以前、小松美羽さんの本を読んだ時
美羽さんが初心に向き合える詩を紹介していた。


それが、茨木のりこさんの
こちらの詩。


泉水夕子です。


ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志しにすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ ばかものよ。




アーティストや芸術家、表現者って
この感受性が湧き溢れ溢れ
爆発ビッグバンするような表現。


友人のアーティストをみていても
その感受性の嵐こそ才能だと思う。



では、感受性を守るとは何だろうか。


私は
自らに湧き上がる全てに
許可をだし、湧き出でる源泉を
埋めてしまわないこと。だと思う。



これを
自分と繋がり
ハートでいきる。
とも言う。



人間という肉体をもつことは、
喜怒哀楽、感情を味わう喜び体験でもある。

それがナビゲーションともなり
自らを導く羅針盤にもなる。


しかし、言葉で言うより
肉体で感じることは痛みや苦痛を伴い
逃げたくなるものでもある。


勇気がいる。


私は10代の頃
そこから逃げる為、
痛みを全く感じない技を身につけた。
感受性に蓋をした。


10代の私を守るには最善の方法だったと
今でも思うから、それも悪いわけではない。

ただ、悲しみを感じなくてすむ反面
楽しいこともそれなりでしか感じられない。


ということを
その後、感じることを
思い出していく過程できづいた。


感じるって思考のデータではない。
肉体、細胞の振動を味わうこと。


言葉、思考でキャッチする前に
からだは反応して振動している。


西野カナちゃんの歌に
♬会いたくて会いたくて震える♬
という歌詞の出てくる歌があるけれど、


私が肉体は先に反応していることを体感したのは
怒りからだった。



内容は割愛するが
目の前で起きている出来事に頭真っ白。
怒りで手が凄い勢いで震えて止まらなかった。


その時ばかりは
「傷つかない為感じない」という
無意識の防御作は全く通じず
生きてる実感しかなかった。


20代半ばくらいだったかな。
3年間くらい、
辛すぎて記憶があまりない時期がある。


これも見事な私を守る防御作を
肉体は勝手にやってくれた。



そこから、
安心、安全な日常に出会いはじめるんだけど
意図してやる頭は全く持ち合わせていなく
陰極まって反転しはじめただけ。ニヤリ



この体験から
極まれば反転するから間違ってつき進んでも
本当にヤバいとこまでいっても大丈夫。


と自分の奥底で思っているが、
数年前から、そういうゲームはもういいよね。
って思ってる。


でも、若い体力、無理、無知、無駄、無茶、
が出来る時に、その経験を味わって楽しかった💓



こんな経験から
感情と思考というものをとても知りたかった。


知りたいなんて、利口な言葉じゃおさまらない
どうにか付き合っていく方法をみつけないと
喜怒哀楽、激しさの波に呑まれる自分と
生きていける気がしなかっただけかもしれない。




それが、感情や思考と仲良くなって
(特にわたしは思考と仲良くなったことが
大きかった。)

感情、思考、自らの癖、
特徴を知るということになり、


肉体とエネルギー体を
ずらしていたことにもきづいた。
(感じすぎないように。)




ここがずれてると、
地球と自分と宇宙のエネルギーが通らない。
源泉のエネルギーに繋がれない。
自分と繋がれない。
自らの幸福感を満たすのは、難しい。

そこから、肉体とエネルギー体をくっつける
技もみつけた。笑

まるで、ピーターパンが影を忘れて
ウェンディが縫いつけてくれるみたいに💓



この9年
脳科学、行動科学、量子力学、潜在意識など
感覚にサレンダーに興味のまま突き進んできて
近年は肉体ケア、肉体の周波数ケアに行き着いた。


やっと客観的に見れて
自分はハートと繋がる方向に向かっていた。
ハートに従う。ハートで感じる。
ハートのまま自分を生きることをしたかった。


(もともとやってたことにもきづいたし、
どこで出来なくなったかも、
何が苦しかったかもきづいた。)
これが結局
わたしがわたしの完全受容。



見えない領域世界側から
色々ケアしてきたけれど、(そっちも好き)

