Avec toi, pour toujours.

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キミと見た景色、キミと見る景色。

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タイトルはAqua Timezから。

Aqua Timez 『B with U 』 https://youtu.be/1pZn2V0HDqI @YouTubeさんから

今一緒にいるイメージとすごく近いので

歌詞引用はいいのかどうかわからないのでやめますが

すてきな歌詞です

 

Aqua Timez好きだから

今年いっぱいだなんて淋しい

 

今年がもうすぐ終わってしまうとか信じ難い

 

うぇーい

 

 

何回沈んでも要は浮き上がるか否かが大事で

浮き上がれるんなら何回だって沈めばいい

浮きっぱなしじゃ古くなるし沈む事もあるのが人間で云々

浮きっぱなしでいいのは舟だけだ。それも古くなりゃ作り替えるだろうが

みたいなことを

吐いてくれたよきF市さんももはやいませんけど、

(私のもとからF市さんは去る運命なんです諦めました。)

(二回くらいしか言葉交わさなくてそれでもいいこと言っては勝手に消え去る性質なんですよね、でも自分も人の事言えないことがわかりました。はぁそういう奴なんですね菊は。

だけど

その菊もどの菊も、とくに傷を残した菊も、あなたがいなかったら今の私はいないから。世界も神様も憎んだけど。まあ嫌いにはなれない。)

 

それにしても何回も沈み過ぎだろうと思いますけど私

 

これで大丈夫と思ってもそれで大丈夫なんてことはめったになくて

言葉に書くと全部嘘になって

これから仲良くしようねって言ったって日が暮れる頃には自分の殻に閉じこもってしまっていたりして

 

何より気取らず適当にやってるときにそれでいいよって人が来てくれたりして

 

気分もやる気も何もかもいつまでも不安定で他人への扉はよく簡単に施錠されるんですけど

 

まあでも、それでもいいよって人がなぜかたまにいて

類は友を呼ぶのでしょうかね

 

友達だって好意の差があるなんてなんて残酷とくに女子は

男子はそもそも友達になれないですけど本当の意味では私は

男子どうしっぽい友情ってなんであんなに可愛く見えるんだろうというのは永遠の謎で

女子も女子どうしの愛情に近い友情なら変わらないかなとも思うけど私には愛というものが

いまだにわかりません

 

んー

でも

億男って映画見たんだけど

そこに出てきた男子二人はよき友情でしたな。

お金があったら世界が広がる、それは確かだし

お金がなくちゃ生きられないのも確かだし

ないよりは、あったほうが選択肢が広がるのも確か。

 

お金ね。できることならいっぱいほしいですよ、それは。

 

だけど、お金をいくら出しても手に入らないものもある。

 

信頼、うん、それは、お金の出し方によって手に入る世界もあるけど。

心の底からの信頼と好意は、お金だけじゃ絶対に手に入らない。

心の底からの、信頼と、好意は、お金がなくても、手に入ることがある。

と、億男を見ておもいました。

 

だからどう、ってわけじゃないです。

どちらが大事とか貴重とかって比べる話じゃなくてただの事実。

変わらない事実。

 

あ、好き

っていうのは

そーゆうのは、お金とかじゃない

 

もちろん、お金も関わる積み重ねの信頼も、必要なんだけど、それだけじゃない

 

もっとずっと根本的な所のフィーリングの調和の仕方、なんじゃないですか。

 

それが合ってればその他諸々も自然と合って来る。多少違う所があっても自然と合ってくる。

 

まあ、億男は作者さんイメージからして、優しい話しか書かない人ってイメージありました。イメージだけど。だから結末もあぁそうかって思いましたけど。

こんなふうだったらいいなぁ。完全な幸せってわけじゃないけれど

かなり幸せな物語に思えました。ん、いい映画ですよ。

 

映画

search/サーチ

みました

 

見た時は、辛かったし全然納得がいかなかったんだけど(個人的な意見です)

世間的には好評みたいだし、確かに、面白いことは面白かった。

 

