ハードカバーは持ち歩けないので

基本、文庫化を待つ派です。

文庫にはあとがきとか解説とか

オマケもついてるしね。

 

でも、ホントに今すぐ読みたいのは買っちゃう。

たまにだけど。

 

そして、手に入れました。

 

辻村作品を読みすぎている私にとっては

予想した通りの結末だったけれど

初めて辻村さんの本に出会った人には

そうゆうことか!と

思わず手をポンとうちそうな展開です。

 

あと、様々な辻村作品を何度も読み返す私でも

やっぱり最後はボロボロ泣いてしまう。

 

理由は違えど中学に通えない、

いわゆる不登校の子供たち。

春のある日、突然光りだした鏡の向こうへ

引っ張られるようにして孤城へ連れ出されてしまう。

彼らが仲間との距離を測りながらも

少しずつ近づいていく様子。

最終的に明かされる

引きこもってしまった原因。

孤城へ招かれた訳・・・。

 

実は私、小学校4年生くらいまでは

超に超が何倍もつくほど内気な子でした。

大人になって知り合った人は

絶対信じてくれないんだけど。

 

相当なコミュ障で、

言いたいことが言えないどころか

人に話しかけたりできないし、

話しかけられても上手く答えられないし。

友だちはほぼいなかったです。

二人一組になれって言われると

だいたい余るのは私。

自分がまるで透明人間になったような気持ちを

何度も何度も経験しました。

こんなことがしょっちゅうあるので

学校も割と休んでいました。

途中で仮病使って保健室行って、

そのまま帰宅させてもらったりね。

 

なので、学校に行きたくないって気持ちがあるのは

すごーく分かる・・・。

 

何とか私は高学年までに

自分なりの対処法を見つけ出しました。

子供なりに無理をして、

本当の自分に鍵をかけて。

そうして、試行錯誤を繰り返しながら

大人になっていくわけです。

たぶん、コミュ障じゃない人も

その辺は同じなのかなって思うけど。

 

その大人になる過程で、そして大人になってさえ

いじめる人というのはいなくならないんだな

ということを知りました。

大人のいじめは巧妙で、

自分の立場を必要以上に誇張して

(あるいは有利なように捻じ曲げて)

相手を追い詰め孤立させていく人とか。

 

逃げられるなら逃げちゃえばいい。

離れられるならそんな人たちから離れればいい。

学校はそれができないからって思ってたけど、

以前、大学に勤めていた時に

意外と通信制とかで高校課程を終えて

その大学に入学してる子がたくさんいることに気がついて。

今は昔よりも逃げることが許される場面が増えてきたから

選択肢や解決策はきっといろいろあるんだと思う。

 

この物語の中でも

そうした選択肢がたくさん示されています。

喜多嶋先生のいるフリースクール、

他校への転校、1年留年すること・・・

 

こういう物語は経験のある人にでないと

本当の意味では響かないのかなと思います。

お話だけの物語として泣いて、

でも、現実世界では加害者になっている、

そういう人もいるかもしれない。

きっと、いじめのニュースを見ても他人事のまま。

だから無くならないのかな。

 

閉城~エピローグを読みながら、

思春期の自分を思いだしました。

イイコトも嫌なコトもひっくるめて

あの頃の私で、

そして、そこからも更にもがきながら

今の私が生きている。

 

抜け出せない時間なんてないのです。

それが分かるのは青春時代を過ぎて

ずーっと後になるかもしれないけれど。

ふっとすべての肩の荷が下りる、

その瞬間が必ずある。

 

これからの辻村作品のどこかで

過去や未来のこころ、スバル、アキ、

マサムネ、リオン、フウカ、ウレシノに

きっとまた会えるような気がしています。