BCRで音楽に目覚めた僕がROCK SHOWという雑誌を読んでいたことは前回のブログで触れたが、その後、音楽の嗜好が変わるにつれ愛読雑誌もミュージックライフ~ロッキンfへと変わっていくことになる。当時はインターネットなんてものはなく、なにかしらの情報を得るには雑誌、ラジオ、テレビくらいしかツールはなかった。そんな中でいち早く多くのバンドの情報をキャッチするには音楽雑誌が一番だったわけだ。

モッズ、ARBを始めとする所謂めんたいロックと呼ばれたバンドや東京ロッカーズと呼ばれた日本パンクの一大ムーブメントを巻き起こしたバンド連中についての情報はメジャーなところだとロッキンfという雑誌が一番充実しており好んで読んでいた。(その後この雑誌はハードロック、ヘヴィメタル系の雑誌へと大きく舵を切っていくことになるが・・・)

ロッキンfからどのようにしてDOLLという雑誌に流れていったのかの記憶がないのだが、当時夢中になっていたリザードという日本のパンクバンドの情報を探っていくうちにこの雑誌の存在を知ったのだと思う。

当時の函館に隔月発行の80ページにも満たない薄いパンクロック雑誌を置いてある書店なんかあるはずもなく、僕は直接雑誌社へ電話をして購入方法を聞き出し、現金(か小為替)を書留で送りリザードのモモヨが表紙の号を郵送してもらったはずだ。


当時(高校時代)周りの連中で、マイナー雑誌(失礼!)のDOLLの存在を知っていたのは、隣のクラスのKとパンクバンドを組んでいた別の高校に通うMという男一人だけだけだったな。どんなきっかけか忘れたが、M君の住む部屋に遊びに行き本棚にDOLLがあるのを見つけたときは、こんなところにもわかる奴がいたか!と秘かに狂喜し、リザードやE.D.P.S(元フリクションのツネマツが結成したバンド)の曲のコピーなんかの話で盛り上がった記憶がある。

このM君はその後東京で僕の友人と偶然に出会い、一緒にパンクバンドを結成するという奇跡的な出来事もあった。(このバンドについては改めて紹介しよう)


話をDOLLのことに戻そう。

DOLLを通じて自主製作盤(まだインディーズなんて言葉がなかった!)という存在を知り、初めてその自主製作盤というものを購入したのはDOLLの記事で紹介されていたテレグラフレコードから発売されたAUTO-MODの2ndシングル「ラストパンクヒーロー」のはずだ。レコードからCDへと再生メディアが変わっていく中で僕はほとんどのレコードを処分していったのだが、この「ラストパンクヒーロー」は今も僕の手元に大切に残してある。(最近、CD化されていないあの頃のレコードをまた集め始めてます)

で、当然ながら函館には自主製作盤なんか取り扱っているレコード店はないので、ラストパンクヒーロー以降も紅蜥蜴(リザードの前身)、アレルギー、スタークラブ等シティロッカーから次々に発売されたレコードは直接通信販売で買うことになった。


DOLLを読む楽しみはバンドに関する記事はもちろんだが、後半頁に登場するバンドやレコード店の広告宣伝も大きな魅力だった。五番街、EDiSON、フジヤマなど自主製作盤を多く取り扱うレコード店が東京にあることを知ったり、フラワーレコード等の広告に掲載される入荷したばかりの貴重盤の情報ひとつひとつを血眼になって貪り読んでいた。

二十歳を過ぎて東京に遊びに行きフジヤマを訪れ店長を目にしたときは「わーDOLLの手書き広告にいつも顔が書かれてる人だー」なんてミーハーな気分になったのもいい思い出だ。メジャーになる前のスターリンの広告も毎号のように掲載されていたし、広告を見るのをあんなに楽しみにしていた雑誌は後にも先にもDOLLだけだ。

もう一つ、僕がこの雑誌で楽しみにしていたのは、一時編集長でもあった森脇美貴夫氏が毎号寄稿していた「音楽的生活様式」というコーナーだった。●月某日で始まり、その日に会った知人との何気ない会話や、古書店を訪れて偶然出会った本のこと、街の喫茶店で煙草をくゆらせ珈琲を味わうひと時のことなど、音楽の話題もあるにはあるのだが、ほとんどが当事者としてパンクの真っただ中を経た後の老年に近づいていく氏の日々の暮らしが淡々と書かれていた。だが、なぜかその姿、日々の暮らしにざわざわと心を揺さぶられ、こんな日々もまたパンクなのではないのだろうかなどと思いを馳せつつ、毎号このコーナーを目にするたびに「今月も生きてくれていた」なんて妙に安心したものだ。

氏の書かれる淡々とした文体が僕の好みだったのか、著書でもある「イギリスのパンク/ニューウェイブ史」は、あまり海外のバンドを聞かない僕に、氏の目線を通じた様々なアルバムへの思いとともに「気になったら聞くのもよし、聞かないのもまた君の選択」と語りかけられているような僕にとってのUKロックのバイブルであった。


「音楽的生活様式」の最終回(DOLL最終号)では、「たとへロックを、パンク・ロックを聴かなくなっても、私の生きる姿勢はロック、パンク・ロック的で在り続けたい。若き日、私はパンク・ロックとは音楽そのものだけでなく生き方そのものである-というようなことを記した憶えがある。そのことをこの先、私はより実践していけるかどうか。それはひとえに私の生き方にかかっている。」と記されている。当時の氏の年齢に近づいた僕自身もそうありたいと心の奥で秘かに思い続けよう。

さて、ZOOからDOLLへと誌名を変えたこの雑誌は、宝島という雑誌がキャプテンレコードを立ち上げインディーズブームを巻き起こす何年も前から、シティロッカーという自主レーベルを主宰したり、BOYというレコード店も営んでいたりと、その活動は小さいながらも音楽やバンドにしっかり寄り添ったプリミティブなものであり、その後の日本のインディーズ界の礎を築いたと言ってもいいのではないだろうか。

インターネットで自分の知りたい情報はいつでも瞬時に手繰り寄せることができるようになった今の時代だが、DOLLのような媒体を通じ自分のフィールド以外のものに出会えたあの頃も全然悪くなかったと思うのは僕だけか。DOLLを通じ様々なバンドやアルバム、ロックライター、レコードショップetcに出会うことができ感謝ばかりである。

そうそう、麻生久美子と大泉洋が主演のグッモーエビアン!という映画の中で、麻生久美子が演じる元パンクバンドのギタリストアキと中学生の娘ハツキが暮らすアパートの部屋に置かれた白いカラーボックスの中にDOLLが並べられているのを見つけたとき、映画って細かいところもきちんと考えられてるんだって感じたのと同時に、やっぱり日本全国パンク雑誌といえばDOLLだったんだよなと妙に嬉しくなったのだ。DVDの裏表紙でも確認できるので興味のある方はどうぞ。


友人のパンクバンドベインビールが登場するライブイベントまであと一週間を切った。2月29日(土)渋谷TAKE OFF7、出演時間は20時頃。例の一件でさまざまなイベントが中止になってはいるが、パンク好きな方は是非。

そういえば、この友人と前述のM君が以前結成したパンクバンド「THE TRAVIS」も何度かDDLLにインタビューや記事が掲載されていたんだよ。