娘が行方不明になったので、父親が、娘を探す、

その探し方が、SNS的な、フェイスブックとか、ユーキャスト(自分で何か音声配信する。ニコ生的なやつですかね)の友達欄を使っているのがすごく現代的、

っていう所がポイントですかね。

 

例によってネタバレしますが。

 

すごくきれいで、父親からも娘からも愛されていた母親が、病気で亡くなってしまって

それから、父親は娘に、母親のことを離さなくなります。

気を遣って、だと思いますが。

だけど娘は、本当は、変わらず母親のことを話してほしかった。

そういうことって、直接本人には言えないもので

結局、父親には何も言えず、黙って、

そのうっ憤をSNSで、顔も本名も知らない人に話したり、動画配信で知り合った友達と話したりすることで癒していた。

あるいは、父親の弟(?だったかな、兄弟)とたまに会って話したり。そこで少しだけ悪い遊びを教えてもらったり。

 

父親は、娘との会話がいつしか少なくなっていくことに焦りながらも

というか

二人の日常のやりとりが常にLINEみたいなやつなんですよ

学校にいるときもLINE

そういう、ずっとPCに向かっているみたいな感じで展開される映画だから、それだけでもうけっこうストレスを感じる、というか

そこが、ポイントなんだと思うんですけど

 

だって、直接会って話せばいいじゃないですか。

それを、ネットの文字でのやりとりが延々と続けられる。

 

娘がいなくなってからの検索もネット中心で

会ったこともない人に、娘のパスワードを破っては友達欄から電話をかける始末。こわすぎる。

婦人警官が父親に、娘さんの日頃の人間関係とか、どんな感じだったかとか、聞き込みするんですけれど

日常会話がなくなっていた父親はわからないから、必死でネットをたどるんです。

クラスメイトが案外、別に~仲良かったわけじゃない、彼女、頭良かったし?とか

外面だけの関係だったことを暴露したり

本当の友達は誰だったのか、必死に探している所とか

女子たちの世界でありがちの友人関係だなぁと思いながらも見ていてつらいです。

 

婦人警官にも子供がいて、この子供が、両親が優秀な仕事人間ゆえにだいぶひねくれちゃっていて

それもありがちな気もしますけど

で、優秀な仕事人間の女性であっても、子供にはすっごく甘かったり、善悪の判断が狂ってしまっていたり

うん、私は子育てをしたことがないのでわからないけれどやっぱり、親子の絆っていうのは違うんでしょうかね。

家族とか、親子とか、友達とか、兄弟とか

そういうものにいろいろわだかまりを覚えることもなくもないから

そしてなにより、

ネットの人でもあったから

身につまされることが多すぎて、考えさせられる映画で、見ていてつらくて、見るのをやめようかと思うくらいでした。

 

そのわりには結末もあんまり納得できなかったです。でも、一般的には、いい結末だったみたいですね?

この父親自体、まずよく理解できなくて、本当に、もっと顔を見て直接話す人間関係を大事にしてよ、って言いたくなりますけど、そうしたらこの映画は成り立ちませんもんね。

 

ネットで出会う人間関係も、危険なものばかりじゃなくて、かけがえのない出会いだってあると思う、そういう派ではありますけど

なにぶん、友達付き合いが苦手すぎて……

 

だけど少しずつでも、なんというか、うーん、与えてもらったものを返せるようになりたい、のかな・・・・・わからない

たまにすごく、人付き合い、大事にしようという時があるけれど

それが過ぎるとまた、めちゃめちゃこもりたくなるので

その時に人に迷惑をかけてしまうから、それならあんまり近づかないほうがいいかな?なんて、思ったりもします。まあ

社会に出て大人になるところはなって

子供のままの部分は子供で、ですよね。

家族関係は今もわかりませんが、感謝してるし、家族にこそ、恩返ししなくちゃいけないと思う

せめて、自分から命を断ったりはしないよう

そして少しでもいいほうに向かえるようにがんばらねば、とか

 

まあ、そういうことをおもうので、ずっしりくる映画ではありましたが

確かに、面白いことは面白いですよ

面白くなければ、こんなに何かを綴ったりしないですもんね。

では、また。

 

                                                        (Ria。。)

 

 

映画

音量を上げろタコ

なに歌ってんのか全然わかんねぇんだよ!!

