必要なときに必要なぶんだけ人間は変わる。
逆を言うとそれ以外で変わることは無い、と思う。
変われないことでチャンスを逃したりすることはあるかも。
必要はあれども変われない。
それは、それ。そこまで。
劇団時代(プラットフォームの前に所属してたことがあります、昔)に私にすごく干渉してくる人がいたんですが(演出家ではなく、ただの先輩)、その人の口癖は『お前のために言ってるんだ』でした。
ダメだしの電話は大抵深夜、一時や二時で、お酒を飲んで掛けてるときもあったみたいでした。
当時私の世界はとても狭くて、言われたことは9割方信じたし、一生懸命聞いて実行しようとしたし、私が全員の足を引っ張っていて劇団の看板に泥を塗るという言葉を鵜呑みにして自分を責めたし、うまくいかないことが怖くて怖くて、駄目出しされた次の稽古で自分が劇的に変わらない限りやめるしかないと思ったり。できない、こわい、やりたくないの無限ループ。
終いにはその人から着信ある度にものすごく心臓がドキドキするようになって、まともに電話口で喋れなくなり、そんな時は『聞いてんのかよ』と更に怒られました。
その人とうまくやれないし、私のことを辞めさせようとする圧力がすごかったので私が退団しようとしたときに
『俺、30までに売れたいんで』
というよくわからん理由で彼のほうが辞めました。
いま33か34か、そんくらいだと思いますが、未だ彼の名前を見かけません。
あの人は、自分の力で私を変えられると信じていたと思う。
当時28歳で、今の私よりも年上なのに。
笑っちゃいますね。
他人を、自分の力で変えることができると信じているなんて、烏滸がましいと私は思います。
昔、恋人の嫌なところを私が変えられたらと望みましたが不可能でした。
結果的に、その人の手柄ではなく、色んな要素によって私は変わった。
昔よりはお芝居もうまいと思うよ。
他人に影響を受けるときは、干渉されたときではなく、その人の生きざまを尊敬したとき。
勿論反対意見があってもいいですが、いま私はそう信じている。
いい仲間に恵まれて、いい出逢いが続いています。
自分にも正直になれてきました。
自分に嘘をつかなくなりました。その代わり、怒りや痛みも感じやすくなりました。
でも、誤魔化しながら生きていたときよりずっといいです。
過干渉は野暮ですよ
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