ゴダイゴというバンドが流行ったのがおいらの子供時代。
当時、堺正章さんが孫悟空で、夏目雅子さんが玄奘三蔵で、
猪八戒が西田敏行さん、岸部史郎さんが沙悟浄という
西遊記が日テレで放送されていた。当時はまだTVが一家に
一台だったので、親に大河ドラマで時間を奪われ、ソニーの
テレビの音が入るラジカセで録音しながら楽しんでいました。
たまに見れたり、夕食を親と別にしてまで見入ったものです。
そして第2期は、西田敏行さんから左とんぺいさんになった時、
ちょっとがっかりでした。西田さんの東北弁で豚だけど
エロガッパな猪八戒がちょっと変わってしまったので。
そんな子供時代の最高のバンドがゴダイゴで、西遊記の主題歌、
エンディングを2期にわたって担当されていました。999も
流行り、何かのきっかけでビューティフルネームという曲が
流行り、学校のクラス皆で合唱していた位です。
その頃学校の友達が学校に小さなラジカセを持ってきて皆に
聞かせていたこともあり、小さなラジカセがうらやましくも
あった。子供の頃のおいらは自分で何かをするという事が
なかったので他人の色々な趣味に影響を受けていました。
気持ちが中々大人にならないので、大人びていく友人がどんどん
自分の世界観から進んでしまって取り残された感がありました。
まあおいらの世界は50を過ぎても基本変わりませんでしたが(笑)
そうした中、ふとレンタル屋に行ったらゴダイゴのベスト盤が
あったので借りてみました。先程の曲がすべて入っており、
子供以来のノイズなしで聞くことができ満足です。
世の中には自分の中で今流行りが来たとしても既に絶版して
しまっているCDなどが多くあり、当時は聞く機会が無くても
今になって聞きたいというのが結構あります。大体は、YOUTUBEで
見ることも出来ますが、CDだと当時のラジカセの思い出が大きく
蘇り、なんか子供時代の良き思い出をフラッシュバックさせています。
今も新しい作品を楽しんでいますが、当時は媒体が少なくそれだけ
しかないという時代なので、思い出も強く残っている物ですね。
この後中学では風の谷のナウシカがかなり思い出深くなります。
あ、題名の内容が一切ない( ;∀;)
このゴダイゴのガンダーラという曲は、西遊記の1期のエンディング
ですが、歌詞の意味はただ格好良いとしか当時は思っていませんでした。
そこへ行けばどんな夢も叶うと言うよ。誰もみな行きたがるが遥かな世界。
この詩は西遊記の旅の内容を歌っているんだなと感じていました。
2番の歌詞の生きることの苦しみさえ消えるというよ。旅立った人はいるが
余りにも遠い。この詩は子供の頃にはよくわからない感覚でした。
生きることが辛い?旅の距離が長くて辛いって意味かな位の意味で
捉えていました。しかし人生50年を過ごしてみるとこれは、仏教の教えの
内容で、人生は色々苦しみもあって大変だからガンダーラという国に
経典を取りに行けば、その苦しみから救われるよという内容なのだと
気付きます。その経典は勿論、お経の事で、インドのお寺に人生の苦しみを
緩和する内容が書かれた本があってそれを読むことで人生を知る事が出来る
という簡単に言うとそんな内容なのですね。
西遊記自体はそういう人生に対する旅の話ですが、子供のおいらには悟空が
魔物をバッタバッタと倒す強い正義の味方としか映りませんでした。
悟空が魔物をボコボコにするのを玄奘三蔵がいつも怒っているのが分から
なくて、孫悟空かわいそうとか思ってました。今で言えば、自分の正義が
必ずしも相手の正義になるかという難しい問題ですが、危害を加えてきた
魔物から玄奘三蔵を守っているのになあという強い思いはありましたね。
どんな人物でも何かしらの慈悲を与える必要はあると最近は思いますが、
それでも極悪な犯罪だけは厳罰しか抑止力はないと思います。
今の社会で復讐は認められていませんので、復讐したくてしょうがない
人の心を考えた判断がないとやくざの抗争のように止まらなくなります。
その最悪の形が戦争でしょうけどね。戦争って、国と国の争いだと言い
ますが、時の権力者の暴力ですよね。力や発言力の強い人の意見が強く
反映されて話し合いが失われます。将棋やゲームで物事の勝ち負けを決めて
それによって国の方針を決められたらバカバカしいかもしれませんが
喧嘩になりませんよね。話し合いが出来なくて、自分の意見をごり押し
した状態が戦争だとしたらそれを実際に行っている兵隊はたまった
もんではないと思います。国の為と言いながら誰も認めてくれない立場を
力づくで貫くのですから。ガンダーラを翻訳して世界に聞いてもらいたい
ですね。