 

みました。。

 

すごくよかったぁ~。

ちょっとネタバレしますので

見てなくて、ネタバレ見たくない人は読まないでくださいね。すごくいい、ということだけお伝えしておきますね。

 

 

 

「わたしも、ほんとうは、いつかは自分の歌声、みつけたいんですけどねぇ~」

吉岡里帆ちゃんがめちゃくちゃ、いい味出している。

見た目が素朴でボブ長めの髪型、薄めの化粧がすっごく似合っててめちゃくちゃ可愛い。

最後の方に、ロングになってアーティスト!って感じになってももちろん可愛いけれど

すっぴんに近いショートが素晴らしく可愛い種類の人なので、髪は短めが好きです。

シンガーソングライターを目指しているようだけど、歌声がめちゃくちゃ小さくて

メンバーの一人は、彼女に惚れているために、彼女の欠点を指摘できなくて

それでなんとかやってきたけれど、もう他のメンバーが愛想をつかしかけて

けっきょく、その男の人も、意を決して、別れていっちゃうんですよね。切ない。

そのあたりの描写は淡々としていてコメディタッチですが

妙に現実味があるのはセンスの良さゆえ、ですかね。

 

「そうやって、やらない理由ばっかり探してるんじゃねぇよ!!」

対して声がめちゃめちゃ大きい、爆音ボイスを出す神的な存在のボーカリスト、シン

デスボイスというか何というかとにかくすごい

でも綺麗に歌うときは歌う。

神的に人気なボーカリストで、だけど、その声は肉体改造の結果であって、そう、喉をドーピングの要領で増長させていたから、そんな大きな声が出るんだってさ。

ところで、ドーピングのしすぎ、薬の投与の副作用で、シンの喉はもうすぐ限界

もうあんまり無理に歌わないほうがいい

だけど彼は歌うことをやめない

 

そんな彼から搾り取れるだけのお金を搾り取ろうとするマネージャー各種やら

メンバーも敵なんだか味方なんだか。

神的な存在だからこそ、その情報は金づるになる。

あのスゴイ声のもとはドーピング?!だとか色々な、情報をわざと漏洩させてはチケットの値段をつりあげようとしたりなんだり。

 

でもシン、ってすごい奴だから、そういう姑息な手段一切をお構いなしに、

やばいと思ったら逃げるし、やりたいようにやる人

それが本当にかっこいい(やばい奴だけど)

シンがたまたまぶっ倒れているところを、

里帆ちゃん演じるふうかちゃんがみつけて、大丈夫ですか~?なんて声をかけて

シンはいつもすごいメイクしてるしあんまり顔出ししていない人だから素性はばれないまま家にかくまったりとか。

 

爆音で突っ走るし、感情の起伏が激しくて破天荒なシンと、

何をされても、大声を出して驚いたり、動じたりしない、落ち着いていて声の小さいおっとりしたふうかちゃんと、

真逆に思える二人が、

声、音楽っていうものを通じて、どこか繋がる部分があるって気づくんです

 

ふうかちゃんは、大声を出したり、感情を揺さぶられたり、そういうことができなくなってしまっていたんだけど、

シンがわざと、、怒らせるようなことをしたり巻き込んだりして、ふうかちゃんの感情を揺さぶろうと頑張ったりする

 

そして、大きな声を出したり、怒ったりわめいたりしている自分に、ふうかちゃんは気づくんです。

 

この二人は別に、付き合ったりとかそういうのはないけれど

惹かれ合う人たちって、どこか似た部分があるから惹かれあって

一緒にいる時間が増えるごとに、さらにどこか似てくるんじゃないかな、っておもう。

 

もちろん、いろんな人がいますから、誰もがそういう付き合い方をするわけじゃないと思うんだけど。

少なくとも私は実感としてそう思う。

 

シンも、べつに破天荒なだけじゃなくて、すごく悲しい過去とかを持っていて

もともと、綺麗なテノールボイスでAve Mariaを歌うんです

お前、歌が好きなのか?って言われて、Ave Mariaを歌う子供。

あぁ、天使の歌声ってこのことなんだなぁ、と思う場面がありました。

 

