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メモ帳

もはや記録のメモ帳

カード会社から送付される雑誌を普段は美しい風景写真と街並みを紹介する記事を
パラパラと絵本をめくるみたいな感じでしか見ることがなく、雑誌の中盤にある記事なんか
開けたこともなかったのですが、昨日は偶然主人が中盤のページを読みさして
畳の上に開けっぱなしにしていたページをめくり、なんとなく気になった記事を読み始めた

松尾貴史さんの「本棚から牡丹餅」というどうやら連載ものらしく
私が気づいた7月号は3回目の記事になっていた。

松尾貴史さん単独の読み物だと多分スルーして終わっていたかもしれない。
問題は、松尾貴史さんが故・中島らも先生についての思い出とともに中島らも先生の書籍を
紹介しているというところに「無視できない何か」を勝手に感じてちょっと読んでみた。

大抵の人がそうであるように、自分があこがれる青春というのはちょっと背伸びをしているので
「チョイ世代上の世界」が自分の傾倒する世界であったりしました。

私の場合はそれが 中島らも先生であったり、キッチュとらも先生が出ていた 
「妙な深夜番組」であったり。一緒に番組制作していた才気溢れる人たち。
もちろんイラストの世界はひさうちみちおさんを見て納得したり、某劇団の記事に感銘し
オーディションを受けると言い出したり、
今思えば当時の自分は、殺虫剤噴射されたハエのようになっておりました。
話し出したらきりがないしオチもないような話なのですが。

元々は、17歳くらいの時に何も知らずに手にした
寺山修二先生の「アメリカ地獄めぐり」という本との出合いだったと覚えています。
その後はむさぼるように鴻上尚史さんはじめその当時からいうと、若干芝居の熱が冷める
前の(チョイ前世代に対する遡り現象ですので)じゃんじゃん出ていた戯曲を読みました。

しかし戯曲などを読むと当然背景にある世界(文学や哲学)が理解できないと把握できないので
あわててヘッセやジットやシェークスピア諸々を読んだのですが、逆にそういうのを読んでるうちに
当然のように昔からある文学がいかに奥深くすごいかという方に気が向いてしまい

その後は20歳を境にサブカルチャー的な本も、芝居も、逆に物足りなくなり
すっかりやめてしいました。

とはいえ、昨夜はその当時の自分が想像もしなかった未来のとある家屋の
畳の上で15年前に落とした大切な記憶を、ふと拾い上げるとは思いがけず。

どこからともなく畳の上にいいものが落ちて転がってたのを拾った自分をたとえて
みたところ。

この「本棚から牡丹餅」とはよく出来たタイトルだなあと。
改めてキッチュのセンスにびびった次第であります。

連載著者がそんなつもりでつけたかどうかは別として。

来月も、まあ、覚えていたら読もうかなあ。
面白くなかったら読まないけどね(笑)