かつて役所で奮闘していた公務員のブログ

かつて役所で奮闘していた公務員のブログ

地方公務員として、「戦い」を続けてきた経緯を綴ったブログです。

Amebaでブログを始めよう!
こんばんは。

突然ですが、このブログを終了することにしました。

最近は更新もしていないので、実質終了状態なのですが・・・
やはり、正式に終わりを迎えさせたいなと思いまして。


終わる理由ですが、
新たに取り組みたいテーマが見つかったためです。

引き続き、このブログに新しいテーマとして書くことも考えましたが、
明確にテーマが定まると、それ専用のブログがいいなって。


新ブログは、近日中に開設し、こちらにも報告します。
見に来ていただけると嬉しいです。


新テーマは、

アスリートやその指導者を対象とした

「障害」からの復活
「フロー」な競技生活

などを中心に書き進めるつもりです。


僕自身も、3つの役割、

アスリートとして

コーチとして

NLPトレーナーとして


の活動に集中することに決めました!


それぞれの視点から記事を書くのが今から楽しみです。




これまで、当ブログでは、

・公務員時代の率直な想い
・ボイストレーナーへの挑戦
・ナガクライズム
・メキシコ旅
・マインドフルネスNLP
・自分自身のケガ
・水泳やランニング

など、とくにテーマを絞らずに、
僕自身がそのとき興味をもったことを、
飾らない言葉で素直に書き記してきました。

今となっては恥ずかしいことこの上ない記事もたくさん・・・
でも、すべてそのときの精一杯の自分をありのままに表現したこと。

なので、とても愛おしく思います。



このブログはこれにて終了いたします。

今までありがとうございました!!

動くことで阻害原因に気がつく

昨日、グランストンテクニックで治療をしていただき、身体に大きな変化がありました。長く歩き続けると足の裏がすごく疲労する原因にようやくたどりつき、その部位を治療した結果、ようやく足首に入ってしまう余計な力を抜くことが出来るようになりました。

また治療前の3連休、マインドフルネスNLPで自分が持っていた「可能性を制限してしまう思い込み」がどのような構造になっていたのか、その源泉となるものが何かを明らかにすることができて、とってもラクになりました。

それまでは、「ハードルは高くないと意味がない」って思い込んでいたんです。そうじゃないと自分の存在意義が証明できないって。でも、それって望ましい未来を達成している自分は、そういう思い込みは持ってなくて。

「じぶんが跳びたくて、楽しめるハードルでいい」って変えられたんですよね。それから、人と比較することとか、結果ばかりに気を取られることにとらわれにくくなりました。前に進むのがラクになった感じです。


心と身体は繋がっている

自分のココロがラクになれば、身体の治療も劇的に進むんですよね。本当に「こころと身体は繋がっているんだな」と思う瞬間です。もちろん、逆の場合もあります。身体の痛みや緊張が取れると、気持ちも明確に変化したり。どちらでも、自分のあったやり方から始めたらいいんだなって思ってます。


マインドフルネスに新しい走り方に挑んでみて

で、昨日の治療と3連休のマインドフルネスNLPのおかげで、いま取り組んでいる”Evolution Runnning”という、より効率的よりケガのない走り方のコツを掴むことができました!

で、さっそく今日試しに10キロほど走って来たんですけど、とても気持ちのよいランニングになりました。ココロはリラックスして落ち着いた状態で、ときに笑顔も出てくるくらいで。

身体もスムーズに流れるように動いてくれました。息が乱れることもなく、身体に痛みが生じることもなく、かつ今までとほぼ同じくらいの速さで走れる。今日は10キロ49分でした。ちょっと前まで、懸命に頑張ってようやく10キロ51分で走って、翌日は膝の激痛を抱えていたことが嘘のようです。

さすがに10キロあると、出来ている時間と、ココロも身体も乱れる時間があって。いまは気持ちも身体もラクに走れるフォームでいられる時間を増やすことにチャレンジしていきます。


気持ちが乱れると、身体が反応してフォームも乱れる

コツは、心と身体の両方にそれぞれありますが、今日感じたのは、心のあり方がフォームに及ぼす影響がものすごく大きいということ。

心地よくラクに走れているときは、まさにマインドフルネスな状態、リラックスできていて、余計な内部対話(頭の中の会話)がなく、視野も広かったです。一歩一歩に集中出来ていて、かつ走ることそのものを全身で感じられていました。

一方で、「記録を目指そう」と思った瞬間に力が入ってしまいます。僕にとって「チャレンジすること=頑張ること=力を入れること」というプログラムがあるようで、結果のことを考えると、力が入り、それがフォームを乱すことに。

さらに、この「頑張る」について、最近「頑張らなくて良い」というメッセージが流行していることに、「そうじゃないんだよ!」っていう思いが浮かんで来て。「頑張らなくて良い、っていう言葉の使い方じゃ、結局は頑張らないことを頑張るようになるだけで、結局変わらないのに。」とか、「だって、その言い方じゃ、頑張るの部分だけがこころに浸透するだけなのに。」とか考えちゃって。で、自分なら「頑張るやり方はもう十分に習得できたから、次は、その逆のラクに楽しむやり方を習得するのどう?」って言うなーとか、走りながら考えたりして。(全部、僕がそう思っているだけなのにね(^_^;A)