最後の最後、さすがに結末までは書きませんけど(すでにけっこう、あらすじを書いてしまっている件。)

すごく叫びまくった半生を送ったシンが、あたかも沈黙の中、天国の歌に共鳴して、駆け回っているみたいなシーンがあって

場所も場所、なんですけど

 

自分はキリスト教徒ではありませんが、そういう宗教世界について少し読んでいるので、

本当に何というか、天国の、沈黙にある天使の音楽ってこれのことだ、なんて感じて、思わず泣いてしまいました。

 

ふうかちゃんの声もとても綺麗で、風に溶けてどこまでも届きそうな感じで。

 

感情をうまく表現できないけれど、何も感じていないわけじゃない、

逆に、激しく自由奔放に生きているようでも、何も考えていないわけじゃない、闇を持っていない人間なんてない

 

闇にいつまでも沈んでいたって仕方がないことくらいわかるけれど、何回だってそこに引き戻されることはある、でも

 

でも、音楽とか、大切な人がいれば、きっと何回でもまた光の世界に行けるし

一緒に歌っていれば、嵐の中でもなんとかなる気がする

 

そういう気持ちになるから、私にはとても、共感できる素敵な映画でした。

 

お馴染みの店でジャック・ダニエルのステッカーをgetするのまき

当初はお馴染みじゃなくて初めて ビギナーズラック

 

 

抹茶ミルクとカフェオレ

カフェオレのタピオカドリンクって邪道って言われますけど美味しいんですよ

この前の時は紅芋ちんすこうクレープ

タピオカカフェオレと並んでmy favoriteです

このあと外国人のお客様が大行列現象

入った後に大行列現象と抹茶ミルク抹茶ハイ抹茶サンデーの抹茶day。

 

トランスルーセント・グラスキャット

お店で見ていたときも、この、骨が透けているみたいな見た目が印象的すぎて、名前を思わず覚えたお魚

サンシャイン水族館は凄くよかったです

海水魚も熱帯魚もいたけれど

やっぱり自分は熱帯のコーナーが凄く好きで、熱帯魚はじっとずっと見ていられます。

もちろん他のお魚も好きですが。

大きくて怖かったり、見た目がなんともこわいのとかもいますね。

クラゲはけっこうこわいって思っちゃったり。綺麗なんですけど、やっぱりちょっと、こわい部分がある。

このぐらいの子たち、すごく好きです

 

深海のサンゴ的なsomethingですが、雰囲気がとてもよいです

深海のお花畑、とか書いてあって

黄色いお花が咲いているように見えました。すごく好き

 

外のコーナーに空飛ぶペンギンさんやら、ペリカンさんがいます

すごくいい雰囲気です

 

ハッピーハロウィンな装飾も発見。

 

 

 

 

大好きなディア・ヴォーカリスト

結局ずっと曲を聴いているのでやっぱり好きです

 

ハワイアンのほうは焼きパイナップル入り

もう1つはボリューミー

 

満天@スカイツリーで中村悠一さんナレーションのオーロラを見ました

いい声すぎて寝かけたけど……そしてシートふかふかですし

 

saryoの抹茶パッフェー

中にところてんが入っていると話題。(ちがう)(でもところてんみたいな食感と味わいのsomethingが)。

 

 

ウォーリーをおえ!テイストのスカイツリー

一番上まで行くとウォーリーがいました

またのぼりたいなー

夜のぼるととても綺麗です、月並みな言葉しか出ないですけど。
 

 

 

 三島由紀夫の数頁の短篇物語、『海と夕焼』。

 第四回十字軍の後に起こった、少年十字軍を題材にした物語である。タイトル通り、海に映る夕焼けの風景が深く静かに胸を打つ、とても綺麗な作品だ。僅かな頁数でこれほどの感慨を呼び起こすのは、さすがミシマ、と言った所か。実際の歴史的事実とはやや異なるが、そんなことは気にならない、当時の神秘的な雰囲気を伝えているかのような作品である。

 

