はじめまして!
PSJ8期生 じゅんじゅん です!
人には大きく分けて2通りあると思います。
まずは、早咲き。もうひとつは・・・・遅咲きです。
早くして咲く人それは日本では一般的に10代半ばから20歳前にして、「天職に出逢いまっしぐらにその道を極めてゆく」人たちです。
私の場合は明らかに後者の「遅咲き人間」だと断言します。
なんとなく高校まで行き、いざその後具体的に自分が将来何を勉強し何になりたいのか・・・を考えた時、全くわかりませんでした。
高校は福島県の女子校で残念なことに勉強だけはできたため進学校でしたから、高校卒業後は大学へ行って当たり前という環境。しかし私の心の中では、「音楽、芸術」が好き。けれども、そんな分野では食べていけないぞと、先生はじめ、周囲の大人から大反対をうけた記憶があります。
ここで「くっそ~」と、わが道を行けば、前述の「早咲き」にもしかしたら合流していた可能性もあります。そうならなかったところが、そのころの私でした。
その後、大学の文学部英文科へ進み、特許事務所へ進みました。でも、魂が、芸術を求めていました。理想と現実との格差に悩む日々・・・そんなとき、ある人がこういいました。「オーケストラでプロとして演奏することだけが芸術家か?それはちがうぞ!いい演奏を聴いて、いいものを判断する鑑賞者だって立派な芸術家だ!」と。
それから私は、生活するために仕事をしながら、その頃引き込まれた「ゴスペル」と「ヒップホップ」「ハウス」のダンスに夢中になることになるのです。
それからどうなったか?やはりプロとして芸術したい欲求が、またふつふつと湧き上がります。そうした時に、私は自分を客観的に見て「ダンス」でプロになることは合わない・・・と感じました。
また、人生の迷い道へ・・・
そこから、日本文化を勉強してみたり、様々な分野の本を読みあさったり、貯金の許す限り外国を観て回りました。何かを必死に探していました。
フィリッポとは、FBを通じての友達でした。いろいろと夢を語り合う友達でした。フィリッポは、私が国際結婚直前まで行って、破談になったことも知っています(笑)今となっては、いい思い出です。
フィリッポを通じて、PSJに辿り着きました。PSJを知ったとき、生まれて初めて「これだぁ!」と思うものに出逢えた、神様は見捨てていませんでした。
「スタイリスト」・・・どうすればなれるのか?実はダンスを習っていたころあたりからいつも思っていました。所詮、早咲きタイプの人が若い時から、専門の勉強を積み、修行を積まなければかなわない夢・・・そういう先入観に支配されていましたから、この夢は誰にも話したことはありません。
PSJを知ってから、あれよあれよという間に、物事がトントン拍子に進むことになります。天が「やっとみつけたな」とご褒美をくれたように、何の障害もなく、不思議に様々な条件がクリアされ、今、ここPSJ8期というスタートラインに辿り着くことができたのです。
不思議なる人生。。。
私の半生は決して、楽しいものではい苦しく辛いものでした。人には言っていない、辛い経験もしてきました。
回り道はしてきたけれど、私の人生はこれからだ!という感覚が今あります。
まさに、遅咲き人生です。
大人になっても、また1年生として勉強できることの幸せ・・・特に昨年起きた東日本大震災から、この幸せがとてつもない幸せに感じてなりません。
全ての存在に感謝いたします。
これが私です。
みなさま、どうぞよろしくお願いします!!!