信じるということ
3月11日14時46分。
今後永遠に鎮魂の時として多くの人々の心に刻まれることになる日時。
私の住む横浜でも、これまで経験したことのないような揺れ、
そして続く原発事故の影響もあり、
一時期は物資がなくなったり、
放射性濃度に変化があったりと、
物理的にというより、
主に精神的に大きな打撃を受けました。
次々と押し寄せる不穏な出来事への不安で押しつぶされないように、
「自分たちはまだ何も被害を受けていない。被害者ではなく支援者であるべきなんだ。」
と、自分に言い聞かせていました。
個人的なことですが、地震が発生する以前より、
私には考え、そして動かなければならない理由がありましたので、
ことさらに自分を鼓舞する必要がありました。
地震から1ヶ月近くたち、
私自身の問題もようやく落ち着くところに落ち着き、
やっと「本来の自分」を取り戻しつつある、
そんな気持ちになっていました。
その前向きな気持ちがまたもや引きずり戻されることがありました。
ニュースにもなっていた、今回の地震を予言したといわれるある人物のブログを見てしまったのです。
この手のものは普段信じない私なのに
ブログに加え、彼のツイートをもさかのぼって熱心にチェックしてしまいました。
結果、震災直後、正確に言えば原発事故の直後に感じた恐怖よりも
更なる恐怖のどん底に陥ることになりました。
その人物によると、次なるXデーが昨日10日とされていました。
私はそのことについて考えに考え、悩みに悩み、
一晩で胃がおかしくなり、ごはんものどを通らない有様でした。
当然、選挙にも行く気力もなく、
選挙など行っても無駄なのでは・・などと思ってしまう始末。
(結局投票しましたが・・)
結局昨日は何起こりませんでしたが、
今後近いうちに絶対に起こりうると断言しています。
未来のことを考えられない、希望を見出せないことが、
こんなにも辛いことだとは。
今朝になっても鬱々としていた私は、何もする気力が起きず、
ごく簡単な家事を長い時間かけてやっとこなした後はダラダラ・・・
今日で震災から1ヶ月ということで
TVでは朝から被災地の様子が映し出されています。
その中で、津波で母親を失った小学生の男の子が映されました。
男の子の母親は津波に巻き込まれ車の中で息絶えているところを
家族によって発見されました。
そのとき、男の子も家族とともにいました。
なんて残酷なこと。
私は母親を病気で亡くしていますが、
十分大人の私でさえ、
親の亡骸を目にするということは言葉に尽くせない辛さがあり、
親の死に際のフラッシュバックに何年も苦しんでいるというのに。
しかし、男の子は笑顔で将来の夢を語っていたのです。
目が覚めました。
試練の中にいる人たちが未来を見据え、なんとか立ち上がろうと必死で踏ん張っているのに、
まだ起こってもいない幻に怯えている私はなんなのでしょう。
恥ずかしながら、またもや私は被災地の方々の姿に救われました。
預言の彼は人の為によかれと思って言葉を発しているのかもしれないけれど、
それらは人から希望を未来を奪い去るような内容でしかありません。
もしかして本当に起こることなのかもしれない。
でも、私は信じたい。
誰にも希望を奪いさる権利はないのだから。






