【訓言六】すぐれし人には絶対に不運というものはこない。

 これはもうね、簡単な証明ですぐわかる。 どんな文豪のつくつた小説でも戯曲でも、すぐれた人というものはめったに小説の中心人物にでてこないだろう。もしも中心人物にすぐれた人がでてくりや、小説や戯曲があまりに平和すぎて、事件がなくなっちまうわ。涙にむせんだり、血を流したりするようなことがなくなるよ。だから、小説家は、なるべくひん曲がった人間を主人公にして、テーマを豊富につくりあげることが秘訣だと思ってる。 そこで、さあ、すぐれし人、言いかえると、いわゆる昔の人が言った、すべての真理を知ってる聖賢の周囲には、いわゆる不運というものは絶対にこないんだ。こないというより、むしろ発生しない。 そこで次に知らなきやならないのは、この聖賢というのはどういう人なんだろう。それは、心がただ単に積極的であるばかりでなく、本当の心の強さの中に「気高さ」をもってる人のことなんだよ。はてな、心の中の気高い強さというのはどういうんだろうと思うだろう。それは結局要するに、卑屈にやせ我慢で強さをつくろうとするのでなくて、淡々として、少しも気張らずに強くなりえているのを気高い強さという。これほどかんで含めて言って聞かせてわからない人は、よっぽどこれはわからず屋というより、むしろ頭からわかりきれない、脳味噌の疲れてる人なんだよ。心の強さの中に高尚な品位をもたない人は、神のつくつた人間という尊い作品を、自ら物好きに悪魔の玩弄物にさせているような人間なんだぞ。