 小説として読むぶんには全く構わないが、一応歴史的事実について少しだけ付言しておく。内容に関わるため、三島の物語をこれから楽しみに読む読者は、読んでから、以下の箇所を読むことをお薦めする。

 

 第四回十字軍は、十字軍の中でも、「逸脱した」十字軍と言われる。なぜかというと、当初の目的である聖地イェルサレムではなく、コンスタンティノープルを占領して終わったからである。その理由は、当時商業で力を伸ばしており、十字軍にとっての足も提供していたヴェネツィア商人たちが、交通の要衝であるコンスタンティノープルを押さえることを、十字軍士に持ちかけたからであるとされる。

  さて、この第四回十字軍は確かに、結果だけを見れば、「逸脱した」と言える。だが実際十字軍士にとっては現実的な問題として、ヴェネツィア商人に交通費の支払いができず、その免除のかわりに、コンスタンティノープルの占領を求められたという事実がある。つまり、やむをえなかったのである。また、「逸脱した」と言うと、その他の十字軍が、聖地を解放するという宗教的目的にのみまっすぐ向かっていたのにこの十字軍は逸れていた、という印象を受けるが、そもそも十字軍自体、そのように単純な運動ではない。

 第四回十字軍の参加者にも、敬虔な意図のみを持っていた者も大勢いて、コンスタンティノープルの占領に反対したという記述もある。また、回数を打たれた十字軍に限らず、1096年から13世紀に渡るおよそ200年の間、とにもかくにも、イェルサレムへと向かう人の波が断続的に見られ、道行きの困難さから時に掠奪の暴徒と化したり、ユダヤ人殺しの集団となったりする「逸脱」がありながらも、集団的な信心の横溢が見られたのである。第四回十字軍も、その「逸脱」の一つではあるが、まっすぐの大きな道筋のある運動の中の逸脱、というよりも、もっと複雑でいくつもの傍線を持った、200年に渡る大きな運動の中の、1つの構成要素であった、との認識のほうが、事実に近いと言えよう。

 

 少年十字軍に関しては、子供たちを主人公にしており、神話化しやすい題材であった。そのため、「逸脱した」十字軍の後、大人たちが失ってしまった信心を、無垢な子供が、再び取り戻そうとして行った奇跡的な出来事、として、語られている時代があった。三島の少年十字軍についての知識も恐らくそうであったと思われる。むろん、そのような、子供たちによる、失われた信心の模倣と再現、という側面もあったとは思われるが、その関連は歴史上必ずしも明確ではない。当時の年代記ではおしなべて、少年たちが誤った信心に突き動かされて起こした運動として否定的に記述されているのである。三島の物語も、最終的にはその見方に基づいている点で歴史的に整合性があるが、フランスの事例とドイツの事例を混ぜ合わせて書いている点では少し異なる。以下に見てみよう。

 少年十字軍と言える現象には、フランスを中心とした出来事と、ドイツを中心とした出来事の2つがあった。フランスの場合、神のお告げを受けた羊飼いの少年エティエンヌが、フランス国王に向けた書簡を神から手渡されたため、それを届けに、まずはフランス国王のいるパリを目指したのである。ただし心は確かに聖地に向かっていたようで、「イェルサレムのほうへ!」等の声を上げながら進んでおり、周りに同じような、羊飼いの子供たちが集まっていった点は、三島が描く通りである。こちらの少年十字軍は、フランス国王のもとにたどりついた後、解散・帰郷を命じられてそのまま帰ったと言われる。

 一方、その少し後に、ドイツを中心に起こった少年十字軍では、神から、聖地の解放を言い渡された少年ニコラウスが、まさにイェルサレムを目指して行進した。こちらの少年十字軍については、服装などの記述が年代記に残っており、神からのお告げを受けたしるしとして、ギリシア文字のタウ(T)の形をした金属の十字架バッジを携えていたり、十字軍士同様、十字架のしるしを上着に縫い取り、巡礼杖と頭陀袋を持っていたことなどが書かれている。行進の理由を尋ねられた子供たちは「主の墓を奪い返す」(イェルサレム解放の意)つもりである、と述べているので、いわば十字軍の「本来の」目的を胸に進んでいたと言える。ただし、道行きの困難さから徐々に数を減らした。

