審判 | 遠隔気功操作 サイキック覚醒丹道周天法

遠隔気功操作 サイキック覚醒丹道周天法

背骨内部を気が通る丹道周天、クンダリニー覚醒を体験したCOSMIC SHAMANが、気功・仙道、神秘行に対する
考察を述べるブログです。


      審判
      
劇団 「前回の記事は『最高の苦しみは何か?』ということで、

      やりたいことをやらないで死んでいくことが

     最高の苦しみではないか?

     という持論について説明したんですよね。」          

CS  「ハイ、そうです。」   

    「わたしなりに論理的に考えると

     そうとしか思えないんですよね。」

 


(以下は前回の記事からの抜粋部分です)

劇団 「やりたい事がない人はどうすればいいんでしょうか。」

CS  「それはラッキーで、
     何もしたい事が無いんだったら

 

     それなりに日常を楽しんで生きていけば
     いいのではないでしょうか。」

    「ゲームしたり、美味いもの食べたり
     楽しみはたくさんあります。」

    「進むことも、諦めることも出来ない人が
     一番キツイと思います。」

         「というか最近やたらとそういう人が
     増えている気がして。」


劇団 「なぜそれが最高の苦しみなんですか?」

CS  「人は生まれてから、
     必死に泣くことで親から食事を得ようとしたり、

     自分で立ち上がって独りで歩けるように努力したり、
     言葉を話せるように何度もトライしたり、

     保育園、幼稚園にいじめっ子がいても我慢して通ったり、
     学校に行って長時間の授業を受けて試験勉強したり、

     会社で仕事をしながら嫌なことを我慢したりなど、
     努力や我慢を重ねて生きていくわけです。」

     「そして、最後に死んでいくわけですが、
      死ぬ瞬間はそれまで気にしていた世の中の常識や
      世間体なんてどうでもいい。」

     「だって自分の肉体や脳が消滅して、
      それまで自分だと思っていたものが
      消えてしまうわけですから。」

     「そうして完全に孤独な状態で
              自分の人生に向き合った時に、

             オレの人生はやるやると言いながら
      本当にやりたいことは何もできなかった
      無駄な人生だった。

      我慢したことの全ては無駄で
      虚しかったんだ・・・。


      という想いを最後の瞬間に自覚して死んでいく。」

     「自分の全存在が無駄だったということを
      実感しながら消滅していく事こそ
      人生で最も恐ろしいことなのではないでしょうか?」

     「ですから、損得や世間体、結果を気にしないで
      やりたいことをやって失敗したり破滅する人は
      幸せなんです。」

     「やりたいことをやったという満足感は抱いて
      死んでいけるわけですから。」

     「本当に悲惨なのはやりたいことやらないで
      最後を迎えた人間です。」


 
(抜粋部分終了)


劇団 「確かに死ぬ瞬間に自分の人生に対して

     判断を下すのは自分なんですね。」


CS  「人って自己正当化しようとしますから、

     無意識に自分が見たくない部分から

     目を逸らそうとします。」

 

    「本当はたいしてやりたくない仕事なのに、

    

     (この仕事はオレの生きがいなんだ!)

 

     と思い込もうとしたり、

 

     (LGBTとSDGs運動に人生を捧げるのが

      正しい生き方だ!)

 

     みたいに何か理由をつけて

     人生を意味あるものにしようとしたり、

 

     周知の人たちに

     自分は充実している人間だと

     思われるようにしようと

     頑張っている人がいますが、

 

     本人の意識の深い部分ではそんなものに

     全く興味がなかったりします。」

 

劇団 「確かにそういう人はいそうですね。」

 

CS  「ただ、死ぬ瞬間にはもう関係ないんですよね。」

 

    「死んだらお金や財産、社会的地位も意味はなくなりますし、

     これから消えていくわけですから、周囲の人間への見栄とか

     自分自身にさえも嘘をつく必要は無くなるわけです。」

 

    「というより、死を迎えている人の話を聞くと

     日常意識を司る前頭葉部分から徐々に機能停止を始めて

     無意識下に抑え込んでいたものが出てくるそうです。」

 

    「元気な頃はいつもニコニコして愛想が良かった姑が亡くなる

     少し前から鬼のような形相になり

     

     嫁にわがままや罵詈雑言をぶつけたという話がありますが、

     それまで意識で押さえつけたものが浮かんでくるのでしょうね。」

     

劇団 「でも、死ぬ瞬間ってあっという間の人もいるんじゃないですか?」

 

CS  「以前、居眠り運転車から正面衝突でぶつけられた人の話を

     聞いたことがあるのですが、

 

     対向車に気づいて激突するまでのほんの数秒の間に

     今までの一生の出来事が長い映画を見ているように

     思い出されたそうです。」

 

    「わたしもまだ死んだことがありませんので

     その時にどんな体験をするのか興味深いです。」

 

    「ただ、いろいろな話を総合すると、大抵の人は死ぬ瞬間に

     自分の人生に対して審判を下すようです。」 

 

劇団 「審判ですか?」

 

CS  「最後の瞬間に

 

     (あー、自分の人生は失敗や恥をかくことを恐れて
      やりたいことやらずに、

      常に周りの人たちの顔色を見て生きただけの
      他人に支配された人生だったんだな・・・。)

 


     と自分自身に審判を下して死んでいく人は
     たくさんいるのではないでしょうか?」

 

           「最後の審判を下すのは神ではなくて 

      自分自身なわけです。」

 

 

 

劇団 「ボクも死ぬまでにやりたいことは絶対やらないと・・・。」

 

CS  「いえ、誤解して欲しくないのは、

     わたしは別に

 

     (やりたいことをやらないと駄目だ。)
 

