当時の日記を見返してたんですが、母と意思疎通が出来たのは、この日が最後でした。

 

朝、病室に入ると鼻に酸素チューブされてました。

父が誤嚥肺炎で亡くなる前に同じ光景をみてたんで、『もう、あかんねやろな どないしよう』って考えが頭をよぎりました。

 

「母さん おはようさん」と声かけても手を握っても応答なし。

『なんでこうなったんやろ 医者なにしてるんやろ』と悲しみや、憤りや、不安と色んな考えが襲って来て、荷物を置いて病室でました。

 

無駄に病院の長い廊下を行ったり来たりしてるあいだに、看護士さんが熱を計りに来てくれました。

「昨夜はどうでしたか?」と聞くと「腫瘍が悪さして熱をだされてました。熱を下げる薬を入れてますから少し持ち直すと思います」と説明ありました。

 

まんじりともせずお昼まで、病室のソファに座ってるとお昼になりました。配膳の時間になるとガチャガチャと騒がしい音が廊下から聞こえてきます。

 

その音で目が覚めたようで、母がうっすらと目を開けました。

なるだけ平静を装いながら「母さん お昼になったで なんか食べるやろ?」と聞くと目で頷いてくれました。

「ベッドあげるわな」と声かけながら、ベッドを起こして持って来て頂いたお昼をテーブルに置きました。

 

病院食はミキサーにかけたものを出してきます。ほうれん草は緑のスープ、人参はオレンジのスープといった具合です。

 

「どれから食べる?」と聞いたんですが、母は食べたくないジェスチャーをします。食欲がなかったんでしょうね。

 

「そうや、お見舞いのゼリー食べよか?なっ」と聞くと、頷いてくれました。

りんごゼリーをスプーンで一口食べさせると、「シャリッ」という音がしました。食感が良かったのが母がこちらをみて、ニッコリ笑ってくれました。これが最後に観れた母の笑顔になりました。

 

末期癌なんで咀嚼する力もないのか、口の中にゼリーを入れたままじっとこちらを見ていました。

「ちょっと出すか?」とティッシュを口前にだすと、ゆっくりゼリーを吐き出しました。

 

「よう食べたな 休もな」といってベッドを倒して、枕を当てなおしたり布団を掛けなおしてあげました。

 

目を瞑って身じろぎ一つしない母をみて、不思議と子供の頃の記憶が蘇ってきました。

出来のよくなかった僕は、母によく打たれたものでした。

気性の激しかった母が何か小さくなっていく、そんな感じがしました。母の命が消え入りそうなことが、僕にもはっきりと感じとれたからだと思います。

 

呆然と突っ立てたんだと思うんです。

後ろから看護士さんが「午後の体温を計りますね」と声をかけてくれて、ようやく我にかえりました。

 

夜まで落ち着かない気持ちで、母の横に座ってましたが意思の疎通は出来ずでした。

 

ぐったりとした気持ちを引きずって、ひとまず帰宅しました。

誰もいない自宅は暗かったです。

自室の机の前で『危篤の連絡があったら会社から間にあうかな?』とかとりとめのない思考が頭の中をグルグル回ってました。