失書だけだったのに、認知症が顕在化してくることはありますか?

書字障害の臨床的意義と病態

純粋失書-他の高次脳機能障害を伴わない書字障害-
筆者らの症例を含め、6例が確認されている。
それらの報告では“pure agraphia”とし,脱字,漢字の錯書,文法障害などがみられる。
構音障害が軽度な時期に書字評価を行い,失語症,認知症の存在を否定できたことから,孤立性失書あるいは純粋失書がALS において認め得ることを確認しえた。

一方、ALS-Dで書字障害が高頻度であるこり、脱字に引き続き,初期には明らかではなかった認知症が後に顕在化したとの報告もあり,孤立性失書がALS-D の初期症状となり得る。

もしかしたら、失書はALS-Dの初期症状かもしれません。早めに検査し病態を把握していく必要があります。
ALSにおける自発性低下にこの障害が関係しえるかもしれません。

詳細は下記または本文献をご覧ください。先日からいくつか認知症を伴うALSについて書いているので、よろしければそちらもご覧ください。


筋萎縮性側索硬化症における書字障害と孤立性失書
市川博雄 高次脳機能研究29 (2) : 231~238, 2009


Ⅲ.書字障害の臨床的意義と病態
ALS─Dの特徴的症状の1 つとして“発話量の減少”がしばしば記載されているが(三山1988,1993,吉田ら1992,中野1996),その病態については明記されておらず,ALS に伴う球麻痺症状が主因であるのか,認知症や失語的要素に起因するのかは不明といわざるをえない。われわれは,口頭言語が廃絶した球麻痺型ALS の患者に書字障害がみられることが多いことを経験することから,発話量減少の背景に言語機能の障害が隠蔽されている可能性が懸念され,言語機能の評価には書字の検討が重要であると考えている。進行性失語を伴うMND 7 例を総括して報告したCaselli ら(1993)も“Functionally, speech was so impaired that many patients were incomprehensible, and the aphasic nature of their disturbances only became evident when written language abilities were assessed”とあり,失語症的要素が書字によりはじめて明らかとなり得ることを強調したい。前述したように,書字障害は認知症や失語症の部分症状として記載されていることが多いが,われわれは第32 回日本高次脳機能障害学会のワークショップにおいて純粋失書が疑われたALS 2 症例を報告した。他の高次脳機能障害を伴わず,書字障害が前景となるALS 例は過去に4 例のみ報告されている(Ferguson ら1977,神崎ら2004,深田ら2006)。すなわち,“pure agraphia”としたFerguson ら(1977),脱字に注目した神崎ら(2004),漢字の錯書,文法障害を記載した深田ら(2006)の報告である。脱字について報告した神崎ら(2004)はモーラ数把握検査において異常を認めたことから,脱字の病態としてモーラ数把握の段階における障害を推察している。しかし,これら既報告例では口頭言語が廃絶した状態にあるため, 厳密には失語症の存在を否定しえない(Ferguson ら1977,神崎ら2004,深田ら2006)。一方,われわれが報告した球麻痺型ALS の2 例はともに構音障害が軽度な時期に書字評価を行い,失語症,認知症の存在を否定できたことから,Ferguson ら(1977)が“pure agraphia”と称したように,孤立性失書あるいは純粋失書がALS において認め得ることを確認しえた。われわれはALS ─D で書字障害が高頻度であることを報告しているが(Ichikawa ら2008),神崎ら(2004)は脱字に引き続き,初期には明らかではなかった認知症が後に顕在化したと報告しており,孤立性失書がALS ─D の初期症状となり得るものと考える。最近,選択的かつ単一の認知機能障害を呈する局所性変性疾患として,進行性孤立性失書(progressive pure agraphia)を呈する症例が報告されてきている(Grossman ら2001,Heilman ら2008,Fukui ら2008,Luzzi ら2003)。多くは失行性あるいは空間性失書の特徴を有し,大脳皮質基底核変性症が基礎疾患として疑われている(Grossmanら2001,Heilman ら2008)。一方,Luzzi ら(2003)は基礎疾患として認知症を伴わないFTD が疑われる症例を報告している。興味深いことに,彼らの症例は脱字で発症し,1 年後には文字の置換,挿入を呈するようになり,書字障害出現から7 年後に発話失行を呈している。Luzzi ら(2003)は孤立性失書の病態としてgraphemic buffer の障害を推察しており,われわれが経験したALS 例における孤立性失書においても同様の機序が考慮され得る。また,Fukui ら(2008)は書字障害を変性性疾患の初期症状として重要視しており,ALS においても孤立性失書が初期の症状として出現する可能性があるものと考える。
Ⅳ.責任病巣
現在,FTD,NFPA,SD はfrontotenpora lobar degeneratuin(FTLD)という広い概念でまとめられており各病型のおよその病巣分布は決まっている。NFPA やSD などの進行性失語を合併するALS にみられる書字障害は失語性失書として理解するのが妥当であり,シルビウス裂前後の障害が病巣として考えられるが,NFPA,SDいずれの病像を呈するかによって,書字障害の特徴とともに主座となる病巣が異なるものと思われる。Bak ら(2001)はNFPA を前景とするMND症例を報告しており,MND─FTD としての病理学所見に加え,Broadmann44 野と45 野に比較的限局した病変を確認しており,臨床像と一致している。一方,Sakurai ら(2006)はSD を前景とするMNDを報告しており,MND─FTD としての病理学所見に加え,前部側頭葉に強い前頭側頭葉萎縮を認めている。失語症に並存してみられる書字障害は背景にある失語症の病型や病巣の広がりよって当然左右されるものと思われる。一方,失語症や認知症を伴わない孤立性失書は著者の報告を含めほとんどなく,病巣については不明である。脱字を主体とするALS を報告した神崎ら(2004)は,右側優位に側頭葉萎縮がみられたことから,脱字の病態として右半球機能障害の関与を推察している。しかし,書字障害を呈した自験15 例におけるSPECT 所見の検討では,右優位の障害を呈した例はみられず,全例で左前頭側頭葉の取り込み低下を認めており,書字障害には失語症と同様に左前頭側頭葉の障害が主に関与しているものと考えられる。従来から書字の中枢として,中前頭回の脚部すなわちExner(1881)中枢が知られており,種々の知見から同部位が文字選択,配列,後方へのアクセス部位の指南といった役割を担っていることが示されている(大槻2007)。最近,Lubrano ら(2004)は前頭葉腫瘍患者を対象に覚醒下手術で電気刺激による書字関連領域のマッピングを行い,書字に限定する領域は中前頭回後部にあり,同部位の刺激により錯書,脱字などが認められたと報告している。また,認知症を伴わないALS 患者を対象とした研究においては,語の流暢性障害のみならず物品呼称の障害もみられることや,これらが機能画像における中前頭回や下前頭回の障害と関連することが報告されている(Abrahams ら2004,Wicks ら2008)。これらの記載を参考にすると錯書,脱字といった孤立性失書は前頭葉とくに中前頭回から下前頭回の後部を中心とした部位の障害に起因する可能性が推察される。

引用:高次脳機能研究29 (2) : 231~238, 2009