肉体、みえる、触れれる世界側からの
アプローチは、張り付いているものを流す
循環を無意識におこしてくれる。
(見えない世界側からのアプローチは
意識が必要だからね。)



自分の内側が外側に現れるのだけれど
気づきは目の前からおき、循環になるから
結局は得意側からやればいい。



人間は肉体という
自分を教えてくれるセンサーを
持っていることを実感する。

そうして実感していくと
決まりきった自分なんてどこにもないこと
なくていいことに気づき、


肉体って窮屈で不自由といつしか
思った気がするけど、
無限に自由でしかない粒子のみを感じる。


多分、これを
ゼロポイントというのかなと思っている。


これは私の感情、感性、感受性。
同じひとがいなくていいのがこれら。


誰とも同じじゃなくていい。
誰にも分からなかったとしても、
わたしがわたしにきづいてあげること。


そこさえ繋がれれば
凝固していた心も自然と温まり動き出す。
自分の心にきづきだす。


私、19歳の自分を最高にリスペクトしていたの。
その自分から遠ざかりもがいた数年を
否定し続けていたけど、
あの時の経験は凄く自分が成長した。

あの時、本当に誰もいない。
自分しかいないんだ。


って心底思ったけど、今なら
「ワタシがいるよ!!どうなっても
あなたは大丈夫!完璧な人生!good job!!」
ってワタシがワタシに言ってあげれる。


不思議なんだけどね、
壮絶な過去を振り返った時、
あの経験はもっといい方法あったね。
って視野が増えた今のワタシが思っても
あの経験を抹消したい。
というものはひとつもない。


ある意味、リスペクトしかない。笑

過去への否定がどんどんリスペクトに
変換されたのは、
今を楽しめるようになったから。


★感情と仲良くなった。
(未だに、チキンで感じず逃げる時もあるけど。)

★思考と仲良くなった。
(客観、俯瞰、ただみる、育み、上手くなった。)

★肉体(子宮)と仲良くなった。
(こんなにも子宮は素直に表現して
伝えてくれていたなんて知らなかった!)

★ハートで感じる。がわかるようになった。
(愛しいことも、愛したいキモチも
素直に感じれるようになった。)

★いつも後先考えず衝動で行動するから
いつも不安と決断後のムダな自己否定を
してきたけど、そのムダなエネルギーいらないよ。
(エネルギーの使い方も上手くなったよ。)

★あなたのその動物的感覚は才能だ。


今、ワタシがワタシに投げかける言葉が
昔とだいぶ変わった。



あんなに辛かった自分の感受性、
喜怒哀楽どれをも今は素直に
自分の肉体に感じることをオッケーと思える。

過信している時は
勝手に肉体が私の大丈夫な様に
制御してくれる信頼もある。


私はわたしのこの感受性を
わたしが全て見つけてあげたい。

この感受性全てを受け止めてあげるから大丈夫。



ムカつく💢
はらたつー💢
悲しいえーん
辛いー!しんどいー!
苦しー!くやしー!
嬉しいー😍😍😍
ドキドキ💓💓💓
幸せ〜💗💗💖キュンキュン〜💘💘
楽しいー❣️❣️❣️❣️❣️


全部ぜんぶぜ〜んぶ
自分の内側から噴火するように
遠慮なく止めどなく
自分の内側で感じまくったらいい。
内側で何を感じるのも自由。
表に出す表現は自分が育みたい人には
育みたい想いと共に伝えたらよい。




今は自分の感受性に対して
そんな風に自分に対して思えるのが
ほっこり嬉しい💓💓💓


あなたから湧く
その唯一無二の湧き出でるものは
あなただから湧く
あなたからしか湧けない
オートクチュールのヘヴンリーみずがめ座ロゼワイン

自分の感受性くらい
自分で守れ ばかものよハート



Happeace (^ smille^)Love






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