私たちは皆,幸せを求めて,一生懸命生きている。又,愛のある家族や社会をつくろうと,努力している。

 

しかし現実には,そのゴールに到達する前に,悩んだり,挫折する事が,多々ある。

人間関係について悩んだり,家族問題で苦しんだり,又,自分自身について悩んだり,自信を失って,絶望する事も或る。

自分自身の中にも,良い性格が在ると思えば,ひどい,自己嫌悪になる,悪い性格もある。

自分のなかに或る,自己矛盾に気付く。

 

又,『私達の生きる目的は何なのか?』  『人間が死んだあとに行く世界は在るのか?』など,私たちは、人間についての

根本的な疑問を持ちながら,それぞれの環境の中で,生きている。

 

人間についての、『性善説』や,『性悪説』が在るが,十分に納得のいくものではない。

キリスト教では,『人間はその人類の始まりに,アダムとエバが,神様の前に,原罪と言われる罪を犯した。それをそのあとの人間が,親から子へと血統的に受け継いだので,人間は皆、神の前に罪人となり,いろいろな苦しみを持つ、矛盾した、不幸な存在となった』と言っている。

つまり人間は,『神様が願った幸せな道から外れて,堕落した』と言っている。

 

では,原罪とは,一体何でしょうか?私達は,これを,正しく知る必要があります。

そして,このような人間個人がつくる家庭や,社会、国家、世界も,同じように,闘いと矛盾の在る世界となったいる。

 

又,私達が生きていくあいだに持つ疑問ー『人間はどこから生じたのか?、私達が生きる目的は何か?』などの、大きな疑問。

 

ーーーアメーバーからどんどん進化して,猿になり,その猿から進化したのが,人間であるーーーという説は,到底私達の疑問を解決するとは,思えない。

又人間は,目的性もなく,自然に生まれたという事も,私には,納得出来ない。

偶然の産物にしては,人間は素晴らし過ぎると思う。

 

だから人間は,人間よりも素晴らしい或る存在によってつくられたもの、つまり,被造物であるという考え方が,私には,正しいと思われる。

聖書には,『神は始めに,天と地を創造された』と,第一の書である創世記の中で,私達のこの宇宙と人間の始まりに着いて語っている。

そして、神様がご自身の姿に似せて,私達人間を創造されたと,誇らしげに,断言しておられる。

 

だから,もし人間が神によって創られた存在であるとすれば,人間の持つ悩みや,世界の問題を,人間自身だけで解決するのは難しいに違いない。

例えばもし精巧に創られた機械が会って,その動かし方や,故障の治し方を知るためには,それを作った人に説明してもらって動かし方を学ぶというのは、良い方法だとおもう。

 

イエスキリストが,マタイの福音書7章7節に,『求めよ!そうすれば,与えられるであろう!門をたたけ!そうすれば,開けてもらえるであろう!』と言っておられる。

 

人間の悩みを解決し、幸せの家庭や世界を作るためには、

この美しく調和している宇宙や人間を創造された神様に聞くべく,『神様を捜してみる』というのは,良い方法ではないだろうか?

イエス様が,『捜せ!そうすれば見いだすであろう!』と言われた言葉が,本当であるかどうか,試してみたいものだ!

 

毎朝昇ってくる美しい太陽!又、夜に,私達を慰めてくれる神秘的な月の光をみるとき、神様の暖かい愛情を感じるでしょう?