こんばんは。プラススタディの福嶋です。
こちらに書き込みをするのはかなり久しぶりです。普段はhttps://twitter.com/pstudyweb でいろいろとつぶやいています。
さて今日は「運と勘はちがう」という話。
授業で記号選択の問題(読解)を扱っているとき、解答を教えると生徒が「おー!勘で〇したら合ってた!」ということがあります。さらに続けて「ラッキー」とか「運が良かった」などとも。
「運」も「勘」も「理屈でどれが正解かを追い込み切れなかったものの得点には結びついた」という意味では似ています。生徒の中ではごっちゃになっていることが多いのかなと思います。
ただ、個人的には性質が異なるものだと思っています。
ある問題を正解できたとき、「運がよかった」というのは、問題を考えるための作業をほぼやらずに、それでもその問題で得点ができた、ということだと思います。
でも、できるところまでは自分で頑張って解こうとする子は多いんですよね。で、例えば記号選択の問題だと「アかウのどっちかだと思うけど、決めきれないな……」となって悩む。「うーん、決められないけど時間もなくなってきた、えーい、良さそうなウにしよう」とやるわけです。
もちろんこれは完璧な解き方とは言えませんが、これで〇がついたときに「運が良かった」のかと言われるとそれは違う。それは、「理屈をつけて×だといえるものを削る」という作業が入っているからです。少しでも理屈で追い込めている時点で、その正解は運ではない。
国語が苦手だという生徒には、この「とりあえずできるところまででいいから理屈で追い込む」という作業ができない、嫌い、という子が多いように感じています。
その理由にもいろいろありますが、個人的には「本文を使って〇×の判断をする」ということに慣れていないのが一番なのかなと思います。自分で理屈を考えようとするからしんどい、めんどくさい。めんどくさいから、やらない。
普通に考えて、受験生が読まされる文章というのは、どの受験をとっても年齢相当より上のレベルの文章です。5分程度で一読してすべて頭に入る、理解できる、という状況を求めること自体がおかしい。だから、読み方を変えて(問題で求められている内容に合わせて)何度か読む必要があるわけです。
僕は受験生によく「これだけ頑張って勉強してきた結果が『運』だけに左右されるなんてやりきれないでしょ。だったら『運』に頼らないでいい割合を少しでも増やせるように、理屈で追い込めるところまでは頑張って追い込みなさい。それで解ききれない時は、勘だ。」と伝えます。そのためにはやはり設問の文と本文(文章)をできるだけ効率的に往復しながらていねいに解くしかないのではないかなと思います。
頑張って勉強を重ねてきた生徒、地道に努力をしてきた生徒の「勘」は、侮れないですよ。
ただ我々はそれを「勘」で終わらせずにきちんと全部理屈で理解できるようにサポートするのが仕事です。
ところで、本当に「運」だけで合格に必要な点数が取れるということは、実際問題としてはないと思います。
僕が高校二年生の時の話。
僕はマーク式の模擬試験で「化学」を選択し、一応その時の自分なりには一生懸命考えて問題を解きました。が、結果は100点満点中20点台。おいどうすんのこれ、というような点数でした。
返却された成績表を見て嘆く僕に、理科を使わずに受験できる方向に進むことを決めていた友だちが一言「俺もそのテストやってみよっと」と言いました。
で、その友達は問題すら見ずに、余っていたマークシートに適当にマークを付け始めました。途中で「なあなあ、このテスト全部で何問まであんの?」と聞きながら。当然問題なんて一文字も見ていません。
そんな風にして適当にマークを終え、即採点。
結果は……あと1問でも〇を取られたら、負けてました。
この話で負けそうになったのは、ひとえに僕の勉強不足と言うことになるのですが(ちなみに浪人した年には理科は別の教科にしました)、運で取れる点数なんてそんなもん、ということです。
まあ、そもそも生徒は混同して使っているのだからそんな細かいことを言っても仕方ないのですが。
入試の土壇場で「運」で正解を引き寄せようとするよりは、「勘」で正解を引き寄せようとする生徒になってほしいなと思います。
それでは今日はこのへんで。