マウイから帰って色んな人に

「顔が優しくなった」

と言われる、ゆうこりんです(笑)



確かに!!!!

マウイ前、からだや思考が締まって

ついイライラしていた。


だから、リラックスしたかったし、

緩みたかったんだょね(^^)



マウイでは本当、きづきだらけ

だったんだけど、


ある日ストーンと府に落ちたのが


そうか…

愛されようと

することより、


自分が愛せば

良かったんだ!!!!!!


愛される自分でいようとするのは

根底に「愛されていない」「愛されたい」

自分がいること。



主体性を誰かに明け渡すことで、

何か自分に付加価値をつけることで、

愛される自分に理由があることで、

自分は愛されるはず。


愛されてもよい。

愛されたい。って…


愛されよう、愛されよう、

って頑張ってる自分。



男女感でも

親とでも、

子供とでも、


愛される為

やるのか、


愛してるから

やるのか。


これって大きな違い。



私は男女では愛される為

やりつくした経験から、(苦笑)

今ダーにはありませんでしたが、



子供には…

あるな~。

と思った。


自分の子供の頃の傷が

痛かったり、癒えてないから、

子供にはそういう思いさせたくない。

とか、

いいママでいたい。

とか、

ママのこと

好きでいて

もらおうと

頑張ってたな~。


と、ふと思った。



私の幼少期の傷だって、

その時は「愛されてる」って

感じれなかった、親の

言葉や行動だったと思うけど、


今、親になって思うのは、

余裕がなかっただけで、

私への愛はあったし、

私が絶対的離れていかない存在だったから

できた行為。



でも、私は愛されてるのか

わからないと感じてしまう行為をする

自分を愛していない(と思っていた)

親を愛せてはいなかった。



愛して欲しかったんだょね~。





だから、自分は

愛される親になりたかった。



自分の親のようになってしまったら、

子供が可哀想で、そんな自分は

愛される親じゃない!!




って、

自分をどこかで可哀想って

思ってるし、

そんなことする自分は愛されるわけがない。

って根源…



前にインナーチャイルドについて

教わった先生が

愛することが、難しい人を

愛することが、課題なのかもしれない。

とおっしゃっておりましたが、


本当、その通りと思います(笑)




誰に対しても

その人に好かれる為でも、

愛される為でも、

いいこ、いい人になる必要もなく、

ただ、相手に

愛を持てばいい。



等身大のその人を、そのまんま

いい、悪いジヤッジはずして、

自分の感情は感じきって、

認め受け入れ、

自分にとって愛しい人だょ

って表せばいい。



今までも、頭では

こういう考え方すれば

いいんだょね。

みたいに何となくは

「愛する」とか「与える」とか

知ってはいた。



でも、

あらためて

自分の根源はどこか。



愛されたいからしてる?
or
愛してるからしてる?



その上で、

「愛する」「与える」って

自分には何なのか。



結局、自然に当たり前に

今自分がやってることが何か


観察し、きづき、根源を

とことん「どんな自分も愛されてること」

が当たり前じゃない場合は

とことん、まず自分に対して

「どんな自分にも愛をもつ」。




結局、親や誰かは課題をくれる

かもしれないけれど、

自分が自分に何を思い、

自分に何をしているか。



調和とかコミュニケーションとか

言うけど、外にあらわれてるのは

結局自分の内側。


だから、結局は自分との調和。

コミュニケーション。



愛せない自分は、

自分の何を赦したいのか?

認めたいのか?受け入れたいのか?

わかってほしいのか?




外に求める前に

自分にきいて、自分にしてみる。





愛される為頑張ることより、

どう愛するか?頑張ろう(*^^*)



そんなことが府に落ちた

マウイ旅でした♪



Happpeace(*^^*)Love