さむの御帰宅日記

さむの御帰宅日記

ネットの海の枯れ珊瑚のあぶく



 天使の別荘カフェVillAngeの閉館から七年を経た。あの頃、ぼくは年甲斐もなく大学院生になり、初めて触れたメイド喫茶文化の虜になった。もう七年も経っている。だから、この文章を当時の誰かが読んでくれるとは思えない。もしかすると忘れていた通知が届いて、だれかの目に触れるのかもしれないが、それは幸いなことだ。

 2018年の五月から2025年の春を迎えて何が変わったか。卒業していったメイドさんらは、それぞれに違った人生のステージを歩いているのだろう。ただ元気に楽しくやっていてほしいなと、少々、感傷的に思う。七年あれば、小学生は中学生に変わる。だから、メイドさんらの中には、当時と今では全然違った性格、見た目になった人もいるだろう。どこかで幸せになっていてください、と彼女らの人生のごく僅かな一時期の隣人だったものとして考える。そう、世界平和を願うよりは、少し具体的で明確で強い想いとして。

 七年を経て、ぼくも変わった。見た目は大差ない。つもりながら、加齢の分だけ老けたのだと思う。その他に何が変わったか。VillAngeに通い始めたころ、行先も判らぬまま手探りで取り組んだ博士号取得の道は、無事に完遂した。今はあの頃の祈りの向こう岸にたどりついた。昨年夏に無事に京都大学より文学博士をもらって、VillAngeとe-maidの名前を、京大図書館に残すことができた。



 では、その後、どうなったのか。七年前と何が違うのか。

 ひとつ、ぼくは大阪に引越してきた。2023年8月より引越しているので、そろそろ最初の火災保険の更新日が近づいている。当初、大阪にて働こうとした仕事先も色々あって変わり、今は相も変わらずライター稼業である。ただ博士号の威力か、集英社で連載を持つことになった。忙しいわけではないが、二ケ月ほど前に、二ヶ月分の原稿を書いて渡したせいで、この二ケ月原稿を忘れており、今月中に続きを書いて出さなくてはならない。9月には研究室の恩師より、雑誌論文を一本かくようにと声をかけて頂いているので、それも何とかせねばならない。また脚本の仕事も動きそうである。研究と書き仕事は、なんだかんだと続いているのだ。

 ふたつ、生成AIが社会的な認知を得て日常化した。ぼくも仕事で多少世話になっている。また政府関連の仕事を実は請け負っている。これは七年前には想像できなかったことの一つである。まったく別件でいえば、とある仕事の関連でFBIにも会った。人生でFBIに出会うのは二回目だが、潜入捜査官に出会うとは思わなかった。

 三つ、人間関係における解像度が上がった。会話においても、非言語的コミュニケーションにおいても、男女とわず、他者を慮ることが多少できるようになった。とくに、この二年半、その傾向は著しいように思う。コミュニケーション能力の不足、未熟、未達は否めないが、それでも以前よりはマシになった。キリスト教の狂信者ではなくて、社会的で一般的な中年男性としての振る舞いが、多少は身についてきたつもりではある。無論、まだまだ勉強中ではあるが。

 四つめ、七年前、思いもよらなかったが、現在、仏教と神道について学んでいる。お寺で何度か講演したし、友人神主の神社にて境内の掃除も行った。人生、何がどうなるか分からないものである。同様に、沖縄との関わりがより密接になった。年2~3回、訪沖するようになった。これに加えて、LCCではなく正規キャリアの飛行機に乗るようになった。早めに予約すれば、存外、安く済むものである。

 とまあ、こんなわけで、VillAnge閉館後の七年間で、大きく変わったことは、学位取得、大阪への引越しだった。その他にも諸々ことばに尽くせぬ話はあるのだが、ここでは割愛したい。



 そして、今日、近所の昔ながらの喫茶店へふらりと入って、興味深い話をきいた。何でも62年前から、この喫茶店はあるらしい。京都三条に六曜社という珈琲屋がある。今回ぼくがふらりと座った喫茶店は、この六曜社で最初のウェイトレスとなった女性が、独立開業したところだそうだ。その後、結婚に際して、姪に権限を委譲し、姪の方は今年で80才、現役でカウンターに立っている。

 銀行とカフェだらけだった大阪日本橋を覚えておられる方であり、矍鑠とにこやかに笑う。つい楽しくて珈琲3杯を頼み、昔話を伺った。聞くと、旦那さんは少し前に亡くなられたとのこと。2025年の万博ではなく、1970年の大阪万博でも仕事をしていたという旦那さんとの入籍は、ご夫妻のどちらかが70代後半になってからとのこと。実に50年以上、同じ店に通った男性と、彼を受け入れたウェイトレス(後にカフェの店主)の物語。ある意味では、オタクの町ポンバシにふさわしい、キャストと常連客の話である。

 そうやって長く続いた物語のアフターストーリーに、座らせてもらったわけである。珈琲を飲んでいたら、同様に50年来の常連客という77才の老人が来られた。故郷の話やら世相について話をして、楽しく過ごした。

 VillAnge、e-maid、FunnyTears、それぞれに違えど、人知れず、そこで生まれた人間関係が、いつかどこかで遠くても実を結んでいったこともあるのかもなと思った。

 VillAnge閉館七周年を思い出して、これを記す。そういえば、今日の夕方おかいさんの友人Kさんに、たまたまemaidで会った。偶然に過ぎない。でも、何か、そういったことを思い出す日だったのかもしれない。VillAngeと融合したemaidの珈琲ホットの味を思い出しながら、苦みの中に香る微かな甘みに思いを馳せた。

 あのころ、大好きだったあの場所にいた皆さんへ、お元気ですか。あなたに祝福がありますように。

 さむ 拝