 三島の語る少年十字軍は、フランスの子供が呼びかけたことになっているが、どちらかといえば、ドイツの事例を中心に物語にしたものであるように読める。お告げの内容、道中での様子と、徐々に人が減りながらも決定的な、海の前までたどり着いた点からそう言えるのである。ただし、三島の物語でも、「フランスやドイツの各地から」と述べているし、似たような神のお告げを受けた子供たちが当時あちこちで見られそれらが統合して進んでいった事実は確かなので、当時のそのような神秘的な雰囲気に沿った物語となっていると言えよう。無念を胸にとぼとぼと帰ったり、奴隷として売られてしまったりした子供たちがいたことも事実である。

 

 最後に、帰っていくきっかけとなった、挫折の場面、表題の、海夕焼けにまつわる場面については、実際、三島が描くほどに綺麗な物語が存在した歴史的な証拠はない。だが、もしかしたらこのような決定的瞬間があったのかもしれない、とも思える。なかった、とは言い切れないのである。海が割け、歩いて渡れるという奇跡は、無垢な子供に非常に印象的な出来事であり、また、無垢な子供だからこそ、そのようなありえない出来事の実現を、心の奥底から信じることができなかったのだろうか。

 海の神秘が強調されている点が、日本人的であるような印象も受ける。日本人にとって、自然の神秘は本能的であり、三島にもその心が無意識のうちに響いていたのかもしれない。ただし、民族などを越えて、日没の海が人の心を打つ側面も、確かにある。ランボーも言っている。

 

「ついに見つけた。

 何を?

 永遠を、だ。

 

 それは、太陽と繋がった、夕暮れの海だ」

 

Elle est retorouvée. 

Quoi?

L'Eternité.

C'est la mer allée avec le soleil.

 

 ちなみに上記のランボーの箇所は、フランスのレヴィナス研究やユダヤ人論で有名な内田樹と、宗教学者で浄土真宗の僧でもある釈徹宗が対談しながら日本の聖地を巡礼した興味深い記録、『聖地巡礼 ビギニング』(東京書籍、2013年)の中に出てくる。そこでやはり、日没の海についての話が登場するのである。人間は何かとつながっていると感じる時、明日も生きていこうと思える、といったエピソードの箇所で、少年十字軍と直接の関係はないが、日没の海と、生きている理由の根底の繋がりを示しており、また、仏教とフランスにまつわるものとの双方が出ている点で奇妙な符号の一致がある。

 壮大な海を、それも夕暮れ時のより神秘を増した海を、割ることができるとしたら、それは確かに神の力の現れる大いなる好機である。三島の物語でも、「安里の一生にとつて、海が二つに分れるならば、それはあの一瞬をおいてはなかつたのだ。」と語られている。だが続けて、「さうした一瞬にあつてさへ、海が夕焼に燃えたまま黙々とひろがつていたあの不思議……。」と述べられる。そして静寂の中、追憶は夜の海の闇へと溶けてゆく。かつて心からの無念を感じた景色と現在の景色とが二重写しになりながら、静かな沈黙に消えてゆく様子は、無念の過去を持ったことのある人にえも言われぬ共感を呼び起こす。

 

 以上のように、歴史的には異なる点もあるが、三島の『海と夕焼』は、このように文章で長々と説明するのは勿体ないほど、簡潔な表現ながら人間と神との繋がり、海、自然、あるいは生きていることそのものの神秘を伝える、美しい物語である。この物語に出会えて良かった、と心から思う。                                                                                                                                                             (Ria.)

 

 

 

(「海と夕焼」『三島由紀夫全集19 短編小説5』新潮社 2002 pp.375-388. 十字軍についての文献は以下など。少年十字軍の史料については邦語以外のため割愛。セシル・モリソン『十字軍の研究』橋口倫介訳、白水社 1971。橋口倫介 『十字軍』岩波新書 1974。八塚春児 『十字軍という聖戦』日本放送出版協会 2008。)