こんにちは
パステルシャインアートはあなたが主役!  
仙台 アトリエ ル シェルです
仙台市  パステルアート JPSAA公認  お絵かき教室 子供 大人


5年前の3月11日
幼稚園のお迎えから帰ってきて、
まだ5歳と2歳だった子供達と
忘れもしない、
ロールパンに焼きそばをはさんで、
焼きそばパンをおやつに作って
ご機嫌に皆で食べていた
そんな時でした。

テレビから聞きなれない地震速報の警報音
大したこと無かろうと
子ども達と机の下にもぐったのでした。

次第に揺れが激しくなり、高い所に置いたものが落ちる音が聞こえる頃には、
もう、とても家にいるとは思えない
大きな動物の背中にでも乗っているかのように
地面が揺れて
まだ2~3語しか話せなかった娘が
「何 ?これ   ?」
と叫び、
私も
「大丈夫だから‼︎」
と安心させる為に言ったものの

途中テレビと照明がブツッと
切れた衝撃はもの凄くて、

心の中で
「本当に大丈夫なのか!
私はこの子達を守れるのか⁉︎」

という不安と
恐怖に押しつぶされそうになりそうで

ただひたすら両脇に子どもをぎゅっと抱えて
机の下で「大丈夫、大丈夫!」
と叫んでいた。


揺れが収まった時には 
一気に緊張が緩み目から涙が。

恐怖で泣くなんて
そんな事は一度も無かった。



その後も休む間もなく余震が続き、
しばらくして
やっと皆でパパを迎えに行こうと
車に乗ったのでした。

外に出ると、信号機は機能せず
車は大渋滞
歩道には歩いて家を目指す方達が何人も歩いている。
いつもは片道15分のところ1時間くらいかけて、やっとパパの会社に到着。 

しかし、パパはもうそこには居らず、誰かの車に乗せてもらって帰ったらしい、と。

また1時間30くらいかけて自宅まで戻る。
自宅に着いたのは6:30真っ暗闇になっていた。
家の前にパパを発見し、やっと少しだけほっとしたのでした。

暗闇の中、携帯の電源もすでに落ちた。
子どものおもちゃから、電池を掻き集めて、
ラジオをつける。

「若林区で300名の遺体を発見…」
「え、嘘でしょ」
「何かの間違いなんじゃない?」

翌日の昼ごろ電気が復旧するまで
内陸の私達は海岸線の大惨事をまだ知らない。
地震の規模がどのくらいだったのかも。

その日は外で着るダウンジャケットを着て布団にくるまる。
余震が頻繁で、机の下まで子どもを非難させるのが大変なので、途中から机の下に布団をひいて
子ども達を寝かす。
寒くて、暗くて不安な夜でした。

津波を被って外で一夜を越した方は、どんなに寒かったろうと思います。

まだ、私がシャインアートに出会っていない、5年前の3.11でした。

パステルシャインアート協会の代表
江村先生と西川先生は
震災の心のケアの為にと
1年後特別に仙台でインストラクター養成講義を
して下さりました。

阪神大震災後から始まったこのパステルシャインアート、東北大震災の爪痕はあまりにも深く、深く、5年たっても、まだ心境が当時のままでいらっしゃる方も大勢います。

それでも、希望を捨てずに、


「生きてて、良かった!」と思える人生を
「亡くなった方の分まで幸せに」

「私達はひとり残らず、幸せになる為に
生きているのだ」

「みんな、みんな幸せになって良いんだ、
笑っていいんだ」

と私は思います。

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そんなメッセージを伝えるためのお役に立てたら

私はいつもそう思ってます。



最後までお読み頂きましてありがとうございました。


ps

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シャインアートを通して
私がお役に立てるのなら

とても嬉しい事です。

ボランティアでパステルシャインアートの講義

レッスン、承ります。


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