の下町なんかの匂いも感じさせる内容のものがあり全集まで買うほどのめり込んでいたのだが、引っ越しを重ねる間にそれらの文学本はどこかへ消えてしまった。
先日、電子書籍としてこの永井荷風の54作もの随筆、小説等が収められた作品集が破格の200円となっていることを知り、早速購入(ポチッと)した。80年代、苦しみの中にも僅かの希望を見出そうとしてもがいていたモモヨの目に、このとんでもなく近未来化してしまった2020年代の現代(いま)はどう映るのだろうか・・・。

と言っても、モモヨはまだ健在なのだから確かめるチャンスはあるか。