仏教ではないので49日は特にないのですが

なんとなく何もないのも寂しいので

子どもたちとパパの好きなものを食べに出かけたり

好きだった場所に行ったりして弔いました。

 

夫は様々な病気を併発して亡くなりましたが、肺移植をしたことは

全く後悔していませんでした。

少しの間でも酸素がなく生活ができたこと。

咳をせずに言葉を発せたこと。

又外食に行けたこと。

車を運転ができたこと。

子どもたちとすごせたこと。

本人の口から、「やって良かった」と聞いています。

 

残念ながら、特発性間質性肺炎は

家族性も否定できない病気です。

私は4人の子どもたちに、可能性が小さいけれどあることを伝えています。

医師からも長男には「可能性があるとは言えないが否定もできない。何らかの遺伝子の変異の可能性があるから。健康に悪いことはさけなさい」と伝えてもらいました。

夫は、長男が生まれてからタバコをやめていました。

それでも原因のひとつという扱いでした。

子どもたちには、タバコは吸わないよう伝えています。可能性の排除です。

 

あとは

やりたいことをやってね

と。

 

人生は思うより短いのだと。

 

きっと

いつ死んでも

そう思うのだと

最近感じています。

 

 

 

亡くなってから

手続きで知らなかったことが

たくさん

たくさん

たくさん

ありました。

 

私は、多分亡くなる前から受け入れるためにも

少しずつ調べて心と来てほしくない日の準備をしていました。

 

それでも、足りないくらい

今手続きにも翻弄しています。

 

病院も介護もなくなって

体は楽なはずなのに。時間もあるはずなのに。

 

亡くなってからの手続きや

そんなことを

ツラツラ綴りつつ…

 

闘病の助けになる手続き等も

今後どこかで生きていくご家族のささやかな力になれれば…と

書き連ねていこうかと思います。

 

 

夫が家族が生きたという自己満足のブログですが

藁をもすがる気持ちで情報を集める方のひとつの事例になればと思います。