punks-not-deadのブログ

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動けなくなるかもだから、今日からブログ書いてみる。

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3日目は、神経系の検査らしい。
なんか電気を流して神経の伝達を検査するらしいのだが、
「神経伝達がちゃんと行われているかどうかを判断する(ダメなのは指令出す脳なのか、伝達する神経経路なのかを判断)」するのかな?と理解しました。
検査時間になり、介助の方に検査室まで車椅子で運んでもらいました。
「自分で歩いて行ける」と言ったのですが、そこは「ルールなので」と言われ素直に従いました。
そりゃそうですよね。どのくらいの症状か解らないのに、個々に合せる事は難しいです。
少し申し訳無く思いながら、検査室に連れて行ってもらいました。
前日のルンバールの経験から、少しビビリながら連れて行かれたのを覚えています。

 

11月9日(木)
朝7時に起床して、血圧、体温、血液検査。
8時に朝飯だが、この日はルンバールという、「ずい液検査」なるものがあったので、検査後に食事となった。

…ルンバール…説明は受けたけど、背中に注射して背骨の隙間からずい液を抜くらしい…怖すぎ。しかも終わって3時間は動けない。ずい液を落ち着かせるためらしい。…トイレ行きたくなったらどうしよう…。

そうこうしているうちに検査時間になった…
処置室でベッドに横向け(右肩を上側)に寝かされ、腰をあらわに待つと、新人の医師とベテラン女性医師が説明しなかがら対応している…ま、まさか、その新人にオレの背中への注射を任せようというのか…?…ウソでしょ?
ウソだと、オ、オレの勘違いだと言ってくれ…。

「ヴゥーン、ヴゥーン、ヴゥーン」PHSのバイブ音で「はい〇〇です。…今ルンバール中で…。はい、はい、…」

(オレ)…まさかなんか緊急的な?…

(女医)「はい、はい、(新人医師に向かって)出来る?はい。はい。」

(オレ)…ウソーこの初めて感タップリの2名にオレの背骨注射を任せるのか!!!???

 

…20分後、何度かリトライを繰り返しましたが、結果としてずい液は抜けず、戻ってきた女医様が、「今日は疲れたでしょうから、週明けリトライしましょう。申し訳ありませんm(_ _)m」

(オレ)「は…はい」(…解ってると思いますが、もう二度と受けたくありません。)

 

という状態で、失敗のルンバールの後処置で3時間ベッド拘束をくらったのでした(T_T)

 

2017年11月8日(水)天気:雨


6時30分に起きて、いつも通り換気扇の下で煙草を吸った。…あータバコ吸えるの今日で最後かもなー。。。
バタバタ準備して7時20分。一服。嫁に急かされて別れを惜しむ間もなくけしちゃった。。。


珍しく一緒に付き添うという嫁と、電車で10分の大学病院へ。一緒に外出したのは何年ぶりだろうか。
雨はもうやんでいて、傘を杖代わりにヨタヨタ病院へと向かったのでした。

到着して入院手続き。問診票を書いていないので手間取る。8時50分には病室へ。嫁はパートに行くと捨て台詞を残し、去っていった。みんな忙しいらしく放置。なーんもやる事ないので、ただただ時間が過ぎるのを待つ。ずーっとスマホでYahoo見てたな。
 

10時過ぎ、ようやく検査の説明。血液検査、MRI、ずい液検査、神経検査…今日は血液と問診だけなので、
ほぼ何もない一日らしい。明日(11/9)MRIだ。まあMRIは経験済みだし。明日からの検査に臨むため、今日はなるべく早く寝よう。…飯まだかな…

私の病気「多発性硬化症」について、少しだけ書いてみます。

GoogleでHPを検索すると、「脳や脊髄、視神経のあちらこちらに病巣(びょうそう)ができ、症状が「再発(悪くなったり)」したり「寛解(かんかい:良くなったり)」したりを繰り返す病気です」が出てきます。

10万人に8~9人くらいの病気の様で、北欧に多い病気らしいです。たしかに、結果宣告前に出身地を聞かれました。
…「沖縄県。。。」真逆。アジア中のアジアwww

悪い状態と良い状態を繰り返し、その状態の持続度も人それぞれなので、実は数年かけて徐々に悪くなっていた可能性と、昨日今日で急激に悪くなった可能性があるのです。私の場合はその症状が、左足の機能障害として出ています。

思い出したら、18歳のころ、「ある一定の角度だと左足にチカラが入んないなー」と思った記憶があります。

もしかしたらその頃から患っていたかもしれません。

先生曰く、「お年を召した患者さんは治療(厳密には完治しないので治療ではない)しない選択肢を選ぶ方もいます。」
ってのは、進行の状態が個人個人によって読めない(副作用のある治療を選ばない)ところにもあります。
また、悪くなる場合、私レベルの機能障害でなく、起き上がる事すら出来なくなってしまう場合もあるみいたい。

ここまで見ても私がいかにラッキーだったか解ります。なぜなら、今、wマーク付きでブログ載せれてるのだもの。
 

実は結果宣告前日。部長からのお誘いで昇格のお話しがあり、有難く頂戴したばかりだった。
「あーこれで昇格もなしか。まあ仕方ない。自分で身体を壊してしまったから。
こうなったら、行くとこまで行くしかない。家も売らなきゃかもだな。あと25年ローンあるし。」少しヤケになってた頃だと思います。

