2004年1月18日、僕は本当に久しぶりにARBに会うことができた。結成25周年を記念して行われたARB 25th Anniversary “Days of ARB”と題されたツアーのZepp Sapporoでのライブで。
最後に彼らのライブに行ったのは1990年10月19日。解散ツアーとして行われたTHE LONGEST TOUR 1990の札幌サンプラザだから13年3か月ぶりということになる。26歳だった僕は39歳になっていた。
1990年に一度解散したARBは1997年に新たなメンバーで復活していた。
ただ、この時期ロックから少し距離を置いていた僕が彼らの復活を知ったのは少し時が経ってからのことだったが、ほどなく石橋凌の隠し子問題が発覚して(もしかしたらこれでARBが復活していたことを知ったのだったかも…)、復活後の彼らの音楽を聴くことなく距離を置き続けることになった。彼らの作り出す音楽に加え、石橋凌という男の生き方にある種の憧れがあったからこその勝手な落胆によるものだったのだが。
そんなある日、買い物をしていたスーパーマーケットの中に聞き覚えのある声の曲が流れていた。「狂いだしたらもう止まらない/誰にも止めるスキさえ与えない/いつからか俺たちは味気のない/情けないこの国の民/数えだしたらそうキリがない/歴史の中に埋もれた秘密事/いつまでも続いていく政治の罠/密談、談合、強欲の面」。震えた。
その後、復活後のアルバム3枚を入手してその曲が「HARD-BOILD CITY」であることを知る。勝手に離れてしまっている間にもARBはとんでもなくすごい曲をリリースし続けていたのだ。復活したARBを敬遠していた自分のことを悔やんだ。
それにしてもスーパーマーケットの中でこんな曲が流れているのものどうなんだ・・・。
復活後のARBは石橋凌、KEITHのオリジナルメンバーの他、KEITHが推薦したというスーパーバッドやミュートビートに在籍していた内藤幸也(G)、元ユニコーンのEBI(B)が加入しており、石橋凌、KEITH、田中一郎、野中”SANZI”良浩の第一期メンバー以来、ルックスもサウンドもこれこそが自分が求めていたARBだ!と心の底から思わせてくれるラインナップとサウンドになっていた。
その後リリースされたシングル「忘れてはイケナイ物語」の1曲「HEY!WAR」も「HEY!HEY!HEY!WAR,STOP THE WAR/何度でも俺たちは/何度でも叫んでいこう」とARB節全開であった。
そして、再結成前からリリースを続けていたビクター系列を離れM&Iカンパニーから結成25周年の年にニューアルバム「KAZA-BANA」がリリースされた。
それまでとは明らかに違う重厚なギターのイントロで始まるヘヴィな「まぶしきコノ世」が1曲目。タイトルチューンとなった2曲目「KAZA-BANA」は1曲目とは正反対にソリッドなギターのイントロ。「明日吹く風/そんな風になろうか/生きぐされの日/終止符をうちこんで」。彼らの代表曲「魂こがして」以上に僕の心に響いた。この「明日吹く風/そんな風になろうか」の詞は今作に共通するメッセージであると帯裏にも刻まれている。風花ではなく「KAZA-BANA」と表した意図は計り知れないが、言葉の響きとともに僕を大きく刺激し、「いつかバンドを組むときはバンド名に使いたいな」、「いや、喫茶店なんか開いて店名にも使えるぞ」なぞといろいろと僕の妄想を掻き立てた。
レゲェビートの7曲目「LOVE YOUR LIFE」では「それでも前に/歩いていこう/回り道しても」、9曲目「プロテスト・ソング」では「サァもう一度/俺と歌わないか?/叫びの声を武器に/戦ってくんだ!!」と、このアルバムには一貫して前に進もうとする姿勢が貫かれている。
こうして久しぶりにARBと石橋凌とともにまた歩き始めることができる喜びを感じながら冒頭の13年3か月ぶりのライブに繋がることになるのだが、そのライブの熱も冷めぬ同年4月に僕は転勤で約40年過ごした北海道を離れ東京で過ごすこととなった。
東京での仕事はあまりにもハードで、仕事帰りの地下鉄駅から自宅までの約15分の暗い道のりでARBのRESPECT THE NIGHTで歌われる「どんなに辛い夜でも/必ず朝陽は昇るもの/両手の指のすき間から/月明かりがこぼれおちても/きっと、きっと、きっと」の詞にいつも救いを求めていた。
そんな日々の中、2004年11月20日に恵比寿リキッドルームでARBのLOCUSツアー東京公演ライブがあり、すがるような思いで出かけた。
収容人数が900人と比較的大きなハコだが、このARBのライブがこけら落とし公演だったらしい。
アルバム「KAZA-BANA」同様「まぶしきコノ世」で始まったこの日のライブは、演奏された22曲中18曲が再結成後のナンバーで占められこととライブの熱さから、その後も充実した活動が展開されていくであろうと誰もが信じて疑わなかったはずだ。事実、このライブの翌年2月にはシングル「荒鷲のうた」が発表され、この曲が東北楽天イーグルスの応援歌だったことからも話題にもなった。
が、結果としてこの日がARB最後のライブとなってしまった。2006年3月、まさかの石橋凌脱退でグループの活動は停止してしまったのだ。
ARBに、石橋凌に何が起きたのか全くのところわからないのだが、一番に心配になったのはKEITHのことだ。石橋凌と一生ARBを続けるため、石橋凌の後姿を見るためだけにドラムを叩き続けてきた男。一度解散した後も石橋凌がロックの世界に戻ってくるのを黙って待っていたらしい男がこれからどうしていくんだろうと。
そんな彼だからこそ、2009年に復活したあのリザードにドラムスとして加入した時には心の底から嬉しかったな。リザードのモモヨとはARB初期の頃から仲が良かったのは知っていたが、まさかそのモモヨと一緒に、しかもリザードのドラマーとして復活してくれるとは。発表されたアルバムジャケットでモモヨの隣に写るKEITHを見たときは泣きそうになった。まぁ、このリザードもほどなくして活動を停止してしまったのだが。
2018年10月にKEITHはARBの元メンバー田中一郎、斉藤光浩、内藤幸也、EBIなどを迎えてARBデビュー40周年完結 ライブ「ARB SONGS ALL TIME BEST "FINAL"」を行ったらしい。当然ながらそこに石橋凌の姿はなかったのだが、まぁそういうことなんだろう。
活動停止後、ラストとなった2004年11月20日のライブ全曲をコンプリートした「ARB is」というライブ盤もリリースされ、僕も購入した。が、なぜか購入後一度も聞くことができなかった。
リリース日を見たら2006年5月17日となっていたので今日でちょうど丸14年このアルバムに手を伸ばさなかったことになる。
さっき思い切ってこのアルバムに収められているエンハンスドライブ映像の4曲を見てみた。やはりARBは熱く素晴らしいバンドだった。最後に「We are ARB!!」と叫んで石橋凌はステージから去っていった。
石橋凌は俳優と並行してソロ歌手として今も音楽活動を続けている。最初に発表されたアルバム「表現者」もライブDVDも購入してみた。が、その後のアルバムは購入していないし、ライブに行くこともない。僕の琴線には触れることがなかっただけのこと。ただただARBが、ARBで歌う石橋凌が好きなだけだ。それでいいだろう。ARBの歌は今でも心に響き、そして突き刺さってくる。
55歳になった今の僕にはそれだけで充分だ。