私は、クリスチャンであり鍼灸師です。
人生では時々、大事なことに気づいたり新しい発見をしますよね。
私にとってそのような気付いたことを書いていこうと思います。
自分自身のために。
さて
私は今年の3月末に自分のお店を開業しましたが、経営はまったくうまくいってません。
4月は泣いてばかりいました。
5月はとにかく出来るかぎり動きました。
6月も、とにかくよく動きました。
そして7月は大事なことに気が付きました。
期間としては短いですが、私にとっては人生の中での大きな気付きとなりました。
私はそれまで「夢を叶えることが幸せ」と考えてきました。
そして、私はキリストを信じているので、
心から依り頼んで祈り求めるなら、その祈りは神に届いていると確信していました。
聖書の中で「空の鳥を見なさい・・・」の箇所も何度も読んでいるので、
神は私たちを飢えさせないこともわかっておりました。
だから私は、収入が少なくてもなんとか生きていくことができると考えておりました。
しかしながら、
経営は難しいままで、このままでは存続は厳しいだろうなと感じております。
私は神に「ベストを尽くして頑張ります、どうか私をこの仕事で生かさせてください。(できればあの場所で)」
そのようによく祈っておりました。
とはいえ、届いてはいても聞かれない祈りもあるということを知っているので、
毎日もやもやと色々考えながら不安な日々が続きました。
長年の夢だったものを、まさに今はじめているのに心の中はちっとも幸せではありません。
私には愛している人がいるのですが、
その人のことを想う時間すら持てない程、心の中は余裕がなくなっていました。
やっと叶えている夢なのに、辛さしかない。
不思議でしたが、
段々と自分自身のことをみれるようになってきました。
正直、私は自分でうまくやっていけると思っていました。
それは、神によってやっていけるというより、私自身の実力によってやっていけるという考えが奥深いところにあったのだと思います。
それは傲慢であり、自分自身の小ささをわかっていないことでもあります。
まず経営を通してそれをよく実感しました。
そして祈るときに、「私たちの罪をお許しください、私たちも私たちに罪のある者を許します」
と祈ってはいたものの、私には心からは許せていない存在がいて、
誠に神に祈りを聞いてほしいのであればまずその人を心から許さなければいけないなということに気が付かされました。
今回のことよって私は心からその人を許せるようになりました、【感情の伴わない思考によっての許す】はしてきましたが、
感情も伴った心からの許しはその時から初めてすることができました。
「聖書には心の貧しい者は幸いである・・・略・・・天の国はその人たちのものである」という言葉がありますが、
その意味は心の中に誇るものも何もない状態をさしているのだといいます。
その点において、
それまでの私は自分自身の力によってうまくやっていけると考えていた時点で、
私は私自身を誇っており決して「心の貧しい者」ではなかった訳です。
そして極めつけは、大事な人からの手紙の中に
「この世には、あなたの心の平和と幸せよりも優先されるものはありません」という言葉がありました。
本当に全くその通りです。
なんと愚かだろう。
私はこの世での事業の成功を期待していたわけです。この世で。
それがそもそも私にとって何かが違うということに気が付かされました。
それに気が付いた時、
自分の事業に固執する必要がないことをようやく理解しました。
その瞬間、私の夢だったものは、私の中でもう夢ではなくなっていました。
私の最も望むことは「死後に天の国に入ること」であり、生きている間は幸せを感じ楽しむべきです。
幸いなことに、再就職先も既に決まりました。
事業を閉めるのはまだ少し先ですが、私は自分の職業によって仕事をすることができ、生きていくことができます。
そして、ここ数ヶ月失っていた心の余裕も再び得ることができそうです。
神は今回のことを通して、私に本当に多くの大事なことを教えてくれました。
神様は、最も良いものを最も良い時に(良いタイミング)に与えてくれるといいます。
私にとって神の助けや導きは、いつも静かでひっそりとしていますが、とても力があり大きなものです。