小学校3年の頃、「あなたはいくつまで生きたいですか?」に「20才」と答えた記憶がある。
そして出会ったパンクロック。「意味なんかねーよ」って言っていた。
その思想は大人になっても変わらず、ブルーハーツの「生まれたからには生きてやる」と、
「俺は俺の死を死にたい」から、「今を精一杯生きて死ぬ」と決め、やりたいようにやらせてもらってました。


2017年10月半ばの結果宣告の次の受診で、「教えてもらった疑わしい病名ってネットで調べたら難病って出てきたのですが」と先生に伝えると、「難病ですよ!」先生感情的になった。

「でもね病状は人それぞれであなたの場合、早急に命に関わる状態じゃない。あなたの場合はまだ自力で歩行できるし、発症のとたんもっと悪くなる人もいる。なので早く病状を見極めたいので、精密検査を受けて欲しい。」
…ですよね。仕事休めないとか、言い訳ですよね…もう出世コースは外れるし仕方がない。

少し圧倒され、2017年11月8日の検査入院を決めました。

今では2年の付き合いになりますが、I先生が感情的になったのはあの瞬間だけでした。



 

2017年10月。MRI検査から1週間後、検査結果を聞きに病院へ。


実はこの大学病院、長男が小学校2年生の時、心房中核欠損という先天性の病気で、
心臓手術をした病院でした。累計1ヶ月以上お世話になった病院だった。
ホーム感があったので、少し懐かしみながら受診したのを覚えています。
「そういえば長男入院中外の自販機前でタバコ吸ってたなー」みたいな。

時間になり、問診が始まると、やはり前回同じくもも筋のパワーや、膝ハンマー。
で・・・先生あきらめたようにMRIの画像を見せてくれる。

(先生)「これがね、80歳の人の画像なら納得なんですけどね…まだ40代ですよね…」
(オレのココロ)(…おいおい穏やかじゃねーな…)
(先生)「この白く映ってるトコロが良くない感じなんですよね…」
(オレのココロ)(え?白いトコロとか言ってるけど…輪郭から何からほぼ白くね?)
        ※後に輪郭は白くても大丈夫という事が発覚する。脳の輪郭内側の白い部分の事でした。
(先生)「正確には精密検査が必要ですが、いまのところ、視神経脊髄炎か多発性硬化症が疑われます。」
(オレのココロ)(ふーん。病名が解るってのはまだマシだな。自分で調べられる。あと癌みたいに一般的な不治の病では無い。)

疑いのある病名をメモらせてもらい、次回の問診を予約して、この日は帰宅。

家帰って、嫁に報告して、ググッたら「難病情報センター | 多発性硬化症/視神経脊髄炎(指定難病13)」にヒットしました。
コンピュータ関係で働いていながら、ネットをあまり信じていない。(本当はネットの詳細は出展確かめないと信じてはだめ)
そのときは、「どうせガセでしょ。オレ病名聞き間違えたかな・・・」くらいに思っていました。

 

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2017年9月。初診から2週間後の土曜日にMRI検査を実施しました。
上半身のMRIであったため、頭部を固定しての検査でした。
膝を怪我した時は下半身だったので、あまり圧迫感が無かったのですが、
上半身(被疑箇所頭部)は、固定のされかたがハンパ無いので、
めっちゃ恐かったです。…とちゅうで鼻水出てくるし、痒くなるのをがまんしなきゃだし。

…最後は観念して寝ていて、寝汗かいてたんだよなー。
まあ40分近くかかったらそりゃ寝ちゃうか。

兎にも角にも、これから常連となるMRI初号機(勝手に呼んでます)との出会いでした。

2017年9月某日。朝から大学病院に出向いて、
内科を受診しました。
ベッドに寝かされて足上げしたり、
膝をハンマーでコンコンされたり…
握力・視線…

担当の先生も「おかしいな…筋力はあるんだけどな」って、
一旦「次回MRI撮りましょう」で検査修了となりました。

全然余裕じゃん。でも「受診料6000円超えは高いなー」と、
のんきなことを考えてました(T_T)

 

2016年の4月に職場の配置替えがあって、
通勤時間が往復60分程度伸びてしまった。
忙しい職場で、残業も倍(っても月45時間くらいだけど)
それまで年に4回の夜勤を月2回担当する事になり、
隔週土曜は自主的に本社のセミナー参加と…
疲れが溜まっていたのかな。

本社セミナーの合間に顔を会わせる当時の顧問や取締役から、
「歩き方がおかしいから病院に行け!」としつこく言われ、
2017年7月22日に整形外科を受診する事にしました。

実は、31歳…2005年の12月25日に、近所の親父連中で飲んでて、
「キャバクラ行くぞ!」って繰り出したは良かったのだが、
途中の段差で転んで膝を負傷(膝十字なんちゃらが縦に裂けた)
ってケガをしていて、もともと12年間古傷を持っていました。

7/22、8/5、8/26と整形外科を受診しましたが、
8/26の受診の際、担当の先生から、「念のため、精密検査をしてからリハビリ再開しましょう」
って言葉で、大学病院を受診する事にしました。

あの時の言葉がなきゃ、色んな意味で人生変わってたな…。