スクラップブック(2011年夏~現在)

スクラップブック(2011年夏~現在)

2011年8月以降、私(編集委員・安藤明夫)が中日新聞で書いた医療記事や、中日メディカルサイト(2018年3月末で休止)に載せたネットコラム「青く、老いたい」の保存版などを、載せていきます。

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社会復帰へ大きな一歩

 私のおなかの真ん中に、白い円形の器具があります。胃に栄養を送る「胃ろう」の注入口です。妹が初めて見たときに「ごはんが入るボディーピアスだ」。おしゃれな感じで、何だかいい気分になりました。

 胃ろうに踏み切ったのは、社会復帰のためです。舌の切除手術から半年が過ぎても、口から水を飲むこともできず、栄養剤を鼻のチューブから入れている状態。退院して、仕事をしながら手軽に栄養補給するには、胃ろうしかない。管理も簡単だし、おふろにも入れる。そう思って主治医にお願いしたら、賛成してくれました。

 ところが、両親が大反対。高齢者医療の世界で、胃ろうが過度の延命につながると批判されるようになり、かなり悪いイメージを持っていたようです。「そんなものに頼っては、口から一生食べられなくなる」とも言われました。

 自分としては前向きな決断だったので、大変驚きました。それまで、口から食べたいと懸命にリハビリを続けてきましたが、必要な栄養量を口から取るには二時間ぐらいかかる状態。体力が尽きてヘトヘトになり、食べることを苦痛に思うようになっていました。

 胃ろうで栄養を補いながら、無理なくリハビリを続けたい、仕事も外出もしたいと、一週間かけて両親を説得。二〇一六年の三月に局所麻酔の手術を受け、胃ろうを造ってもらいました。

 退院後、職場復帰するまでの二カ月間は、前半を岐阜県下呂市の実家で静養。後半は、同県高山市の独り暮らしのアパートで過ごし、生活リズムを整えていきました。

 初めは、朝食と昼食を胃ろうにして、夕食はおかゆをミキサーにかけて食べたりしました。仕事に戻ってからは、胃ろうだと昼食がすぐに済むので、空いた時間は、同僚とのおしゃべりに充てました。栄養剤とチューブ、シリンジがあれば、気軽にどこへも行けるので、一人旅もしました。こうして多くの人とふれあったことがのどや頬のトレーニングになり、食べる力が劇的に改善していきました。

 

この一年ほどは、胃ろうの助けを借りることは少なかったのですが、実は今また、恩恵を実感しています。がんが肺などに転
移し、先月から抗がん剤治療を受けてきたのですが、二クール目に入って、副作用で口から食べられなくなったのです。胃ろうを造って、本当によかった。