ブルーハーツを知ったのは、多分1986年にリリースされたオムニバスアルバム「ジャスト・ア・ビート・ショー」だったはず。
ジャスト・ア・ビート・ショーはビート系バンドのシリーズギグをレコード化したもので、当時かなり話題になったこのアルバムに、僕が注目していたロンドン・タイムス、ジャンプスとともに収められていたバンドにブルーハーツの名があった(あとレ・ピッシュも)。ブルーハーツはこのあたりからかなり騒がれだしたんじゃなかったかな・・・? ちなみにこのオムニバスは残念ながら購入しなかったということはご愛敬ということで。
その後、メジャーデビュー直前の1987年2月にインディーズレーベルのジャグラーから出されたシングル「人にやさしく/ハンマー」を購入して初めて彼らの音に触れたのだが、「気ーが狂いそうー♪」のいきなりの出だしでかなりやられ、「聞こえてほしい/あなたにも/ガンバレー!」の「ガンバレー!」で大きくのけ反った(笑)。
このシングル、インディーズとしては異例のヒットだったんじゃないかなぁと思いネットで検索してみたら、オリコンチャート週間26位になったそうである。それほどヒットしたシングルではあったものの聞き倒すというところまでには至らなかったのだが、ほどなくして(1987年3月)メジャーのメルダックから発売された3曲入りのビデオ「THE BLUE HEARTS」で彼らの動く姿を初めて目の当たりした僕は大きな衝撃を受けることになる。だいたいシングルやアルバムよりも先にビデオを発売すること自体珍しい形態だったのだが、僕がその映像に衝撃を受けたように、多くの若者がそうなるであろうことを敢えて狙ってビデオ先行でデビューさせたんじゃなかろうか、と推察してしまうな。
ビデオの内容は、倉庫と思われる中で行われるオーディエンスなし、3曲だけのスタジオライブを撮っただけのもの。カメラワークを含め凝った演出は一切なし、純粋に彼らの演奏だけを観ることができるものに仕上がっている。
ドラムと3本のマイクスタンドが立てられた誰もいない静かな光景から始まるのだが、曲が始まると一転、赤い腕章が巻かれた皮のハーフコートに膝の破けたスリムジーンズ姿のヒロトが今まで見たこともない激しいアクションで叫びまくる。そして、ヒロトもマーシーも河ちゃんもジャンプしまくる。その彼らをたった1台のカメラが寄せて引いてと追っていく、とにかく衝撃のスタジオライブだ。
先日、クラッシュのDVD「エッセンシャル・クラッシュ」に収められた特典映像の「プロモ・フィッテージ」を久しぶりに観た際に、なんかどこかで見たことがある感じだなと気になったのだが、収められたナンバーが1977、白い暴動、ロンドンは燃えているの「3曲」、「オーディエンスなしのスタジオライブ」、「1台のカメラ」で4人のメンバーを寄せて引いてと追っていく、まるでブルーハーツのこのビデオと同じ内容じゃないかと・・・。ブルーハーツのメンバーなのかスタッフなのかはわからないが、きっとこのクラッシュの「プロモ・フィッテージ」の映像を見て影響を受けたことで、これを意識して制作されたビデオだったんじゃないかな?
さて、このビデオ発売から2か月後の1987年5月にはバンド名だけが大きくプリントされたジャケットがやけにカッコよいファーストアルバム「THE BLUE HEARTS」がリリースされることになる。
アルバムに収められた12曲はどれも下手な小細工なし、これでもかとコードをかき鳴らすギターが中心に据えられたシンプルなサウンドと歌はまさしく初期衝動そのものと言っていい。
A面1曲目の未来は僕の手の中の「僕等は泣くために生まれてきたわけじゃないよ/僕等は負けるために生まれてきたわけじゃないよ」、2曲目終わらない歌の「真実(ホント)の瞬間はいつも/死ぬほどこわいものだから/逃げだしたくなったことは/今まで何度でもあった」、3曲目NO NO NOの「戦闘機が買えるぐらいの/はした金ならいらない」、4曲目パンクロックの「僕パンクロックが好きだ/中途半端な気持ちじゃなくて/本当に心から好きなんだ」、B面1曲目爆弾が落っこちる時の「何も言わないってことは/全てを受け入れることだ」、2曲目世界のまん中の「生きるという事に命をかけてみたい」、4曲目ダンス・ナンバーの「カッコ悪くたっていいよ/そんな事問題じゃない/君の事笑う奴は/トーフにぶつかって死んじまえ」、5曲目君のための「好きです/誰よりも何よりも/大好きです/ごめんなさい/神様よりも好きです」等々、ヒロトの歌う装飾の一切ない言葉たちがとにかく心に突き刺さる。大体それまで聞いてきたパンクの中で自分を「僕」と唄っていたバンドはなかったんじゃないかな。そんなところにも衝撃を受けたし、A面ラストの少年の詩で唄われた「どうにもならない事なんて/どうにでもなっていい事」の歌詞には何度も救われたし、泣きそうになったりもした。
このファーストアルバム発売から半年後の1987年11月には2ndアルバム「YOUNG AND PRETTY」がリリースされ僕も買ったが、残念ながらファーストと同じような感動や衝撃を受けることはなく、いつしかブルーハーツから離れていく事になる。僕のその状況と反比例するかのようにバンドは大ブレイクしていくのだが・・・。ただ、離れていったからといってファーストアルバムの素晴らしさは1ミリたりとも変わるものではないし、その後バンドは変わっても長年共に活動を続けているヒロトとマーシーはあのミック&キースのように僕の目には映っている。ただ、僕にっとってのブルーハーツはファーストアルバムの初期衝動だけで充分であったし、今もそれは変わっていないというだけのことなのだ。
そういえば、僕の野音初体験はかのモッズではなく、ブルーハーツの1987年7月4日のライブだった。このライブは、同年4月にこの場所で起きた悲しい事故の後だったということで、ブロック毎に柵のようなもので囲われたちょっと異例の雰囲気の中でのライブだったが、そんなことは全然関係ないくらいに素晴らしい、そして初期衝動が炸裂したライブであった。僕のチケットは最後列のさらに後ろの立見席ではあったのだけど・・・。