そうなると、肩に力が入って、フォームが乱れ、息も上がり・・・てな感じで、マインドフルネスはどこへやら、あの心地よいランはどこへやらといった体験をしました。その時間は最後のわずか10分たらずだったにも関わらず、今日は走り終わってから、ものすごく肩がこっている身体に気がつきました。

僕らの想いの力って思った以上に強くて、思っている以上に身体にすぐ影響するんだなって、そんなことを感じました。
チームビルディング研修でのお題

「3-4で負けている9回裏2アウト満塁、あなたは監督としてバッターにどんな声かけをしますか?」というお題をチームビルディング研修で出されたことがあります。

僕はこう言いました。

「たとえ凡退しても、誰もお前を責めないから安心していいぞ!(選手に向かって)な?みんなあいつのこと責めないよな?いまそれを約束するな?」

そのとき、爆笑されたんですよね。僕としてはものすごく真剣に考えてのことだっただけに、ちょっと面食らったというか、とても驚きました。そんなのありえないわ~っていう笑われ方だったので。もう何年も前のことなのに、そのときのことは今でもこうして覚えています。


俺にはそんなアドバイスは通じない!

僕を爆笑した人たちは、「思いっきり打ってこい!」とか「ヒーローになってこい!」って言葉がけをしていました。僕にとっては、その方がありえないと怒りすら感じてました。俺のことを笑っておいてそんな程度かと。そんな言葉がけは「僕には」意味がないぞと。

・・・そうなんですよね。このテーマって打者はどんな人なのかっていう設定はありませんでした。ただ単に「バッター」としか決まってなくて。なので、無意識的にそのバッターには自分自身を反映するようです。結果、自分がかけて欲しいアドバイスをすることになるんだなって。


人それぞれ、場面を捉えるフレームが違う

僕は、その場面でヒーローになる喜びよりも、チャンスをつぶして負けを確定させた責任を問われる苦痛に、より意識が向かっていたわけです。「快」を求めるより「痛み」を避ける思考がとても強かった。だからあの言葉がけになる。

その状況を「失敗」や「痛み」というフレームから見ていたんですね。そして、このフレームって人それぞれだなって。その人の過去の体験だったり、性格だったり、その人だからこそのフレームが育っている。


「失敗したくない」フレームが作られた理由

僕は競泳選手だったので、ほとんどが個人種目なのですが、その中でチームプレーといったら、やはりリレー種目。そのリレーで思い出すのは、4人のうちもっともタイムが遅い選手だったり、順位を落とした選手だったり、最後に順位やタイムという結果を出すアンカーの選手が、他のメンバーから責められる場面です。

それは言葉だったり、態度だったりするんですが、僕にはそれがとても恐怖でした。僕自身は、その攻撃を受けた経験はほとんどないにも関わらず、同じリレーを泳いだ仲間が、仲間を責めるシーンは忘れられません。

(もちろん自分も人を責めたことがあります、きっと。あまり覚えていないだけで・・・)

だから、先のようなアドバイスをするんだなって。ずっとあのときの怖さを避けたいんだなって思いました。


リレーで、トップとアンカーを避けたがる理由

そういえば、リレーではみんな1泳(トップバッター)とアンカーを避ける傾向にありますよね。1泳はまず最初の順位が明らかになるし、アンカーは最終順位を確定させるから。

順位という絶対的な結果、他チームとの明確な比較が可能なポジションだから、責められやすいんでしょうね。一方で、2泳、3泳というのは、そのあたりがあいまいで、安心なのかもしれません。


ただリレーが好きだから、結果は二の次

個人種目がメインの競泳において、リレー、とくにメドレーリレーって、僕が一番好きで、一番楽しめて、一番力が発揮できた種目なんですよね。それぞれの泳法のエキスパートが集って、仲間と一緒に同じ目標に向かってレースを泳ぐ。正直、結果よりも、ただレースを泳げることが嬉しかったし、楽しかったです。そこに理由なんてなくて。

だから、結果を重視し過ぎたり、ヒーローになろうとか、そういう思考はあまりなかったんでしょうね。ただリレーすることが楽しかったから。ヒーローは個人種目でなればいいっていうのもあったと思います。


その人ならではの経験が独自のフレームを育てる

自分はこんな背景があるんですけど、これって人それぞれ、誰とも重ならない経験をしていて、その上でフレームって出来上がっているんだなと。そりゃあ良かれと思ってしたアドバイスに怒りを感じたり、むしろ逆効果になることもあるものだなと思いました。

その状況をどのようなフレームでその人は捉えているのか。それって当たり前のように分かったつもりになっていたんだなと、いまあらためてその研修の見方が変わっています。あれはなんていいお題だったんだろうか。