四 中共におけるキリスト教・カトリック教政策の歴史的回顧
中国共産党は誕生してから、西から来たキリスト教とカトリック教に対し鮮明な政治的態度を有し、そのために相応の政策を制定した。これらの政策は民主革命時期に数度の調整を経て整備され続けてきた。この歴史を回顧、総括し、建国初期の中共新政権におけるキリスト教とカトリック教政策を深く理解することは大いに裨益するところである。
(一)中共早期におけるキリスト教とカトリック教に対する政策主張
中共は誕生以来、西側の背景を持つキリスト教・カトリック教と帝国主義による侵略という相互関係を、キリスト教・カトリック教が中国において帝国主義の最大勢力を担う侵略ツールとみなし、伝教は帝国主義の中国に対する文化的な侵略であるとしてきた。そしてその政策主張は、かなりの程度においてソ連に倣ったものである。
1922年5月、中国社会主義青年団第一次全国代表大会において可決された決議案は、キリスト教とカトリック教を「現在の資本主義、帝国主義における最大勢力のツールであり、従って我々は必然的に反対しなければならない」と指摘した。これは中共がキリスト教・カトリック教と帝国主義による侵略を関連づけて批判を行った始まりである。
1925年1月、中共第四回全国代表大会は《民族革命運動に対する決議案》を可決し、中国革命が成功しない一部の原因は帝国主義国家が中国に教会を設立し田教活動を行っていることにあるとしている。そのため、同大会で可決された《農民運動に対する決議案》は各地に「キリスト教、カトリック教の伝教勢力が及ぶ地において、教会によって田畑が占有されること、教会がごろつきと手を結び良民を抑圧することに、農民が反対するよう特に鼓舞すべきである」と明文している。さらに、キリスト教・カトリック教に反対するスローガンを「農民から反帝国主義の導線を発展させる」とすべきだとした。このような反帝国主義における反教会、反教会すなわち反帝国主義、という闘争モデルはその後の共産党員のキリスト教・カトリック政策の基本的な出発点になった。
原文:劉建平「紅旗下的十字架ー新中国対基督教和天主教的政策演変及其影響(1949-1955)」華東師範大学博士論文、2008