じゆうちょう -2ページ目

じゆうちょう

ラクガキです。

とてもとても久しぶりに筆を執ります。

重い腰をあげたというよりは、なんでもいいから何かアウトプットしたい気持ちに駆られて、思いついた手軽な発信ツールがアメブロだったというだけなんですよね。

なので、これから定期的に更新をするぞ、ということでは決してないです。

 

そんなことを言っていますが、久々にログインしてみたら数少ないアメ友の皆さんもめっきり更新の頻度が減っているみたいで、この記事はもしかしたら誰の目にも留まらずデータの海に埋もれていくかもしれません。

まあそっちの方が気楽なので良いのですが、失われた活気に寂しさを覚えますね。

 

そのアメブロの状況が今の自分にリンクするところがあるなぁ、と。今回はそういうお話です。

ちなみにアメブロの状況は完全に偶然です。この導入も即興です。適当言ってます。よろしくお願いいたします。

 

 

いや、まあ何かというと、劇場版SHIROBAKOを観たんですよね。

 

 

・・・・・・

 

 

 

...仰々しい導入の先に待っていたのが「アニメを見ました」のご報告なんですから、今頃運悪くこの記事に辿り着いた人8割はブラウザバックしているころだと思います。でも僕みたいなキモオタはいつだって創作作品に人生を動かされてきたのです。なぜならキモオタだから。

 

SHIROBAKOといえば、アニメ制作の内情をエンターテイメントとしての面白さをある程度加えつつもできるだけリアルに描いた作品として有名かと思います。そのリアルさに臓腑を抉られる思いをした人も少なくないと言います。かくいう僕も当時何も知らない学生でありながらずかちゃんの幸せを切に願っていた記憶があります。

 

今ではそんなずかちゃんの声優さんにお会いするようにもなりました。時の流れを感じますし、あの頃はこんなオタクになるなんて夢にも思っていませんでしたね。

 

 

 

まあそんな話は置いておいて、SHIROBAKOって実は僕の地元の富山県と非常に深い関わりがあるんですよ。

深い関わりどころか、制作会社のP.A.WORKSの本社が富山県南砺市の城端という場所にあるんですよね。

なので、P.A.WORKSのアニメにおいて、富山県民は特別な恩恵を受けることができました。それの最たるところは、「アニメをリアルタイムで、地上波で観られる」というところでしょう。

 

あの頃はまだアニメ関連の動画配信サービスが充実しておらず、田舎でアニメを見るとなるとまあまあの遠回りが必要だったと記憶してます。そんな中富山県には幸いなことにP.A.WORKSの本社があるので、P.A.作品はほぼリアルタイムで視聴することができました。

 

そしてSHIROBAKOは贔屓目抜きでめちゃめちゃ面白い。こんな面白いアニメを毎週の楽しみにできることがうれしかったですね。というかP.A.WORKS制作アニメは名作だらけなので、本当に嬉しいですし、ありがたいです。

 

当時はまだ学生だった私は、上述の事情があり、リアルタイムで観られる数少ないアニメであるSHIROBAKOをワクワクしながら観ていました。そして、ムサニの面々のアニメ制作に対する情熱に浮かされて、自分にもあったわずかばかりの”夢”を追いかけていたりしました。

 

 

 

でもいつしかそんなアツい気持ちもなくなって、いつの間にか自分はとてもつまらない人間になっていました。

 

 

 

 

能動的に何かをすることなく、帰宅即ベッドで横になりyoutubeを適当にdigりながら寝落ち、みたいな日々を過ごしています。好きでもなんでもない、興味も全くない仕事で精神を削り、その精神を回復させるためだけにアフター5を過ごしています。そして明日を迎えたくないから夜更かしをしがち。

そして仕事に行って、不満を募らせ、ストレスばかりを溜めている。

あの頃(あえて明言はしません)の自分が最もなりたくなかった、というか、"こうはなっていないだろう"と思っていた存在になっていました。

 

 

なぜ、こうなってしまったんだろう、と少し前から考えるようになりました。

その理由としては、「適当に生きてきた」、これに尽きると思います。

 

 

何かしらの価値を産み出そうと自分から行動したことがない。

失敗を恐れる強い気持ちにより、そもそも何かをしようとすることがない。

 

 

多分昔の堕落した自分は、「まあ適当にやっていても満足できる生活を送れるだろ」とでも思っていたんでしょうね。就職活動だって面倒だからという理由で内定をもらった途端、こだわることなく適当に切り上げてしまいました。

 

満足や幸せは動いた先にしか無いものなんでしょうね。

適当に生きていても"適当"な感情しか得ることできない。それもまた生き方としてはアリなんでしょうけど、自分はそれでも満足できなかった。そういう人間なのだということですね。

 

その事に自覚的になってきたのは恥ずかしながら最近なんです。

漠然と、「この先、どういう人生になるのかなぁ」と考え始めたら、今の仕事を続けつつアフターファイブを上述の通りに過ごすなんてことは苦行以外の何物でも無いことに気付きました。この先に自分の考える"満足""幸せ"は存在しない。こんなことは学生の内に気付くべきだったんですよね。1日の大半が仕事になっていくわけですから、その大半に対して前向きな気持ちを抱けない人生が幸せな訳がないんですよ。

その辺を割り切ってクールに仕事をこなせる人は大丈夫なんでしょうけど、自分はそういう人種ではないので、ある程度の"やりがい"は必要だったんだな、と就職してから気付く浅薄さに我ながら呆れ返ります。

 

 

 

話が相当ずれてきましたが、要するに自分が上述の事柄に対して少し考えるようになったということを言いたかったんです。

劇場版を観た方ならばお察しの方もいらっしゃるかもしれませんが、上述の気付きは本劇場版から送られるメッセージに性質が似ているんですよね。

 

"前向きに明日を生きる"ということ、今の自分が最も獲得したいと思っている精神性です。

そしてそのために最近少し行動を始めました。でも、「この方向でいいのか?」とか「そもそも今更行動したところでもう遅いのではないだろうか?」なんてことを考えるようになってきていたのです。

 

そんな状態で劇場版を観て、TVアニメの中に見たキャラクター達のアツさをひしひしと感じて、それが自分に伝播したのかなんなのか、なんだか自分のこれからを応援されたような気がして、あの頃の自分が抱いたアツい気持ちが蘇ってきた気がしたのです。

 

しかも、みやーもり初めムサニの面々は本当にどうしようもない現実と戦って、必死に生きています。その境遇に比べたら自分の状況は、動けばいくらでも変えられる状況です。動くしかないでしょう、動き続けるしかないでしょう。

 

 

 

前を向いて、動き続けるしかないでしょう。

 

 

 

そんな気持ちにさせられました。劇場版を観た方なら分かると思いますが、アレはまさに"現実"じゃないですか。停滞も変革も、しんどいことが山程あります。でも後者に基づいた行動をしている時、キャラクターの目には燃え盛るアツさを感じました。

 

そういう風に生きていきたいですね。

 

今回はそういうお話でした。

 

 

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

またいずれ。