開発者が「そんな売れ方予想してねえよ!」と言ってそうな商品。
電マ。
今日は箱根駅伝当日。
私はこの日のために血の滲むような努力をしてきた。狙うは1位。それしかない。
私は第1走者である。後に続く後輩たちのためにも、何としても速くタスキを渡す必要がある。
スタート地点に立ったときには、大学名を背負っているプレッシャー、練習の成果が出せるのかという不安、そして早く始まってほしいという高揚感がない交ぜになった、複雑な心境になっていた。
あと5分。
私はルートを頭で確認し、軽い準備運動を行った。会場のボルテージは最高潮だ。
よし、いける!
そしてついに、パァン!というピストルの音が鳴り響いた。
「うおおお!いくぞ!」
私は声をあげながら、他の選手とは逆方向へ走っていった。
「ヘイタクシー」
私は走ってきたタクシーを停め、運転手にタスキを渡す場所へ行ってくれ、と頼んだ。
危なかった。今まで行ってきた血の滲むような努力……タクシーがこの道路を通る時刻を調べること……をしてきたが、必ずタクシーが来るという保証はなかったのだ。
だが何はともあれ、これで大幅な時間短縮に成功した。
「あの……すいません」
と、急に運転手である初老の人物が話しかけてきた。
「はい、なんでしょう」
「その……駅伝選手ですよね。……いいんですか?」
私は驚いた。よもやこんな質問をする人がいるとは。だがそれも仕方ない。世の中、駅伝のルールを全員が知っているわけではないのだ。
私は多少の笑いを含みながら、運転手に言った。
「だって規則に書いてないじゃないですか」
そうなのだ。駅伝には、『交通機関を使ってはならない』というルールはない。よって、何の問題もない。
それでも渋る運転手に、しだいに私はイライラしてきた。私は一刻も早くタスキを渡すという使命があるのだ。こんなところで時間を食っていてはいけない。
「いいから早く行ってください!お願いします!」
私の熱意が通じたのか、運転手はタクシーを走らせてくれた。よかった。これで無事に到着するだろう。
と、ここで思いもよらないことが起きた。
先程から、信号が赤になることが多いように感じる。タクシーが行こうとしているときに、待ってましたとばかりに赤に変わっている。このままでは私のかねてからの目標であった、新記録を出すことまで危うくなってしまう。
「ちくしょう、赤信号め……!」
そんなことを考えているうち、ふと目の前を見ると、ちょうど信号が青から赤に変わりかけていた。
「くそ……こんなときに……」
私は唇を噛んだ。だが私はいわばただの『客』である。今の私は無力だ。私は、ただただ運が味方してくれるのを祈るしかなかった。
「ブオオン!」
ふと、大きなエンジン音が聞こえた気がした。いや、気のせいではない。一体どこから……
考えるまでもなかった。このタクシーのエンジン音である。見ると、運転手がいつになく真剣な顔をしているのがわかる。
「う、運転手さん!」
私は無意識に、運転手に声をかけていた。情けないことに、声は掠れていた。
「捕まっててください!」
運転手が叫んだ瞬間、タクシーはさらにスピードを上げ、気付いたときには信号を抜けていた。
はあ、と息をつく運転手に私は言った。
「危ないじゃないですか!なぜ……」
運転手は私が言い終わるより早く、
「あなたは駅伝選手。僅かな時間のロスは致命的です。お客さんのために運転手が全力を尽くす。当たり前のことです」
と言った。
「運転手さん……ありがとう……」
気づけば涙が溢れていた。思えばこのとき、私と運転手の間には確かな絆が生まれていたように感じる。
「さあ、この調子で行きますよ」
運転手の頼もしい表情。私はそれに、真剣な表情で返した。
「はい!行きましょう!私たちのゴールへ!」
数十分後、私はタスキの受け渡し場所に到着した。
私は迷わず、運転手の手に1万円札を握らせた。
「お客さん、これは……?」
不思議そうに見つめる運転手。私は言った。
「お釣りはいりません。素晴らしい運転をしてくれたお礼です」
すると運転手は私の手を握り返し
「また、どこかで」
ぽつりと、そう言った。
私はこのタクシー運転手と出会えたことに感謝しながら、タクシーを降りた。
タクシーを降りると、そこはバトンの受け渡し場所だった。
観衆が私に釘付けになっていることから察するに、おそらく到着している選手は私だけだろう。
自己新記録も狙えるかもしれない。
目の前にはタスキを待つ後輩がいた。あとは彼にこのタスキを託せば、私の仕事は終わりだ。
長い道のりだった。血の滲むような練習、タクシーへの乗車、赤信号……数々の試練が降りかかってきた。
だが私は乗り越えたのである。大きな壁を。
私は息を切らせて走った。
泣いてはいけない。満面の笑顔でバトンを渡すのだ。
そして私は、力強くバトンを後輩に握らせた。
ちなみにそのあとの短い会話が、翌日のワイドショー番組で繰り返し使われるようになるのだが、それはまた別のお話。
私「あとは……任せたぞ!」
後輩「失格だって」
私「え!?失格!?」