つれづれなるままに、ひぐらし硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとをかきつくれば、あやしうこそものぐるをしけれ。

(手持ち無沙汰で退屈なので、一日中すずりにむかって、心の中で浮かんでは消えるとりとめもないことを書いていると、妙に気分が乗って高揚したような、おかしな気分になる。)

 

上記から始まる、かの有名な徒然草を書いた兼好法師の正式な名は、卜部兼好(うらべのけんこう)という。

 

卜部家とは平安時代(古墳時代という説もある)から政治や都の吉凶を判断する占いを生業とした一族だという。

亀の甲を焼いたときの割れ方によって、良し悪しを占う、と高校の日本史の先生が言っていたような記憶がある。

現代であれば「亀の甲羅で政治の方向性決めるんかい!怪しすぎやろ!」と突っ込みが殺到するところだが、科学的な判断基準を欠き、神の力が信じられていた時代だったからであろう、卜部家は祭祀貴族として扱われたそうだ。

 

卜部兼好は、そんな祭祀貴族、かつ、法師だったわけだが、そんな肩書に反して、徒然草はだいぶ力の抜けた随筆になっている。

 

 

 

さて、私はこの投稿が初めてのブログ投稿となるのだが、「ブログといふものをわれもかいてみむとするなり(節子、それ卜部兼好ちゃう。紀貫之のパクリや)」と思ったきっかけが二つある。

 

1つめは、好きな作家さんのエッセイにブログ投稿について記載があったからである。

「プロ作家になる前にブログでエッセイの練習をしていてよかった。プロは一度失敗したら終わりでもう依頼が来なくなるから。」といった記載があり、なるほどアマチュアはアマチュアなりに練習をするとよいのかと、もにょもにょもったり、ブログへの気持ちを温める契機となった。

 

2つめは、Nさんのおすすめからである。

ブログへの気持ちをもにょもにょ液体のまま抱えていた時期に、私が文章を書くことが好きだと知ったNさんが、ブログの投稿をすすめてくださった。Nさんと、Nさんを紹介してくれたAちゃんは私の話を笑わずに受け取め、助言をしてくれる尊敬する大人なのだが、そんな方々に後押ししていただいたおかげで、私のもったりとした思いがやっと固形になり、重い腰を上げるに至った。

 

 

元来、私は計算尽くめの人間なので、小説を書こうにも、感想文を書こうにもきっちりプロットを作成し、それに従ってかちかち当てはめていくというのがスタイルである。

だが、毎回そんなことをしていたらブログを書くのも面倒になって辞めてしまいかねない。

よって、なるべく力を抜いて、心の赴くものを膨らませるという形で細々と続けていこうと思う所存である。

まさに、「心にうつりゆくよしなしごとをかきつく」る、ということである。(卜部兼好みたいなたいそうなものは書けないけれど!!)