     と言ってるわけではないんです。」

   

    「このブログで何度も繰り返し言ってますが

     99%の人間は苦しみを求めて生きています。」

 

    「これは別にわたしオリジナルの考えではなくて

     ロシアの神秘思想家グルジェフが

 


     

     人はあらゆる快楽を捨てることはできても
     苦しみだけは絶対に捨てることはできない。

 

 

     心理学者ジークムント・フロイトが 

 



     精神分析学は過度に悲惨な人生を歩んでいる

     精神病患者を、

 

     適度に悲惨な人生を歩んでいる

     一般人の人生にするためのものだ。

     と述べているように 

     常に自分を苦しませるようとするのが人間なんです。」


    「それに対して世の中の風潮は、

 

      夢に向かって努力する生き方が素晴らしい。

      目的を最短で達成するのが正しい。

 

      みたいな考えが溢れています。」

 

劇団  「そりゃそうでしょうね。」

 

CS   「気功指導で受講者と話をしていても

     (やりたいことがあるのですが、

      今の仕事を辞めなくてはならないし、

 

      失敗した時のことを考えてしまって

      どうしても踏み出せないんです。)

      という相談を聞いたりします。」

 

劇団  「CSさんは、そういう時にどう答えるんですか?」

 

CS   「わたしは、


      別に踏み出す必要ないじゃない。

 

      今の仕事を続けて安心安全を

      追求したらいいじゃないですか。

 

      と答えます。」

 

劇団  「えー、そうなんですかぁ?」

 

CS   「だって CS さんは

 

      やりたいことをやらないで死んでいくのが

      最高の苦しみ。

 

      って記事で言ってるじゃないですか?」

     「ですから、

 

      オレはやりたいことはあるけど
      それをするためには今の安定した仕事を失って
      失敗して貧困に苦しむことになるかもしれないし、

      同僚や友人たちにバカにされたり笑われたり

      あれこれ言われるのも嫌だから
      とりあえず今の仕事を続けよう。


      と 自分で決めて、
 

      さらに月日は流れて死ぬ瞬間を迎えた時に

      あー、自分の人生は失敗や恥をかくことを恐れて
      やりたいことやらずに、

      常に周りの人たちの顔色を見て生きただけの
      他人に支配された人生だったんだな・・・。



でも最後に後悔して苦しむことは

心の底ではわかっていた。

死ぬ時に後悔して苦しんでもいいから、
周りの人たちにあれこれ陰口言われないで
それなりの安定した生活を選んだ。

将来よりも
目の前の安定を

自己責任で自分で選んだ。

ということは、

 

オレは自分自身で最期に

最高の苦しみを味わう人生を
選んだわけだから、

 

自分の人生を生きたことになる。

 

自分で選んだ最高の苦しみ

なんだから

オレの人生問題なし!

イッツ・オーケー!!!







     と自分自身に審判を下してから

     納得して死んでいけばいいじゃないですか?」

 

劇団 「そこ行きますか!」

 

CS  「周りの人間の目が気になったり

     安定を求めて

     やりたいことできないんだったら
     無理してやらなくていいと思います。」

 

劇団 「でも、人生の最後に後悔したり

     苦しんだりするのは嫌ですよ。」

 

CS  「と言いますか、

 

    充実した人生を送らなければならない。

 

     なんて誰が決めたんですか?」

 

    「以下は長野県在住で転職活動中の

     30代男性受講者Nさんを

     指導した時の会話です。」

      

 

Nさん: あぁ、CSさんの記事を読みましたが、

      ボクは自分が本当にやりたい事が

      よくわからないですねぇ。 

 

      次の仕事をどうするかも迷っています。


CS  : 別にやりたい事が無いんだったら

      それなりに条件が良いところで

      働けばいいんじゃない?

 

Nさん : それはどうでしょうかぁ?

 

       CSさんは記事で

       

      (大きい設定を入れてじっくり時間をかけて

       目的を達成させる。)

 

       と書いていますよねぇ?

       

CS   : あれはホームランを狙うようなものだから。

 

       Nさんはコツコツ、バントやヒットで出塁して

       打率上げてけばいいじゃない?

 

Nさん  : ボクもホームランを打ってみたいものですねぇ。

CS   : 昔、阪神の掛布が新人時代に

 

 

       ホームラン王だった王貞治に

 

       (ホームランを打つ秘訣はなんですか?)

 

        と尋ねたら、

 

 

甘い球が来るまでひたすら我慢する忍耐と、

 

一度打つと決めたら失敗を一切考えず

思いっきりバットを振り切る覚悟。

 

        と答えたそうだけど、

        ホームランバッターというのは

        博打なんだよ。

 

        ホームラン王になればずば抜けた年収を得て

        4番のスター選手になるんだろうけれど、

 

        ひたすら忍耐強く我慢しても

        甘い球が来なければ

        結果はゼロでクビになる世界。

 

 

        それに対してホームランは打てなくても

        バントや内野の間を抜けるようなゴロみたいな

        打球でもいいから

 

        ヒットをコツコツ打っていれば

        そこそこの年収で生き残れるんだよ。

 

 

        そっちの方がいいじゃない。

 

        わたしの人生も今から振り返れば

        博打みたいなもので

        一歩間違っていれば破滅していたからね。

 

        (やりたい)って言うよりも、

        やらずにはいられない何かがあって

        背中を押されるように生きてきただけだから。

 

        だから、やりたい事がないということは

        博打しないで生きられるわけで

        幸せなことなんだよ。 

 

 Nさん : そうですかねぇ?

 

        ボクはやっぱりホームランがいいです。

 

 CS  :  それならそれもいいんだろうけど・・・。

 

     



※次回の記事更新日は11月10日になります。



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